自然と文化をつなぐ。東北地方の伝統工芸品10選

自然と文化をつなぐ。東北地方の伝統工芸品10選

東北地方には、古くから続く歴史があり、多くの文化が育まれてきました。そのため、豊かな自然だけでなく、多くの世界遺産や歴史的建造物が残っており、全国からたくさんの観光客が訪れます。

今回は、東北地方に行ったら買っておきたい伝統工芸品をいくつか紹介します。

 

津軽塗(青森)

津軽塗は、青森県の青森市や弘前市を中心に作られる漆器のこと。津軽塗りは、普段使いしても耐えられる丈夫さと、上品で美しいデザインが特徴。

津軽塗の技法は大きく4つあり、何度も塗り重ねては研ぐことから「研ぎ出し変わり塗り」と言われております。複数の色が浮き上がって見える斑点模様が特徴の「唐塗」。小さな小紋模様が特徴の「ななこ塗」。ななこ塗をベースにさまざまな模様を施した「錦塗」。炭粉と黒漆を使ったモダンなデザインの「紋紗塗」などがあります。

津軽塗の歴史は江戸時代中期にまで遡ります。当時、弘前藩四代藩主だった津軽信政(1646~1710年)が、若狭国(現在の福井県)から塗師の池田源兵衛を招いたのが津軽塗の始まりです。当初は、武士が腰にさす刀の鞘を装飾するために用いられていましたが、徐々に重箱や文箱などの調度品にも津軽塗の技術が使われるようになりました。

実は「津軽塗」の名前で知られるようになったのは、明治時代に入ってから。明治6年(1873年)のウィーン万国博覧会に「津軽塗」として出典したことで、津軽塗の名前が全国にとどろきました。

現在は、大手ガラスメーカーや陶磁器メーカーと共同でコラボ商品を開発するなど、若手職人を中心にさまざまな活動に取り組んでいます。

 

南部鉄器(岩手)

南部鉄器とは、岩手県の盛岡市と奥州市で作られる鉄鋳物のこと。南部鉄器は、盛岡で作られる「盛岡南部鉄器」と奥州市水沢で作られる「水沢南部鉄器」にわけられ、2つをまとめて南部鉄器と呼びます。

南部鉄器は、「孫の代まで使える」と言われるほど丈夫で、長持ちするのが特徴。色とりどりのモダンデザインの商品も多く販売されており、日本だけでなく海外からも人気があります。南部鉄器で沸かしたお湯は、ミネラル成分が豊富でまろやかな味わいになると、女性のファンも多いです。

南部鉄器は、盛岡と奥州でルーツが異なります。盛岡南部鉄器は、17世紀中頃に盛岡藩主が京都から釜師を招き、茶の湯釜を作らせたのが始まりとされています。盛岡南部鉄器は、平安時代に、藤原清衡が近江(現・三重県)から鋳物職人を招き、武具や生活用品を作らせたのが起源です。

現在南部鉄器は、代表的な南部鉄瓶だけでなく、急須やフライパン、風鈴、栓抜きなど、幅広い商品があります。また、赤や黄色などカラフルな商品や、「機動戦士ガンダム」とのコラボ商品を開発するなど、革新的な取り組みで海外からも注目されています。


「南部鉄器」について詳しく見る

 

鳴子漆器(宮城)

鳴子漆器とは、宮城県の大崎市で作られる漆器のこと。鳴子漆器は、古くから生活用品として親しまれており、普段使いしやすい木目を活かしたシンプルなデザインが特徴的です。鳴子漆器は、素材の美しさを引き出すために独自の技法を採用。代表的なものに、透明な漆を使った「木地呂塗」や、何度も漆を拭いてなじませる「拭き漆仕上げ」などがあります。

鳴子漆器は、江戸時代の1624〜1643年に誕生したと言われております。岩出山藩三代城主であった伊達弾正敏親が、塗師の村田卯兵衛と蒔絵師の菊田三蔵を京都に派遣。その後、京都で修行を積んだ2人は、習得した技術を鳴子に持ち帰り、漆器作りの振興・発展に貢献しました。当時、鳴子は温泉郷として知られており、鳴子漆器はお土産としてお客さんから大変人気がありました。

昭和時代には漆工芸研究家の澤口悟一が「龍文塗」を考案するなど、伝統を受け継ぎながらも進化を怠りません。また、鳴子の伝統工芸品、こけしと鳴子漆器を融合させたブランドを開発するなど、産地全体での取り組みもおこなっています。

 

宮城伝統こけし(宮城)

宮城伝統こけしは、宮城県の仙台市や白石市などで作られる知育玩具のこと。宮城伝統こけしには、「鳴子こけし」「作並こけし」「遠刈田こけし」「弥治郎(やじこけし」「肘折こけし」の5つの系統があります。系統によって特徴が異なり、産地ごとに独特の形・模様があります。

宮城伝統こけしの誕生は江戸時代。江戸時代末期に、木製のお椀やお盆を作っていた木地師たちが宮城県の温泉街に移住し、端材を使ってこけしの制作を始めたのがきっかけとされています。こけしは、温泉に訪れるお客さんにお土産として選ばれ、子どもの玩具や縁起物として愛されていました。

現在は、漫画やアニメとのコラボ商品なども販売しており、子どもや女性から注目を集めています。また、倒れると光る「明かりこけし」は、地震などの災害に役立つ防災グッズとしてSNSを中心に話題になりました。

 

樺細工(秋田)

樺細工とは、秋田県の仙北市で作られる木工品のこと。樺細工とは、山桜の樹皮を木地の表面に貼り付けた木工品のことで、現在は秋田県でのみ生産されています。樺細工は、樹皮特有の光沢を活かした渋い色合いが特徴的。樺細工には、「型もの」「木地もの」「たたみもの」の3種類の技法があり、それぞれ茶筒やお盆、ペンダントなど、製品によって使い分けられます。

樺細工は、18世紀末に武士の藤村彦六が、県北部の阿仁地方に技法を伝えたのが始まりとされています。伝えられた技術をもとに、下級武士の副業として樺細工の生産が開始され、地場産業として根付いていきました。

樺細工に用いられる木は10種類以上あり、用途によって使い分けられます。職人は一つひとつ手作業で作るので、同じ作品は1つとしてなく、すべて1点ものです。


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大館曲げわっぱ(秋田)

大館曲げわっぱとは、秋田県大館市で作られる曲物のこと。曲物とは、檜や杉などの板を円形に曲げて桜の皮で閉じた容器のことで、主にお弁当箱や重箱などがあります。天然の秋田杉を用いた大館曲げわっぱは、美しい木目と杉の香りが特徴です。大館曲げわっぱのお弁当箱は、軽くて丈夫なので持ち運び便利。さらに、杉が余分な水分を吸湿してくれるので、なかのご飯を常においしい状態に保ってくれます。

大館曲げわっぱが誕生したのは、江戸時代に入ってから。豊臣方の武将であった佐竹義宣は、関ケ原の戦いで破れたことで、徳川幕府により水戸から秋田に移転を命じられました。当時、秋田の人々の暮らしは、その日の食べ物に困るほど大変貧しい状況でした。大館城主となった佐竹西家は、貧窮状態を打開策として、領内に豊富にあった秋田杉に着目。曲げわっぱ制作を下級武士たちの副業として奨励し、年貢を納められない農民には年貢の代わりに山から城下へ木材を運搬させました。

プラスチック製品の普及により、一時は需要低下しましたが、近年では長く使える本物志向の人が増えたことで、大館曲げわっぱも再び注目を集めるようになりました。また、すべて自然由来の素材を使っているので、子どもにも安心して使えるお弁当箱として大変人気があります。


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羽越しな布(山形)

羽越しな布とは、山形県鶴岡市と新潟県村上市で作られる織物のこと。2つの県にまたがって作られる「羽越しな布」の名前は、羽前(山形県)の「羽」と越後(新潟県)の「越」を合わせて「羽越」と呼ぶことから名付けられました。しな布は、羽越地域の山間部に生育するシナノキ、オオバボダイジュなどの繊維を糸にして、布状に織り上げることで作られます。羽越しな布は、優れた耐久性と、ざっくりとした手触りに落ち着きのある風合いが魅力的です。

羽越しな布の起源は明確にはなっていませんが、平安時代の文書に「信濃布」の記述があることから、そのころにはすでに作られていたと考えられています。昔は、衣類や穀物を入れる袋や農作業用の仕事着など、生活用品として愛用されてきました。しかし戦後に入ると、紡績技術が進化し、化学繊維が大量生産されるようになったことで、徐々に産業は縮小していきました。

今では、羽越しな布の技術と特徴を活かして、バックや帽子など、現代の生活に合わせた商品も販売しています。また、しな布の魅力を発信するため、地域全体でさまざまな取り組みもおこなっています。

 

天童将棋駒(山形)

天童将棋駒とは、山形県の天童市や山形市、村山市で作られる将棋の駒です。天童の将棋駒は、全国で生産されている将棋駒の約95%以上を占めています。天童将棋駒には、「押し駒」「書き駒」「彫駒」「彫埋駒」「盛上駒」などの種類があり、使われる技法や素材がそれぞれ違います。また、種類によって値段も異なり、大衆向けの安価な商品からプロが使用する高級品まであります。

天童で将棋駒の生産が、本格的に始まったのは江戸時代後期。財政難に苦しんでいた天童織田藩は、米沢藩から駒作りの技術を学び、副業として武士に駒を作らせたのが始まりとされています。木地師と書師が分業体制で作ることで、大量生産が可能になり、国内シェア1位の産地へと発展しました。

古くから日本を代表する産地として、将棋駒を作ってきた天童将棋駒。現在では、一般財団法人伝統的産業振興協会認定の伝統工芸士が作る将棋駒は、プロ棋士のタイトル戦にも使われています。最近では、史上最年少のプロ棋士、藤井聡太が公式戦29連勝の最多記録を達成したことなどをきっかけに、将棋ブームが到来。将棋を始める子どもが急増し、天童の将棋駒にも注目が集まっています。

 

大掘相馬焼(福島)

大堀相馬焼とは、福島県双葉郡浪江町で作られる陶磁器のこと。大堀相馬焼は、青磁釉という青みがかった透明の釉薬を用いるのが特徴。大堀相馬焼は、「青ひび」と呼ばれるひび割れ模様や、伝統的な馬の絵柄「走り駒」など、独自のデザインが施されています。また、「二重焼」という二重構造になっているので、保温・保冷効果に優れています。

大堀相馬焼は、江戸時代初期に中村藩士の半谷休閑が、大堀一帯で陶土を発掘し、下男の左馬に日用雑器を作らせたのが起源とされています。中村藩は、大堀相馬焼を藩の特産品として、焼き物作りを奨励。藩の手厚い保護より、江戸時代後期には100戸以上の窯を持つ東北屈指の産地となりました。

今では、「青ひび」や「走り駒」などの伝統的なデザインだけでなく、現代の生活に馴染むモダンなデザインの商品も多く販売しています。また、伝統工芸の枠を超えた活動もしており、ももいろクローバーZと開発した、メンバーオリジナルデザインを施したコラボ商品は、販売前から注文が殺到しました。

 

会津塗(福島)

会津塗とは、福島県会津地方一帯で作られる漆器のこと。会津塗は、縁起良い華やかな和柄を施した「会津絵」や、さまざまな技法を用いた多彩な塗りが特徴。会津塗には、漆錆を用いて鋳物のような重厚感を表現する「鉄錆塗」や、もみ殻を撒いて模様を出す「金虫喰塗」、油を加えた漆で光沢を出す「花塗」などの技法があります。

会津塗の歴史は、1590年にまで遡ります。安土桃山時代に近江(現・三重県)から会津に移動になった蒲生氏郷が、近江日野町から木地師と塗師を招き、技法を会津に広めたことが、会津塗が起源です。その後、江戸時代には会津藩の保護のもとで大きく発展し、中国やオランダなど海外にも輸出するようになりました。

高級感のある伝統的なデザインだけでなく、若い女性でも使いやすいカラーバリエーション豊富な商品も販売しています。漆器といえば、特別な場面で使うイメージをもつ方も多いと思いますが、会津塗はどんな食卓にも合う普段使いしやすい器です。

 

伝統のなかでも変わらない価値

伝統工芸品と一口に言っても、食卓を豊かにする食器だったり、娯楽を提供する玩具だったりと、その種類はさまざまです。伝統工芸品は長い歴史のなかで育まれてきましたが、昔から「人々の生活を彩る」という本来の価値は変化していません。

後継者不足や需要の低下など多くの問題もありますが、これからも伝統を受け継ぎ、技術を進化させながら、人々の暮らしに彩りを与えてくれるでしょう。

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