美濃焼
愛知
美濃焼とは
美濃焼が、日本の陶磁器で最も生産されているのはご存知であろうか。我々が日常生活で使用する食器の多くは美濃焼である。日本の陶磁器の生産の約半数は美濃焼が担っている。
生産地は、岐阜県のうち、東濃地方の一部(土岐市、多治見市、瑞浪市、可児市)に跨る地域で、中でも土岐市が日本一の陶磁器の生産を誇る街である。美濃焼の特徴は、耳にしたことがある方も多いだろうが、”特徴がない”ことである。
伝統的工芸品として指定されている美濃焼は15種類もあり、一言で特徴を表すのが困難なのだ。「特徴がないことが特徴」というのは、奇妙に聞こえるかもしれない。しかし、生産地が広大であることや作り手たちが流行に合わせて、柔軟に新しい釉薬や製法を開発してきたことが背景にある。あらゆる側面を魅せる美濃焼の奥深さに惹かれる方も多いのではないか。
美濃焼の技術と歴史
美濃焼の歴史とは、あるいは、日本の焼き物の歴史と言ってもいいかもしれない。というのは、美濃焼の歴史は、5世紀ごろに朝鮮半島から伝わった須恵器にまで遡ることができるからだ。
平安時代には、日本で初めて施釉が始まった。安土桃山時代になって、瀬戸の職人が美濃の国に一斉に移動する「瀬戸山離散」という出来事が起こった。この出来事が美濃焼の繁栄に大きく繋がった。これは、織田信長が美濃に拠点を移す際に、彼が瀬戸物を大変気に入っていたために瀬戸の職人たちに対して一緒に移動するように依頼したという説がある。
この頃から茶の湯が戦国大名の間で流行し、美濃焼も茶陶として大いに繁栄した。特に古田織部(1544〜1615)の活躍は目覚ましく、美濃焼の代表的な焼き物である「織部」は彼の名前から来ている。「織部」の特徴は、敢えて歪な形状に市松模様や幾何学模様といった大胆な文様が施されているところである。織部は「わび・さび」を基調とする千利休(1522〜1591)の弟子でありながら、それまでの整然とした茶器と方向性を異とした作風を好んだ。「青織部」や「黒織部」は現代でも多くの人の人気を集めている。
一説によると、「志野」「黄瀬戸」「瀬戸黒」の開発にも織部の影響があったと言われている。「志野」の技術は一時失われかけたが、昭和を代表する美濃焼の陶芸家である荒川豊蔵(1894〜1985)の尽力により現在まで受け継がれている。明治・大正期を迎え、美濃焼は、電気を用いた大量生産の技術が発達し比較的安価な焼き物として、名実ともに日本全国で愛用されるようになった。
しかし、21世紀に入ってからは100円ショップなどの大規模な売り場で、より安価な商品がさらに大量に流通するようになり、美濃焼だけでなく日本の陶磁器全体の生産量が落ち込んでいる現状がある。そこで、美濃焼は、これまでの長い歴史を通して培ってきた様々な釉薬や製法を強みとして現代の私たちの暮らしにあった新しい焼き物の在り方を提案し続けている。
美濃焼のブランド一覧
SUGY / 愛知県土岐市
創業70年、岐阜県多治見市のタイルメーカー。年々使われる量が減少しているタイルの魅力を、生活に取り入れやすい雑貨という形で広めようと雑貨の企画から販売まで行っている。
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