萬古焼
三重
萬古焼は、江戸時代中期に三重県朝日町で誕生した伝統的な陶器で、その始まりは1718年にさかのぼります。桑名の商人、沼波弄山(ぬなみろうざん)が窯を開いたことで萬古焼の歴史が始まりました。彼は、自身の作品が永遠に残るようにとの願いを込め、「萬古」や「萬古不易」という印を作品に押し、これが萬古焼という名前の由来となっています
弄山は三重県桑名市に生まれ、幼いころから茶道に熱心に取り組んでいました。その茶道への関心から、1736年頃に朝日町で窯を開き、京焼の技法を取り入れつつ、異国風のデザインを特徴とする作品を作り出しました。これらの作品は多くの人々に支持され、その評判は江戸にも広まり、彼は小梅村(現在の東京都墨田区)にも窯を開きました。
弄山の死後、一時的に萬古焼の生産は途絶えましたが、後に復興し、現在では四日市市や菰野町を中心に再び盛んに作られるようになりました。特に「四日市萬古焼」は1979年に国の伝統工芸品に指定され、その価値が高く評価されています。
萬古焼の最大の特徴は、その優れた耐久性と耐熱性にあります。特に、土鍋や急須が有名で、土鍋は直火、オーブン、電子レンジ、さらにIH調理器具にも対応可能な多機能性を持っています。この耐熱性のおかげで、萬古焼の土鍋を使うと遠赤外線効果で食材を均等に温めることができ、料理がより美味しく仕上がるとされています。
また、急須はお茶の渋みをまろやかにする効果があるとされ、萬古焼の代表的な製品の一つです。時代とともに萬古焼の製品は多様化し、陶板やタジン鍋、ご飯釜など、さまざまな用途に応じた製品が次々と生み出されています。
現在、三重県四日市市と菰野町を中心に生産が続けられており、その技術と伝統は現代の生活にも息づいています。長い歴史を持ちながらも、時代に合わせた進化を遂げ、私たちの日常生活を豊かにする頼れる焼き物として、多くの人々に愛され続けています。