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大阪浪華錫器

大阪

大阪浪華錫器(おおさかなにわすずき)とは

錫(すず)は、紀元前から人類に使われてきた素材のひとつであり、日本に渡ったのは、6〜7世紀頃。古墳の副葬品として錫製の首飾りや腕輪などが発見されており、正倉院御物にも錫製の壺や水瓶などが保存されている。
錫器(すずき)は、宮中で使われる器や、神社の新酒徳利や榊立などの神具のみに使われていたらしい。特に、徳利はほとんどが錫で作られており、今でも宮中では、酒を「おすず」と呼び習わしているという。
江戸時代になり、錫の器が一般に使われるようになると、大阪で錫器の製造・販売が行われるようになり、次第に一大産地に成長。現在では、全国シェアの7割を大阪浪華錫器が担っている。

大阪浪華錫器の歴史・技術

大阪で錫器が作られるようになったのは、江戸時代初期と言われる。中期には、心斎橋・天神橋・天王寺などで生産されるようになった。特に心斎橋には、その後の錫屋の老舗となる「錫半」が開業し、心斎橋を中心に錫器製造業者が集まり、一大産地となっていった。心斎橋や天王寺は流通の便もよく、大阪の錫器は江戸などへ流通するようになった。最盛期の昭和前半には、250名以上の職人が腕を競っていたと言われている。
錫はイオン効果が大きく、水の浄化作用があると言われている。さらに気密性も高いため、酒や水の味をまろやかにしてくれる酒器や水筒、茶葉を保存するための茶筒など、使いやすさを考慮した製品が作られるようになった。
また、美しい輝きと独特の風合いを活かした皿や花瓶、茶托なども作られるようになり、大阪や京都の飲食店で使われるようになる。こうして錫器は高級な器として、一般家庭にも広まっていったのである。

純粋な錫は、常温で手でも曲げられるほど柔らかい。
錫器は液状になった錫を、セメントや金属などでできた鋳型に注ぎ込んで鋳造。錫がある程度冷えたところで鋳型を壊さず取り出す。そのため、完全に固まる直前に鋳型をはずすのがベストタイミングとされる。早すぎると形が崩れ、遅すぎるとはずれなくなってしまう。
しかし、そのタイミングは鋳型の外からはわからない。いつはずすかは、職人の経験だけが頼りである。その後、ろくろで削って形を整えたり、厚みを薄くするなどの研磨作業を行い、美しい形を作り上げる。最後に、ろくろで作れない持ち手や注ぎ口をつけたり、槌目模様をつける作業、漆などを使った模様を入れるなどの作業を経て、大阪浪華錫器となっていくのである。
現在、一社のみが手掛ける大阪浪華錫器は、洋食器であるタンブラーやビールジョッキなどの新しい商品も積極的に開発。現代の暮らしに寄り添う工芸品として、新たなファンを獲得しつづけている。

大阪浪華錫器のブランド一覧

大阪錫器 / 大阪府大阪市

 

 

江戸時代から続く大阪浪華錫器の伝統と技術を、唯一受け継ぐメーカー。伝統工芸士と現代の名工が、熟練の技術を生かして商品開発に取り組む。全国の漆産地とコラボした「錫漆」のシリーズも人気。
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