山形鋳物
山形

山形鋳物とは
山形鋳物は山形県山形市とその周辺に伝わる日本の伝統的工芸品の一つである。「鋳物」と聞いて、食器屋の陳列棚に、静かに並ぶ「鉄瓶」を思い浮かべる方は少なくないのではないか。事実、「鉄瓶」は物持ちがよく手入れを重ねるほどその人の生活に馴染むため「一生もの」として人気が高い。華やかで装飾的な岩手の南部鉄器に対して、山形鋳物の薄手で繊細な肌合いは「引き算の美学」を感じさせる静謐さを持つ。
山形鋳物の歴史と技術
山形鋳物の発祥は、平安後期まで遡る。乱平定のため同地域を訪れた源頼義軍に従軍していた鋳物職人が、山形市内を流れる馬見ヶ崎川の砂と千歳公園付近の土質が鋳物の型に最適であることを発見し、数人がこの地に残ったことが始まりだと伝えられている。
産業が栄える転機は江戸時代初期にある。藩主となった最上義光が城下町の再編成を行った。鍛冶町から鋳物師職人を17人隣町に移し「銅町」と命名し、ここを拠点に鋳造を中心とする町づくりを勧めた。こうして「銅町」は鋳物産地としての強固な基盤が作られた。
日本における工業団地の走りでもある。それに加え、当時、民衆の間で出羽三山神社への参詣が大流行し、門前町であった同地域ではお土産として仏具や日用品が人気を博した。このことも山形鋳物が名のある工芸品として現代まで伝わる大きな要因となった。
現在、山形鋳物の生産は、機械産業を行う「鋳物町」と工芸産業を行う「銅町」に大別され、幅広い分野で生産が行われている。機械産業は、工作機械部品、自動車部品、電機部品等があり、山形鋳物全体の80%の売上高を占める。
一方「銅町」では、職人の手仕事によって鉄瓶、青銅花瓶、鉄鍋、置物などを代表とする「工芸鋳物」が作られている。また、茶の湯釜の多くは山形産である。「型挽き」と呼ばれる独特な砂鋳型づくりや、ヘラを使って紋様を作る「紋様押し」、きめ細かな肌にする「肌打ち」が有名な技術だ。鋳物らしい重厚さを持ちながら、薄手で繊細な肌合いを可能にしているのは、これらの技術によってである。
鋳物の誕生から約1000年、「銅町」の誕生から約400年もの間、受け継がれてきたものづくりの技術と精神性が、日用品に息づいている。今後もそんな山形鋳物の動向をチェックしていきたい。