南部鉄器と山形鋳物はどう違うの?そもそも鋳物とは?

南部鉄器と山形鋳物はどう違うの?そもそも鋳物とは?

みなさんは、鋳物と聞いてなにを思い浮かべるでしょうか。今回紹介する南部鉄器と山形鋳物の鉄瓶は、ずっしりとした丸いフォルムを持ちます。中にあるお湯が冷めにくいとして、寒い冬のお供として人気を集めています。たいへん物持ちが良いのも特徴で、適切な手入れを施せば、親から子へ、子から孫へ、三世代に渡って使い続けることができます。
そもそも鋳物の歴史は古く、紀元前4000年ごろ、古代メソポタミアの時代から今に至るまで形を変えながら繁栄してきました。鋳物は、モノづくりの歴史のはじまりであるとも言えるでしょう。今回は日本における二大鋳物、南部鉄器と山形鋳物の特徴や歴史や誕生の背景の違いに迫ってみましょう。

そもそも鋳物とは

 鋳物(いもの)は、砂などで成形した型に、溶かした金属を流し込むことで、形をつくる技法、もしくはその技法が用いられた製品のことを指します。現在、鋳物の技術が用いられている分野は幅広く、工芸の方面だと、主に茶釜や急須、鉄瓶や鍋などの生活雑器が作られています。自動車などの工業製品のような大規模な製作も行なっています。日本の代表的な鋳物の工芸品として、南部鉄器と山形鋳物があります。多くの人に愛されるこれらの金工品は、どのようにして誕生したのでしょうか。

和鋳物の歴史

 日本で鋳物づくりが盛んに行われるようになったのは、紀元後1世紀のことでした。稲作などにまつわる儀式のための銅鐸や銅鏡が主に作られました。それから仏教が伝来してきた奈良時代になると、奈良県にある東大寺の大仏を含め、仏像や梵鐘などが次々に作られるようになりました。平安時代に、全国に広がったとされています。
 安土桃山時代、茶の湯の流行が始まると、茶釜の生産が行われるようになりました。そして茶釜から鉄瓶も使われるようになりました。
 時代は飛んで、18世紀なかばにイギリスで起きた産業革命の影響で、鋳物づくりの技術は工業分野へ深く取り入れられていきました。


日本の食生活に添えられた鉄瓶

鉄瓶は、茶釜から発展したものです。茶釜は、安土桃山時代に茶の湯が流行した際に大名や武士の間で広く用いられるようになりました。その茶釜から着想を得て、日用品として使いやすいようにサイズを大きくしたものが鉄瓶になります。保温効果が高く、お水がまろやかになることから多くの人に愛されてきました。戦時中に金物が回収されてしまい、一時は人々の生活から姿を消してしまった鉄瓶ですが、現代になって再注目されています。


鋳物の種類と工芸品

先ほども説明させていただいた通り、鋳物は、型に金属を溶かして成形をする技術、そしてその技術を用いた製品のことを指します。ですので、一言で鋳物といっても、型によっていろいろな用途のものをつくることができるのです。大きく分けるとしたら、鉄瓶や急須などの日用品、仏具、そして農機具や自動車の部品、機械部品などの工業製品全般になるでしょう。

その中でも鉄瓶は、日用品ですから鉄を注ぐ前の工程にこだわりがあります。具体的に言えば「型挽き」と呼ばれる独特な砂鋳型づくり、その砂鋳型にヘラで紋様を入れる「紋様押し」、きめ細やかな表面にする「肌打ち」が行われます。
 


南部鉄器と山形鋳物、それぞれの誕生秘話

日本の代表的な鋳物、南部鉄器と山形鋳物。その誕生の背景や歴史は大きな違いがあります。どんな違いがあるのでしょうか?


歴史背景の違い1 :平安時代から独自の発展を続ける山形鋳物

山形鋳物の起源は、平安時代後期に、京都からこの地を訪れた鋳物師が、山形市内を流れる馬見ヶ崎川の砂や周辺の土質が鋳物づくりにぴったりであることに気づいたことがきっかけでした。ちなみに馬見ヶ崎川は、日本一の芋煮会が開催される地としても有名です。

本格的に鋳物産地として発展していったのは江戸時代に入ってからでした。商工業を発達させるために城主であった最上義光は、馬見ヶ崎川の北側に「鍛治町」「銅町」を置き、鋳物職人を育む土壌を整えました。そこに当時流行した霊峰出羽三山参拝のみやげ物として、この地の鋳物で作られた日用品や仏像などが、全国的に人気を博したのです。

その後、梵鐘や灯籠などの大物や茶の湯釜のような工芸品の生産も可能になりました。
現在、茶の湯釜はその洗練されたデザイン・技術が高く評価され、日本や海外でトップクラスのシェアを誇っています。

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歴史背景の違い2 :藩主が産業育成に力を入れた南部鉄器

南部鉄器は、江戸時代に岩手県南部藩の藩主が、鋳物産業を奨励させるために京都から鋳物師を招いたことが発祥です。元々、この地は鉄が豊富に採れるため、鋳物産業に適していました。はじめは江戸への献上品として茶の湯釜が制作されてきました。

そこから時代を下ると、この茶の湯釜を一回り小さくした「南部鉄瓶」が開発され、湯沸かしの道具として広く親しまれるようになりました。

南部藩は明治になるまで代々続いており、「南部の鋳物師」としても現在まで残っている工房があるほど歴史があります。そのため、工芸品としての鋳物といえば「南部鉄器」が挙がるほどの知名度を有しているのです。

現在、南部鉄器と称されるのは、岩手県の盛岡地区と水沢地区で生産されている製品になります。

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歴史背景の違い3 :実は呼称に特徴が??

南部鉄器と山形鋳物、この呼称の違いに違和感を覚えた方もいらっしゃるのではないでしょうか。実はこの違いは産地と関わりがあります。

南部鉄器の生産地である、岩手県の盛岡地区と水沢地区では、もともと「鉄」が取れました。

一方で、山形鋳物が生産されている銅町は、「鉄」の採取可能な場所ではありませんでした。その代わりに「銅」が取れました。そのことからこの地で生産される製品は、山形鉄器ではなく山形鋳物と呼ばれているということになります。現在でも、「銅町」は日用品「鍛冶町」は工業製品をつくる地域として独自の発展を続けています。


南部鉄器と山形鋳物、どうやって見分ける?

工芸品から機械部品まで多様な鋳物製品をつくる山形鋳物と、南部藩が奨励した茶の湯釜をルーツにもつ南部鉄器では、歴史や成り立ちだけでなく、その製法・外見も大きく異なります。2つの鋳物の違いはどこにあるのでしょうか。それぞれの外観の特徴さえ知ってしまえば、見分けるのは意外と簡単です。


特徴の違い1 :アラレやトンボが特徴。食卓に華やかさ添える南部鉄器

「鉄瓶」と聞いて思い出されるのは、この南部鉄器であることが多いでしょう。表面にぽこぽことした小さな模様がついている鉄瓶です。この模様は「アラレ」や「トンボ」と呼ばれ、型をつくるときに1つずつ模様を入れていきます。

この模様は、「紋様押し」の工程で霰(あられ)押し棒という道具で成形された鋳型で作られます。鉄瓶の見た目を決めるのがこのデザインですので重要な役割を担います。山形鋳物と比べて、華やかで装飾的なのが特徴です。桜や菊などの植物紋様が描かれるものもあります。職人は伝統の模様に拘泥せず、新しいデザインを考え日々進化するニーズに応える努力をしています。


特徴の違い2:モダンなデザインの山形鋳物。魅力の秘訣は「引き算の美学」にあり

山形鋳物は、薄手の生地によるすっきりとしたフォルムと砂目の美しい鋳肌が特徴です。その無駄がないシンプルなデザインは、茶の湯の精神を引き継ぎながらどこの食卓においても馴染むような普遍的な美しさを備えています。近年では、フランスをはじめとする海外においても人気が出ています。


違うからこそ面白い、それぞれの違いを楽しんで

鉄瓶そのものの特性としてどちらにもずっしりとして安定した印象はありますが、南部鉄器と山形鋳物を並べて見比べてみると、その違いがはっきりとします。

表面に特徴的な装飾が施され、置いてあると食卓が華やかになる南部鉄器、「引き算の美学」が光る薄手で繊細、静かな重みを感じさせる山形鋳物。

どちらも古代からつづく人類の叡智が詰まった鋳造技術に、日本独自の技術が練り込まれた「和鋳物」の歴史や伝統を感じさせてくれます。

また、鋳物は、個体で考えても長生きします。祖母や母が使って日が経ち、錆びてしまったものも修理をすれば使える場合もあります。長く使っていくことで、そこに使ってきた人たちの記憶が宿ることでしょう。そうした鉄瓶の「重さ」のようなものもどんどん楽しんでいただきたいです。

現代では、伝統工芸品として、そして、美術品としても、国内外から注目を集めており、後世に残したい鋳物といえます。

忙しない日々の生活の合間にほっと一息お茶を淹れながら、その歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょう。


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