及富
150年の老舗が伝える質実剛健の鉄器
岩手県で長く南部鉄器に携わってきた及富には、もう一つ「宝生堂」という名があります。嘉永元年(1848年)に初代が独立創業した際、「宝生堂 及川富之進」となり、そこから「及富」と名乗るようになりました。
南部鉄器の中でも、茶道具を得意とする水沢に拠点を構え、水沢の南部鉄器の歴史とほぼ同じ長さで、急須や鉄瓶を作り続けてきました。
長い歴史が伝えるのは、高い技術だけではありません。昭和20年代からは、及富の職人が手掛けてきた鉄瓶や茶の湯釜の下絵が集められています。生き物や植物を生き生きと描き、鉄瓶のデザインに活かしてきた職人の知恵と感性は、型としても保存され、今も新たな製品づくりに活かされています。
及富の製品づくりの特徴は、デザイン、鋳造から仕上げ、販売までを一貫して行っていることです。鉄の特性を活かす鋳造、美しさを際立たせる研磨、職人の感性が息づくデザインの中に、及富の職人が追い求める質と美が実現されています。
世界で初めて海を渡った南部鉄器
実は、世界で初めて海を渡った南部鉄器は、及富オリジナルデザインの鉄瓶「かごめ」だそうです。昭和29年にアメリカへ輸出したのを皮切りに、昭和30年にはステーキ皿のオリジナルデザインを企画し、ニューヨークやサンフランシスコの国際見本市に出品しました。今でこそ、ニューヨークやパリをはじめ、世界に認められている南部鉄器ですが、その第一歩はこの及富から始まりました。
その「今にとどまろうとしない」精神は、現代の及富にも受け継がれています。伝統的なあられ模様を使いながら、鮮やかな瑠璃や紅など、和の伝統色で染め上げた鉄瓶は、ほのかなグラデーションを施し、洋の暮らしにも合うたたずまいを生み出しました。
世界に向けて鉄器の魅力を発信し続けようと、進化を続ける老舗メーカーです。
Buyer’s Voice 代表・松澤斉之より
世界のニーズに応えつづける老舗メーカーとしての感性
及富の鉄瓶から感じられるのは、「質実剛健」という言葉です。伝統的な形や柄、デザインを受け継ぎながらも、鉄を知り、鉄を活かしてきたメーカーならではの品を感じることができます。
鉄瓶は急須とは違い、直火にかけて使うため、非常に高い耐久性が求められます。そのため、及富は、強さを保ちつつ、世界中のニーズに応える商品づくりを行っているのです。
SNSを駆使した発信力も素晴らしく、国内外へ向けてしっかりと情報を発信しています。実際に工房に足を運んだ際、注文が殺到し、生産が追いつかないほどの人気があることを実感しました。これは、及富が提供する製品に対する信頼と需要の表れです。
さらに、最近では若い職人たちが集まり、技術を継承しながら新しいアイデアを取り入れています。これにより、伝統的な技術が未来に向けてしっかりと受け継がれていることが感じられます。
発信力とデザイン力、そして常に進化し続ける力が、及富の強みです。これらが融合し、今後もますます注目される理由だと私は感じています。