江戸切子
東京
江戸切子とは
江戸時代から受け継がれる、ガラスの表面に文様を施した工芸品。明治時代、ヨーロッパのカットグラス(切子)の技法を取り入れることで独自の工芸技法が確立した。江戸切子独自の文様は20種類ほどあり、日本古来から身近にある花や植物などの自然がモチーフとされる。2002(平成14)年に国の伝統的工芸品に指定。日本を代表する工芸品のひとつとして、東京都江東区・隅田区を中心に、現代の職人たちがその技術を継承している。
江戸切子の歴史・技術
江戸切子の始まりは1834(天保5)年、江戸伝馬町のびーどろ屋・加賀屋久兵衛が、英国製のカットグラスを真似て、透明なガラスの表面に細工を施したのが始まりとされている。1853(嘉永6)年の黒船来航の時、ペリーへの献上品の中に加賀屋の切子瓶が献上されており、その見事さにペリーが驚いた、という話も残っている。
当時は透明だった江戸切子。今のような色被せガラスが使われるようになったのは、日本のもう一つの切子「薩摩切子」の影響だった。薩摩藩により推進され、ガラスの着色方法を独自に開発してきた薩摩切子だったが、その技術は西南戦争前後に途絶えてしまう。しかし、薩摩切子の職人たちは、江戸へ向かい、江戸切子の職人としてその技術を惜しみなく与えていった。現在に至る、青や赤の被せガラスの技術は、こうして江戸切子に浸透していった。
江戸切子の魅力は、その輝きと細かい文様にある。籠目紋や魚子(ななこ)紋、七宝紋、麻の葉紋など、生活に身近なものを図案化したものが多い。これらを組み合わせて作り出された繊細な文様は、江戸の粋を今に伝える。
江戸切子では、基準となる線や点を割り付けて、その印に沿ってカットを進めていく。職人の目と高い技術力が宿った手のみが、細かな紋様を削り出していくのである。線の太さ、深さ、バランスは職人の経験だけが頼り。しかし、江戸末期に製造が始まって400年、一度も途絶えることなく受け継がれた技術は、迷うことなく、伝統の図案を削り出していく。
凛とした輝きで、日本の食卓を彩り続ける江戸切子。世界に誇る日本のガラス工芸として、世界を魅了し続けていくことだろう。
江戸切子のブランド一覧
山田硝子 / 東京都墨田区
墨田区で三代・80年つづく江戸切子の工房。その魅力は繊細な直線と柔らかい曲線で描きだすオリジナルのデザインが魅力。
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haku硝子 / 東京都江東区
「使ってみたい」と思わせる、日常の中の新しい江戸切子にこだわる職人・三田村義広さん。伝統的な江戸切子の技術を現代に伝える。
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ミツワ硝子工芸 / 埼玉県草加市
昭和46年創業。江戸切子の工房の中でも、多くの職人を抱える工房。次の世代を見据え若い世代と伝統を育んでいる。
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東亜硝子工芸 / 東京都大田区
1960年創業の江戸切子工房。創業当初はウィスキーのボトルなどを製造する工業カットの工場として知られ、その後、江戸切子の制作にシフト。透明感と光の拡がりのために器も選ぶという職人のこだわりは、光の当たり方で変わる江戸切子の新しい魅力を表現し続けている。
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廣田硝子 / 東京都墨田区
廣田硝子株式会社の創業は明治32年。東京で最も古くから硝子メーカーだ。ガラス商品の販売に始まり、製造に携わるようになった。戦前戦後の激動の時代、他社とは違う製品づくりに挑みつづけ、駄菓子を入れる容器や金魚鉢、キリンビールやカルピスの宣伝用グラスの生産など、日本のガラス業界をリードしていった。
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