【伝統工芸の旅】「萩焼」「萩ガラス」の工房へ。萩市の魅力、再発見!(山口県)
全国各地に、その土地ならではの伝統工芸を受け継ぐ工房があり、職人の思いがあります。日本工芸堂の代表・バイヤーの松澤が作り手をたずねる「伝統工芸の旅」。
今回は、古くからものづくりの歴史がある山口県萩市へ。「萩」といえば有名な萩焼の工房と、知る人ぞ知る「萩ガラス」の工房に伺いました。
萩焼窯元「泉流山」と萩焼の里へ
まずは、萩焼の老舗窯元である「泉流山(せんりゅうざん)」さんへ。泉流山の創設は、幕末の志士たちが活躍する少し前の文政9年(1826年)。代々、受け継がれてきた技術を大切にしながら、今も足蹴り轆轤を使用しての成形、薪を使って登り窯で焼成、粘土や釉薬も素材業者に頼らずすべて自社で精製したものを使用しています。
写真下:萩焼窯元 泉流山の登り窯
萩焼そのものは、江戸時代初期に始まり、現在でも伝統的な技術を継承しつつ、新しいデザインや技術の導入にも取り組んでいます。
特に、赤や黄色を基調とした鮮やかな色合いや、釉薬の表情が美しいことがその特徴のひとつ。また、茶道具や花器など、日本の伝統文化に密接に関わる器が多く作られてきました。
写真:萩市内の景色。毛利氏の菩提寺、東光寺前から
萩焼には、器の底の丸い輪の台(高台)に切り込みを入れたものが数多く見られます。「割高台」と呼ばれるこの切り込みの形は一様ではなく、同じ萩焼でもさまざまな形状のものが見つかります。高台に切り込みを入れるようになった由来は諸説ありますが、高台を鑑賞する茶道の習慣から、高台に造形的な変化をつけることによって趣を出そうとしたものだと考えられています。
写真:割高台が特徴的な萩焼
幻の「萩ガラス」をつくる萩ガラス工房
次に訪れたのは、萩市笠山にある「萩ガラス工房」です。
北長門海岸国定公園の中心に位置し、小さな火山である笠山。ふもとの明神池付近から笠山椿群生林があり、工房はその近くに位置しています。
写真:萩ガラス工房があるのは、萩中心部から6kmほどの場所
萩ガラスの歴史は、安政6年(1857年)に始まります。幕末、維新とともに明治へ移り変わろうとする激動の時代に、長州藩士の「中嶋治平」という人物がいました。彼こそは産業の振興奨励として藩に建白書を提出し、当時の最先端技術であった蒸気機関を駆使して、長州藩に硝子産業を興した萩の誇る時代の先覚者だったそうです。
その後、萩硝子は天皇家・公家に献上するにまで品質を向上させますが、激動の時代にあって、わずか数年で姿を消していきます。中嶋治平の死後も長らく復活することはなく、「幻の萩ガラス」として永くその技術は忘れ去られてきました。
1992年に設立された「萩ガラス工房」は、古文書を紐解き、残された中嶋治平の遺品や残存している記録から、この「幻の萩ガラス」の復刻品製作を開始したのです。
写真:店舗併設の工房にて職人さんによる制作を見学
地元「笠山」でのみ採掘される石英玄武岩(安山岩)を原石から精製し、萩硝子を最先端の技術と感性で今に再現した萩ガラス工房。
1520℃という超高温度域で製作しているガラス製品は、他にはない丈夫な硬質ガラスとして高い評価を得ています。
150年の時を超えて、ガラスにかける想いを今に継承しています。
萩ガラスの人気商品
日本工芸堂で取り扱っている萩ガラス工房の商品の中から、代表的なものをご紹介します。
萩ガラス | 玄武岩ガラス | メープルグラス 大 | 萩ガラス工房
萩ガラス | 内貫入ガラス | ロックグラス 角 ブルー | 萩ガラス工房
山口県のその他の伝統工芸
■赤間硯
赤間硯(あかますずり)とは、赤間石(あかまいし)という石英(せきえい)や鉄分を多く含む石を原材料とする硯です。その歴史は古く、1191年、神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮に源頼朝が奉納した硯が赤間硯とされており、12世紀末には生産が始まっていたといわれています。松陰神社(萩市)の御神体は、吉田松陰が愛用した赤間硯になっているなど、多くの幕末の志士に愛用された歴史を持ちます。1976年(昭和51年)に国指定伝統的工芸品に指定。
■大内塗
山口県の伝統工芸品のひとつである大内塗(おおうちぬり)。赤でも黒でもない、深みのある落ち着いた「大内朱(古代朱)」を用いることが特徴のひとつ。室町時代の大名である大内氏の庇護のもとで作られ、重要な輸出品として奨励されたことが始まりといわれています。「大内塗」の代表的な作品として「大内人形」がありますが、漆塗りの人形は全国でも珍しく、山口市の土産物としても人気です。
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