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記事: 甲信越の伝統工芸品10選。風土を活かしたものづくり。

甲信越の伝統工芸品10選。風土を活かしたものづくり。
#伝統工芸の旅

甲信越の伝統工芸品10選。風土を活かしたものづくり。

豊かな自然に囲まれ、寒暖差が激しい甲信越地方。恵まれた自然と気候を活かして、その土地ならではの特徴を持った工芸品が甲信越地方にはたくさんあります。なかでも新潟県は、経済産業省が指定する伝統的工芸品が東京・京都に次いで3番目に多い産地です。今回は、甲信越地方と呼ばれる、新潟・山梨・長野の3県の伝統工芸品を紹介します。

 

越後三条打刃物(新潟)

越後三条打刃物とは、新潟県三条市で作られる金工品のこと。越後三条打刃物は、使用用途に合わせて形状がデザインされているため、最小限の力でカットできる切れ味が特徴です。また、使用分野よって材質も違うので、切れ味が落ちにくく耐久性もあります。

板状の材料をプレス機で打ち抜いた「抜き刃物」ではなく、職人がハンマーで打って形を整える「打ち刃物」なので、お客さん一人ひとりに合わせた刃物を製造します。

越後三条打刃物の歴史は、江戸時代にまで遡ります。もともと農業に必要な鎌や鍬の製造をおこなっていましたが、1625年に三条に在城していた大谷清兵衛が、貧困に苦しむ農民を救済するため、江戸から鍛冶職人を招いたのが始まりです。招かれた鍛冶職人は農民に和釘の製造方法を教え、農家は副業として製造を開始しました。

今では、隣町の燕市と合わせて「燕三条」と呼ばれ、日本を代表する刃物の町として1つのブランドになっています。

 

燕鎚起銅器(新潟)

燕鎚起銅器(つばめついきどうき)とは、新潟県燕市で作られる金工品のこと。鎚起とは、一枚の銅板を鎚で打ち起こすことを意味しており、何度も打つことで立体的な形の銅器を作っていきます。燕鎚起銅器は、表面に光沢があり、使い込むことで生まれる銅の独特な経年変化が魅力です。また、その種類の多さも特徴で、実用性に優れたものから美術工芸品まであります。

燕鎚起銅器は、江戸時代中期に仙台の職人が燕市に訪れ、鎚起の技術を広めたのが始まりとされています。銅器の製造が発展したのは、燕市の西北に位置する弥彦山から質の高い銅鉱石が採取できたことが理由です。当初は、やかんや鍋などの生活用品を中心に製造していましたが、明治時代に入ると彫金技術の導入により、美術工芸品としての要素も加わりました。

 

新潟漆器(新潟)

新潟漆器とは、新潟県新潟市、加茂市を産地とする漆器のこと。新潟漆器の特徴は、なんといっても多彩な塗り技法。「花塗」「石目塗」「錦塗」「磯草塗」「竹塗」など、さまざまな塗りの技法があり、用途によって使い分けられます。

花塗

漆に植物性油を混ぜた朱合漆を使い、上塗りだけで仕上げるシンプルなデザインが特徴。

石目塗

石肌を表現したザラザラとした質感が特徴で、表面が傷つきにくくなっています。

錦塗

麻紐を束ねたタンポで漆を塗り重ねた、不規則な模様を表現する技法。

磯草塗

タンポを回転させながら漆を塗った、波間を漂う海藻のような模様が特徴。

竹塗

竹に見立てたデザインの代表的な技法。漆に砥粉を混ぜた錆で竹の節を成形したり、真菰粉で煤けた表情を作ったりしています。

新潟漆器は、1620年頃に春慶塗や煤掃塗の技法を用いて日用品を製造していたのが起源とされています。1638年には、古町に「椀店」と呼ばれる塗り物の専売地域が定められ、漆器作りが保護されました。また、新潟は北前船の寄港地であったことから、日本全国の物資や文化が集散し、販路が各地に広がりました。

現在、新潟漆器はインテリアや文房具などの新しい製品の開発もおこない、技術の継承だけでなく発展にも取り組んでいます。

 

本塩沢(新潟)

本塩沢とは、新潟県南魚沼市の塩沢地方で作られる織物のこと。塩沢地方は織物の生産が盛んにおこなわれており、本塩沢の他には塩沢紬や夏塩沢などの絹織物もあります。そのなかでも本塩沢は「塩沢御召」の名前で広く親しまれてきました。

本塩沢は、湯の中で揉んで作るシボの風合いと、蚊絣や亀甲絣などの精緻な絣柄が特徴です。

本塩沢の誕生は、江戸時代中期と言われています。古くから織られてきた越後上布の手括りによる絣模様や、湯もみによるシボの技法を絹織物に転用したのが本塩沢の始まりです。

 

甲州水晶貴石細工(山梨)

甲州水晶貴石細工とは、山梨県の甲府市一帯で作られる石細工のこと。豊かな森林と水資源に恵まれた山梨県で生み出される天然宝石は、透明感のある色合いと輝きが魅力的です。動物や龍、仏像など、種類の多さも特徴で、どれも表情豊かで躍動感があります。

また、水晶はガラスに比べて倍以上も硬いため、刃の当たる角度や力加減が少しでも違うとすぐに原石が傷ついたり砕けたりしてしまいます。そのため、高い集中力と卓越した伝統技術を駆使した職人のみが作れる代物です。

甲州水晶貴石細工の起源は、今から約千年前「御嶽昇仙峡」の奥地から水晶原石が発見されたことから始まります。当時は、加工技術が発達しておらず、原石をそのまま置いて置物として使用していました。江戸時代中期に入ると、京都の玉造より職人を招き、金剛砂をまいて手で磨く方法を習得したことが水晶加工の始まりです。

明治時代には「水晶加工部」が設置され、技術研究が進むとともに、より高度な加工が可能になりました。今では、国内・海外問わず多くの人に愛されています。

 

甲州印伝(山梨)

甲州印伝とは、山梨県甲府市を中心に発展した革製品のこと。甲州印伝は、鹿の革に漆で模様を施す独自の技法が特徴。漆で模様付けられた、丈夫で柔らかく軽い鹿革は、使い込むほど手に馴染み、光沢が出て落ち着いた風合いになります。

甲州印伝の特徴である、鹿革が用いられるようになったのは戦国時代。鹿革の丈夫で軽く、肌に馴染む性質が武士から高く評価され、武具に盛んに用いられるようになりました。かの有名な武田信玄も武具に使用していたと言われています。

印伝の名前ができたのは江戸時代。1624〜1643年に渡来した外国人がインドの革製品を幕府に献上し、インドから伝来したとして「印伝」と呼ばれるようになりました。その後、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』(1802〜1809年刊)に「印伝」の記述があることから、江戸時代後期にはすでに多くの人に親しまれていたのがわかります。当時は全国各地で製造されていたと考えられていますが、現在は甲州印伝のみです。

その後も時代の変化とともにさまざまな製品を開発してきた甲州印伝は、今では財布やハンドバック、名刺ケースなど、その種類は多岐にわたります。

 

甲州手彫印章(山梨)

甲州手彫印章とは、山梨県甲府市などで作られている印章のこと。甲州手彫印章の材料には、柘(つげ)や水牛、水晶などが主に使われています。なかでも、水晶の印章はもともと甲州地方で発達していた水晶研磨の技術を活かして誕生しました。

甲州手彫印章の発祥は、御岳山系から巨大で良質な水晶が発掘されたことから始まります。1837年に水晶加工工場が設立されたことで、加工技術は大きく発展。その技術を活かして水晶だけでなく柘や水牛の印章も作られるようになりました。当時の文献には、多くの職人の存在やさまざまな印材の流通についての記載があり、甲州では印章が産業として成立していたことがうかがえます。

現在は、デジタル化にともなって印章の価値や必要性が見直されるようになりました。そのなかで甲州手彫印章は、PCブラウザ・スマホアプリゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」とのコラボ商品を開発するなど、革新的な取り組みにより新しい価値を生み出しています。

 

木曽漆器(長野)

木曽漆器とは、長野県の松本市や塩尻市、木曽郡木曽町で作られる漆器のこと。木曽漆器は、使い込むほどに独特の風合いと美しさが増し、丈夫で使いやすいことから特別な日だけでなく普段使いにもピッタリの漆器です。

木曽漆器には「木曽春慶」「木曽堆朱」「塗分呂色塗」の代表的な3つの技法があります。 木曽春慶塗は、漆を何度も塗り重ねて木肌の美しさを活かした技法。木曽堆朱は、布などを丸めたタンポで何種類もの漆を塗り重ねて斑模様を表すのが特徴。塗分呂色塗は、数種類もの漆を使って幾何学模様を表現し、最後に磨いて艶を出す技法のことです。

長野県塩尻市の恵まれた風土によって、良質なヒノキを使った木地作りが、昔から盛んにおこなわれてきました。17世紀初頭に木曽漆器の制作が始まり、尾張徳川藩の保護によって大きく発展し、江戸と京都を結ぶ中山道を通る旅人のお土産として知られるようになりました。

1998年に開催された長野オリンピックのメダルには木曽漆器の技術が用いられ、日本を代表する工芸品として、世界中に知られるようになりました。今では、普段使いしやすい日用品だけでなく、旅館やホテルの高級な調度品としても親しまれています。

 

信州打刃物(長野)

信州打刃物とは、長野県の長野市一帯で作られる金工品のこと。信州打刃物は、型で抜いて形を作るのではなく、一本一本手作業で打って整形するので、丈夫で優れた切れ味に魅力があります。信州打刃物のなかでも代表的なのが信州鎌。鎌全体の厚さ1/6という極めて薄い鋼や、刈り取った芝が手元に寄ってくる「芝付け」の加工、刃が薄くても手元が狂わないように内側に湾曲を施した「つり」の加工が特徴的です。

信州打刃物の歴史は今から約450年も前に遡ります。戦国時代に勃発した川中島の戦いにともない、武具や刀剣の修理のために多くの鍛冶職人が長野県に移住してきました。移住してきた鍛冶職人から里人が鍛冶技術を習得し、農具を作ったのが始まりとされています。その後も技術は発展し、17世紀初期に鎌作りをしていた職人が「芝付け」や「つけ」の技術を考案しました。

今では、鎌や鍬などの農具だけでなく包丁をはじめとした料理用具など、さまざまな製品を作っていますが、今でも大量生産ではなく、丁寧に一つひとつ打つこだわりは変化しておりません。

 

内山紙(長野)

内山紙とは、長野県飯山市で作られる手漉き和紙のこと。内山紙は、楮を100%使用しており、強靭で通気性や通光性、保湿力に優れているのが特徴です。また、内山紙は積雪の多い奥信濃地方ならではの特性を活かした「雪さらし」という独自技術を採用しています。「雪さらし」とは、楮の繊維を雪にさらし、雪が溶ける際に発生するオゾンによって皮を漂白する方法です。薬品を使わず自然の力で漂白するので、丈夫で長持ちする和紙ができあがります。

内山和紙は、江戸時代初期に萩原喜右ヱ門が美濃国で技術を習得し、内山村に帰郷して和紙を製造したのが始まりとされています。1706年に書かれた信濃国高井郡水内郡郷村高帳の記載から、当時は紙製造が徴税対象の産業だったこともうかがえます。その後、明治42年には最盛期を迎え、製造1130戸、販売175戸、原料供給1354戸にまで拡大しました。

 

恵まれた自然のなかで生まれる伝統工芸品

新潟県・山梨県・長野県の伝統工芸品を紹介しました。伝統工芸品は、恵まれた自然で採れる上質な材料、加工に適した気候、卓越した職人の技術の3つが調和することで、その産地だからこその魅力が生まれます。職人が手作りで仕上げた伝統工芸品を自分の手で大切に扱うことで、さらに深く愛したい気持ちが芽生え、目には見えない魅力が湧いてきます。自分だけのお気に入りを見つけて、生活に少し彩りを加えてみてはいかがでしょうか。

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