
【伝統工芸の旅】土佐龍に通い続ける理由、四万十ひのきと向き合う人たち
最初に工房を訪れたのは、仕入れの検討と取材が目的でした。
まな板の産地として土佐龍の名前は知っていました。四万十ひのきを使った木工品、「木の料理人」という言葉、端材まで使い切るという姿勢。資料として読んでいたことは、訪問前からいくつかありました。ただ、実際に高知へ足を運んでみると、読んでいたことと、現場で感じることのあいだに、思ったよりも距離があることに気づきました。
雨の日の木材置き場
最初に案内されたのは、工房の外に広がる木材置き場でした。
その日は雨が降っていました。屋根のかかった棚の下に、板材が幾重にも積み重なっています。人の背丈を超えるほどの高さに積み上がった板の山が、左右に何列も続いていました。雨の湿気と混じって、ひのきの香りが立ちのぼっていました。
写真を撮りながら、量の多さに少し圧倒されました。一枚一枚の板が製品になるまでに、どれだけの時間と手間がかかるのか。置き場を見ているだけでは、まだわかりませんでした。
丸太の断面を見せてもらいました。半円形に切られた断面が棚に並んでいて、年輪がはっきりと見えます。樹齢70〜80年のひのきを使うと聞いていましたが、年輪の細かさを目の当たりにすると、その時間の重さが少し体に届く気がしました。

木を見極めるということ
工房の中に入ると、作業は静かに続いていました。
職人が機械のそばに立ち、ひのきの板を一枚ずつ確認しながら通していきます。仕上げられたまな板が台の上に積み上がっていきます。工場というより、作業場という印象でした。物と人の距離が近い。
池社長と話をしていたとき、木の見極めについての話になりました。四万十ひのきは油分が多い。だから水を弾く。だから乾きやすい。そういった素材としての特性は、資料でも読めることです。けれど、どの木を使うか、どの部分を製品に回すか、という判断は、数値や説明では伝えきれない部分があるのだ、ということが話を聞いていて伝わってきました。
木を見る目は、時間をかけて培われるものだということを、確かに感じました。

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創業からの話
工房の一室で、創業当時の話を聞く機会がありました。
今でこそ四万十ひのきは広く知られるようになりましたが、最初からそうだったわけではありません。林業の担い手が減り、産地の木が活かしきれていない状況のなかで、土佐龍はひのきの価値を改めて問い直すところから始まった会社です。かつて470社あった林業関連の会社は47社にまで減少し、木材を加工する会社も19社になっていたといいます。
「木は捨てるところがないはずだ」という考え方は、事業の根本にあると感じました。端材も、葉も、製品にならなかった部分も、できるだけ活かす。料理人が素材を大切にするように、木を扱う。「木の料理人」という言葉は、標語ではなく、ものの見方として根付いているのだと思いました。
苦労話を聞きながら、その苦労が製品の背景にあることを改めて意識しました。まな板一枚が暮らしの中にある、ということの意味が、少し重くなる感覚がありました。

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棚に並んだまな板の原型
工房の奥には、さまざまな形の木片が棚に並んでいました。
製品になる前の状態のまな板、削り途中のもの、試作と思われる形のもの。丸いもの、持ち手のついたもの、長方形のもの。壁一面に、静かに立てかけられていました。
ここに並んでいるものが、どの家の台所に行くのか、誰の手で使われるのか。そういうことを思いながら眺めていました。工芸品を扱う仕事をしていると、商品として向き合うことが多くなります。けれど棚の前に立つと、それ以前のものが見える気がしました。

何度か訪れてわかってきたこと
土佐龍を訪れるたびに、池社長や職人の方と少しずつ話が深まっていく感覚があります。
最初の訪問と、その後では、見えているものが変わっていきました。最初は製品と製造工程に目が向いていました。何度か訪れるうちに、素材への向き合い方、ものづくりの背景にある考え方、そしてそれを支えている人の姿が、少しずつ見えてくるようになりました。
四万十という川の流域で育った木が、時間をかけて切り出され、乾燥させられ、削られ、まな板になる。その過程に関わっている人たちと、繰り返し話をすること。それが、産地と長く関わり続けるための、唯一の方法だと思っています。
次の訪問は、また季節が変わったころになるでしょう。あの木材置き場の香りを、また確かめに行きたいと思っています。

※土佐龍、池社長(左)と日本工芸堂、松澤
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