私が工芸の会社を興したわけ
2016年末、東京で日本工芸株式会社(日本工芸堂/JapaneseCrafts Co., Ltd.)を創業しました。
私たちは、日本の工芸品を国内外に届ける会社です。
「日本の工芸、職人の技と精神性・製法・技法に宿るこだわりやプロセスを理解し、商品流通・教育などを通して製品を愛する日本内外の人々に広げていく。」
そんなビジョンのもと、事業を展開しています。
創業のきっかけは?
直接のきっかけは前職・アマゾンジャパンでの経験にあります。私は当時、家の中にある“プラグのない商品”を扱うホーム事業部で、シニアバイヤーとして働いていました。
社内外を問わず、信じられないスピードで変化し続けるアマゾンの事業構造を、中から見てみたいという気持ちもありました。
日々の仕事は、担当カテゴリーの商品を徹底的に集め、流通可能な状態にすること。
膨大な商品をサイトに揃えれば、そこには数多くのお客様が訪れ、購買が進み、結果として売上も伸びていきます。
当時は、まるで“熊手で商品をかき集めるような”日々でした。結果的に、目標の100万SKU(品目数)を大きく超えて、300万SKU規模まで拡大することができました。
そのプロセスのなかで、日本各地の展示会や組合・団体・金融機関とのご縁を通じて、延べ2,000を超えるメーカーの皆さまと商談する機会を得ました。
信金中央金庫とアマゾンとの連携スキームも自ら起案し、地域に眠る魅力的なメーカーさんたちとつながる流れをつくったのです。
やがてメーカー開拓が進む中で、自然と伝統工芸品にも関心が広がっていきました。
週1日だけ本社に出社し、それ以外はひたすら産地や工房を訪ね歩くような日々。砥部焼、旭川家具、九谷焼、土佐刃物、有田焼、小鹿田焼、燕三条など、多彩なものづくりの現場に触れました。
2016年春、青森の北洋硝子で津軽びいどろの現場を見たとき、「これは誰にも代替できない手仕事だ」と胸が熱くなった瞬間を、今でもよく覚えています。(津軽びいどろ玄関前@青森、北洋硝子)
日本中を巡ってみて気づいたこと
現場をまわるなかで、職人さんやメーカーの皆さんが、いかに歴史と誇りを背負ってものづくりに取り組んでいるかを肌で感じました。
色や形、手触りや音——すべてが論理と感性の狭間で組み立てられている。新作の試みや試行錯誤を伺うことも多く、その知の蓄積には圧倒されるばかりでした。
けれども同時に、「この素晴らしさが、世の中にうまく伝わっていないのではないか」と感じるようにもなったのです。
調べてみると、伝統工芸の市場は最盛期の5分の1以下まで縮小しているというデータもありました。
訪れた産地で「この技術を持つ最後のひとり」と言われる職人に出会うこともありました。
その現実を前に、胸の中にわきあがったのは、ただの“もったいない”という言葉では収まらない、静かな怒りのような感情でした。
長い歴史の中で人々の暮らしと共に育まれてきた“用の美”を、未来へつなぐ仕事ができないだろうか——そう思ったのです。
職人さんたちは、間違いなく世界に通じる素晴らしい技術を持っています。
にもかかわらず、特にECやデジタル分野ではまだ十分に発信されていない。お客様の手元に届いていない。
このギャップを埋める役割を、自分が担えるのではないかと思いました。
当時お世話になっていたメンターとも相談しながら、事業案をいくつか検討し、
「まずは仕入れて、丁寧に伝えながら販売する越境EC事業に挑戦しよう」と決めたのが、日本工芸堂の出発点です。
南部鉄器、包丁、曲げわっぱなど、海外からも既に引き合いがあることは産地訪問で実感していました。
また「和食」や「日本酒」が世界的に評価されつつある時代背景も、後押しとなりました。
このとき、自分でも気づいていなかった“深く燃える想い”が、心の奥に灯った気がしました。
文化としての工芸を、誰かが受け取り、また誰かに手渡していく。
その「バトンをつなぐ」役目を、自分が担ってみたい。そう強く思うようになったのです。
元々、工芸が好きだったのか?
正直に言えば、以前の私は工芸にまったく関心がありませんでした。
“検索結果の上から順に選べば合理的”という考え方で、
グラスの手触りや形にこだわることもなく、酒が飲めればそれでいい——そんな人間でした。
むしろ「工芸」と聞くと、どこか気取っていて遠い存在のようにも思っていたのです。
そんな私がなぜ、これほどまでに工芸の世界に惹かれるようになったのか。
それは、自分の目で見て、耳で聞き、手で触れる“現場体験”を積み重ねるなかで、
理屈では説明できない“替えのきかない価値”に気づいたからです。
窯元で交わされた、ある職人の何気ないひと言。
工房の静けさの中に響く、槌音。
火のそばで黙々と作業を続ける背中。
そうしたひとつひとつの風景が、言葉を超えて胸に届いてきたのだと思います。
気づけば、心が動き、身体が動いていた。
理屈よりも前に、“これは大切にすべきものだ”と感じていた——
いま振り返れば、それが私の原点だったように思います。
その原点には、主に3つの軸がありました。
①商品自体の魅力:美しさと機能が共存する「用の美」
工芸品には、日常に使える道具としての機能性と、見た目の美しさが宿っています。
「使うこと」と「見ること」が矛盾せず、ひとつのかたちになっていることに、
私は静かに衝撃を受けました。
たとえば、ある漆器工房でお椀を手に取ったとき、
その軽さと手なじみ、艶やかな光沢の背後にある、
“塗っては磨く”を何十回も繰り返す工程を知った瞬間、
それまでの自分の「商品を見る目」がガラリと変わったのを覚えています。
その後もさまざまな現場をまわり、職人に話を聞き、
「これはどうやって作っているのか?」と質問攻めにするうちに、
20年以上業界にいる方からこんな言葉をいただきました。
「松澤さんの方が、私より産地を多く見てるよ。
昔の伊勢丹のバイヤーも、そんなふうに現場を歩いてたな」
その一言が、妙にうれしかったのを今でも覚えています。
②工芸の背景に宿る物語:地域とともに歩んだ文化の証
工芸品は、単なる“物”ではなく、その土地の自然・歴史・暮らしとともに育まれてきた「文化」です。
土の色、水の質、気候、生活の知恵——すべてが形に反映されています。
歴史が好きだった私は、工芸を辿ることはその土地の時間を旅するようでもありました。
例えば砥部焼の起源を調べていた際、藩の財政を支える手段として焼き物が選ばれたという背景を知り、地域ごとに異なる産地の成り立ちや事情があることを実感しました。
それは同時に、“工芸は生活のため、そして生き抜くために発展してきたのだ”という思いを強くした瞬間でもありました。
その時代、その人たちの選択の積み重ねが、いま目の前にある品へとつながっている。
そう思うと、工芸は過去と未来を結ぶ物語だと感じるようになったのです。
>関連記事:『用の美』と日本人の美意識:ものづくりと自然との対話
③海外への発信:日本の「手仕事の力」を世界へ
工芸には、世界に通じる“日本らしさ”が詰まっています。
トヨタやソニーのような製造業の底流には、
日本人の手先の器用さと美意識の高さがあると私は信じています。
その源のひとつが、まさに「工芸」だと。
たとえば、トヨタがレクサスのブランディングで展開した“TAKUMIプロジェクト”には、
ものづくりの本質が凝縮されているように感じました。
私自身、海外の企業で働いた経験があり、
自国の文化や技術を誇りに思いながらも、うまく伝えられず悔しい思いをしたこともあります。
だからこそ今、私は日本の工芸を“文化のことば”として世界に届けたいのです。
美しさや価値を、言葉を超えて感じてもらえるように。
何をする会社か?
日本工芸株式会社は現在3つの事業を軸に活動しています。
1.EC事業
全国の工芸品をセレクトし、自社のオンラインショップ(japanesecrafts.com)で国内外に販売しています。江戸切子、南部鉄器、曲げわっぱ、九谷焼、竹細工など、職人の想いが詰まった“本物の逸品”を揃えています。
日本工芸堂 日本全国の伝統工芸品と出会える通販サイト 日本全国の職人技を集めたセレクトショップ 日本工芸堂へようこそ。江戸切子、薩摩切子、南部鉄器、漆器、錫器、銅器、竹細工など japanesecrafts.com |
2.プロデュース事業
企業・団体の皆さまが、工芸品やその背景にある文化的価値を活かした事業を展開される際、私たちはその構想段階から伴走し、プロデュースを行っています。
たとえば、企業のビジョンやブランドイメージに即したオリジナル製品の開発、
記憶に残る贈り物のご提案、また、それらを社会へ届けていくための商流やプロモーション設計まで──
“工芸を通じた価値創造”に向けて、企画・製作・流通まで一貫してお手伝いしています。
3.販促支援事業
工芸メーカーや地域の中小企業向けに、ECを含めた販売戦略の設計や運用代行を行っています。「自社ではやりきれないけれど、可能性は広げたい」——そんな声に応え、SNSや越境EC、動画活用などを通じて、“売る力”を届けています。
インスタライブで開催される「日本工芸コラボトーク」の様子
結びにかえて
私たちは、単に「商品を売る」のではなく、
“つくり手の想いを、使い手の暮らしへつなげる”という姿勢を大切にしています。
文化は、伝えようとする人がいてこそ、残っていくもの。
だからこそ私は、工芸を「語り」、そして「贈る」ことで、未来につなぐ挑戦をこれからも続けていきます。