
【伝統工芸の旅】秘窯の里 大川内山──鍋島焼が宿す、静謐と気品の美
日本各地に根づく工芸の里を訪ねる「伝統工芸の旅」。今回は、佐賀県・伊万里市にある大川内山(おおかわちやま)を歩きました。ここは、かつて鍋島藩の御用窯が置かれた“秘窯の里”。
将軍家や大名への献上品として焼かれた鍋島焼の磁器は、静謐な美しさと格式を宿し、今なお職人たちの手によって受け継がれています。創設から350年の節目を迎えるこの地で、文化と美意識が織りなす器の世界にふれる旅となりました。
静けさと格式が息づく山里へ
山あいの静けさに包まれた、佐賀県・大川内山。この地を訪れたのは、鍋島焼創設350年という節目を迎える今、あらためて“磁器文化の源流”を自分の目で確かめてみたかったからです。
今回の旅には、かつて大川内山で15年以上にわたり磁器制作に携わっていた職人の方にも同行いただき、現地の歴史や技術について、道中さまざまなお話を伺うことができました。
波佐見方面からしばらく車で向かい、山がみえてくることしばらくすると、迎えてくれたのは「伊万里・有田焼伝統産業会館」です。伝統工芸品の指定を契機に開館されたこの施設では、焼き物の基本や産地ごとの特徴、色鍋島などの古陶磁から現代作品に至るまでを丁寧に展示しており、まさに“予習”の場としてぴったりでした。
街の中心部に近づくにつれ、橋の欄干や塀の装飾にまで焼き物があしらわれているのに気づきます。静かで気品ある町並みは、日常のなかに工芸が息づいていることを自然と伝えてくれます。
山道を登りながら、同行の職人さんが語ってくれる窯元の系譜や、それぞれの技の違いに耳を傾けるひととき。その時間は、大川内山という場所が単なる観光地ではなく、長い年月をかけて育まれてきた“文化の器”なのだという実感を深めていきました。
写真:画面奥が「伊万里・有田焼伝統産業会館」。手前は「鍋島藩窯橋」
大川内山とは?|御用窯の歴史と“秘窯の里”の風景
大川内山(おおかわちやま)は、江戸時代に佐賀藩・鍋島家が御用窯を築いた、いわば“藩の威信をかけた焼き物の里”です。
将軍家や朝廷、大名への献上品を焼くための特別な場所として選ばれたこの地は、三方を険しい山に囲まれ、関所によって人の出入りが厳しく管理されていました。高い技術を持つ陶工たちが集められ、その技術流出を防ぐためにも、このような閉ざされた地形があえて選ばれたのです。
ここで生まれた磁器は、色鍋島や藍鍋島といった精緻な意匠をまとい、武家社会の格式と美意識を映し出してきました。今もその伝統は受け継がれ、窯元が連なる山の中腹には、凛とした空気とともに、静かで豊かな時間が流れています。
実際に歩いてみると、町の景観はどこか品があり、橋や塀にまで焼き物があしらわれ、細部にまで文化が息づいているのを感じます。ここはただの観光地ではなく、選ばれた職人たちの技と誇りが静かに積み重なってきた、まさに“秘窯の里”と呼ぶにふさわしい場所でした。
両側に窯元が並ぶ、「藩窯坂」
「藩窯坂」途中にある登窯
鍋島焼の歴史|将軍家や諸大名に献上された磁器
鍋島焼の歴史は、江戸時代初期の1675年、佐賀藩・鍋島家が伊万里市大川内山に御用窯を移設したことに始まります。当時、日本で初めて磁器が焼かれた有田の技術を受け継ぎつつ、藩主の所用品や将軍家・諸大名への献上品を専らとする、特別な磁器がこの地で生まれました。それは単なる日用品ではなく、藩の格式や美意識を体現した“選ばれし器”だったのです。
その洗練された意匠と高い技術は、“鍋島様式”として伊万里焼の中でも特別視され、色鍋島や藍鍋島などに代表される精緻な絵付けは、今日に至るまで高く評価されています。
規律正しい工程管理と品質基準のもとで生まれるその磁器は、市場には出回らず、幕末までほぼすべてが献上・贈答用に使われていました。
明治維新による廃藩置県で御用窯制度は解体され、一時は鍋島焼の灯も途絶えかけますが、今右衛門家をはじめとする陶工たちにより、その技法は近代工芸として見事に継承・再興されました。
そして2025年、鍋島焼は創設から350周年を迎える節目の年を迎えます。いまなお脈々と続く美意識の系譜が、ここ大川内山には確かに息づいています。
写真:鍋島藩窯公園への導線にある絵付けされたタイル。あちこちにあり、道を色付けている。
窯元をめぐって─虎仙窯と瀬兵窯、それぞれの美学
鍋島虎仙窯|格式と日常をつなぐ、百年先を見据えたうつわ
今回は日本工芸堂でお取引をさせていただいているご縁もあり、鍋島虎仙窯にご挨拶に伺いました。
鍋島焼の精神を今に伝える代表的な窯元、鍋島虎仙窯。かつて将軍家や大名家に献上されていた格式ある器づくりの系譜を継ぎつつ、現代の暮らしに寄り添う美しい磁器を生み出しています。色鍋島・藍鍋島・鍋島青磁といった伝統の技法を軸に、凛とした佇まいの中にも使いやすさが息づく器たちが印象的です。
伝統を守るだけでなく、使う人の暮らしと美意識に寄り添う器、日本工芸堂では、鍋島虎仙窯の器を多数ご紹介しています。格式とやさしさが調和するうつわの魅力を、ぜひご覧ください。日本工芸堂での取扱品はこちら
写真:藩窯坂の入口近く、鍋島虎仙窯の品々が手に取れる
瀬兵窯|自然とともに生きる、やさしい鍋島焼
瀬兵窯を訪ねたのは、紹介を通じての初めてのご縁でした。古民家を丁寧にリノベーションしたギャラリー兼カフェスペースに足を踏み入れると、時間がゆっくりと流れていくような、やさしい空気に包まれます。窓から差し込む光と、自然素材で彩られた器たち。そのなかでいただいた一杯のアイスコーヒーが、静かで豊かな体験をより深めてくれました。
瀬兵窯の特徴は、自然由来の素材への徹底したこだわりにあります。絵付けには合成顔料ではなく、藍染色や山桃色、蘇芳色などの天然色素を使用。素地の持つ表情をそのまま器に生かすことで、やわらかく、にじむような色彩と手触りが生まれます。
伝統的な鍋島焼に宿る格式の美に、環境との調和という現代的な感性を掛け合わせた、瀬兵窯ならではの表現。焼き物とともに、自然の営みまでも感じられるような器たちとの出会いに、心が静かに満たされていくのを感じました。
写真:大川内山中腹にある瀬兵窯の展示販売所とCafe『響』
夏の風物詩──風に揺れる鍋島の音、風鈴市
夏の大川内山を訪れたなら、ぜひ味わいたいのが「風鈴市」の風景です。かつて「伊万里風鈴まつり」として親しまれていたこの催しは、2025年より「鍋島藩窯風鈴市」として新たな一歩を踏み出しました。
歴史ある鍋島焼の窯元が軒を連ねるこの地で、29の工房がそれぞれの個性を生かした風鈴を軒先に吊るし、訪れる人々を迎えます。今回伺った際には街のあちこちに風鈴が吊るされていました。
磁器ならではの澄んだ音色が、山の風にのってそっと響き渡るひととき。視覚的にはもちろん、耳と肌にもやさしく届くその風鈴の音は、まるで土地の記憶がささやいてくるかのようです。静の工芸である焼き物が、音という動の表現をまとい、道ゆく人の五感に働きかける―そんな不思議な魅力がこの風鈴市にはあります。
窯ごとの風鈴の形や色合いもさまざまで、散策するたびに発見があるのも楽しいところ。目に映る器の美しさだけでなく、音としての“うつわ”を感じられる、まさに夏ならではの旅の記憶となりました。
写真:各窯元の軒先に掛かっている磁器の風鈴
現代の鍋島焼|伝統にとどまらない“つかう美しさ”
鍋島焼と聞くと、格式高い贈答品や飾り皿といった印象を抱かれる方も多いかもしれません。しかし、現代の鍋島焼は、そうした伝統を大切にしながらも、暮らしの中でこそ輝く“つかう美しさ”を追求しています。
もともと鍋島焼は、藩主や将軍家への献上を目的とした器として、武家社会の美意識を体現してきました。整った形、緻密な文様、そして静謐な佇まい─その精神は今も作品に息づいていますが、同時に、現代のライフスタイルに合ったサイズ感やフォルム、実用性への工夫も随所に見られます。
抹茶碗や飾り皿だけでなく、湯呑みやコーヒーカップ、プレートや酒器など、日々の食卓に自然と溶け込む器たち。その絵付けの緻密さは、日々の道具でありながら、どこか一つの美術作品を見るような気持ちにさせてくれます。
気品をまといながらも、手に取るたびに少しずつ表情を変えるそのうつわは、日々の生活にそっと豊かさを添えてくれます。
写真:瀬兵窯にて手に取った刷毛目シリーズのカップ
まとめ─文化は、いまも山に息づいている
大川内山を訪れて、まず心を奪われたのは、その静けさと、どこか気高い空気感でした。観光地として賑わいすぎることなく、今なお“御用窯の里”としての佇まいがしっかりと残されている─そんな稀有な場所に、私は素直に「いつまでもこのままでいてほしい」と感じました。
今回の旅では、大川内山で長く制作に携わってこられた職人の方に同行いただき、窯元の歴史や技術、器に込められた美意識について、丁寧に教えていただきました。「見る」から「感じる」へ─器との関わり方が少し変わったようにも思います。
この山あいの静かな里で、350年にわたり受け継がれてきた鍋島焼。精緻で美しく、どこか“凛”とした佇まいの器たちが生まれる背景には、土地に根ざした文化と、人の手が織りなす確かな技があります。
百年後にも、この場所と器が変わらずにあり続けてほしい、そう思わせてくれる、かけがえのない旅でした。
大川内山には、言葉にしきれない空気と時間が、今も静かに息づいています。
写真:大川内山の各所に陶板。ご一緒した職人さん「若い頃散々描きました」とのこと。
【コラム】伊万里焼?鍋島焼?唐津焼?どう違う?
いくつかの産地が隣り合っているこの地域。佐賀と長崎の主な陶磁器産地と特徴を、自身の理解のためにも整理してみました。
●有田焼(佐賀県有田町)
日本で初めて磁器が焼かれたのが佐賀県有田町。17世紀初頭、朝鮮人陶工・李参平によって開かれたとされ、華やかな絵付けや高い技術で知られます。染付や赤絵など、多彩な意匠が魅力です。
●伊万里焼(佐賀県伊万里市)
もともとは有田で焼かれた磁器が、伊万里港(佐賀県伊万里市)から出荷されたことに由来する呼称。現在では、伊万里市内の窯元による焼き物を「伊万里焼」と呼び、有田焼と区別することもあります。
●鍋島焼(佐賀県伊万里市大川内山)
鍋島藩の御用窯が置かれた大川内山(佐賀県伊万里市)で作られた、藩主や将軍家への献上用の磁器。洗練された絵付けと精緻な造形を特徴とし、伊万里焼の中でも最高級の格式を持ちます。
●唐津焼(佐賀県唐津市)
佐賀県唐津市を中心に焼かれる陶器で、土の風合いを活かした素朴であたたかみのある作風が魅力。桃山時代から茶の湯の世界で重用されてきた歴史ある焼き物です。
● 大川内焼(佐賀県伊万里市大川内山)
大川内焼とは、佐賀県伊万里市の大川内山で焼かれる磁器全般を指す呼び方。中でも御用窯で焼かれた献上品を「鍋島焼」と呼びます。現在は観光地としても知られ、伝統を受け継ぐ窯元が多数存在します。
●三川内焼(長崎県佐世保市三川内町)
長崎県佐世保市三川内町を産地とする磁器で、白磁に繊細な染付が施された端正な意匠が特徴。江戸時代には「平戸焼」とも呼ばれ、将軍家への献上品としても知られました。
● 波佐見焼(長崎県波佐見町)
長崎県波佐見町で生まれた磁器。江戸時代から庶民向けの日常食器を大量生産してきました。近年は若手デザイナーとのコラボレーションにより、デザイン性の高い製品が注目されています。
<参考・関連記事>
・鍋島虎仙窯|日本工芸堂
・鍋島焼公式サイト
・伊万里・有田焼伝統産業会館
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