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記事: 【伝統工芸の旅】高岡編|高岡銅器の街で見た、分業と工芸の構造

【伝統工芸の旅】高岡編|高岡銅器の街で見た、分業と工芸の構造

【伝統工芸の旅】高岡編|高岡銅器の街で見た、分業と工芸の構造

高岡を何度か訪れるうちに、少しずつ見えてきたことがあります。一社を訪ね、また別の工房へ。移動を重ねるなかで、高岡のものづくりは一社で完結していないということが、だんだんと理解できました。

鋳造をする人、着色をする人、仕上げをする人、箱を作る人、デザインへ翻訳する人、届ける人——それぞれが異なる役割を担い、その連なりの中で「高岡銅器」が形になっていきます。今回の旅は、個別の企業を知る旅ではなく、高岡という産地の「構造」を知る旅になりました。


旅のはじまり|雨の金屋町を歩く

高岡に着いた日は、雨でした。

石畳が濡れ、千本格子の家屋がその両側に静かに並んでいます。観光地としての整備が行き届きすぎていない。そのことがかえって、この街の本質を残しているように感じました。格子の向こうに生活があり、路地の奥に仕事がある。工芸が「飾られている」のではなく、「続いている」場所でした。


写真:高岡市金屋町「千本格子の家並み」重要伝統的建造物群保存地区(松澤撮影)

後から調べると、金屋町は1611年(慶長16年)、加賀藩主・前田利長が7人の鋳物師を招聘したことに始まるといいます。高岡銅器の原点ともいえる町並みは、400年以上経ったいまも、生活の気配と工芸の歴史が重なった顔をしています。雨の中でそれを知ると、石畳の一枚一枚が少し違って見えてきました。


般若鋳造所──火と金属、分業の起点

般若鋳造所の工場に入ると、空気が変わります。

写真:高岡市、般若鋳造所工房内(松澤撮影)

炉の熱、金属の匂い、耳に残る低い音。溶けた金属が型に流し込まれ、冷えて固まり、形になっていく。鋳造の現場は、素材と技術と時間が一点に凝縮される場所です。

案内していただきながら気づいたのは、「鋳造して終わり」ではないということでした。型から取り出した後の削り、仕上げ、表面の処理。それぞれに判断と技術が必要で、一つの製品が完成するまでに、いくつもの手が介在します。

「うちは鋳造が専門です。着色は別の会社が担う。箱もまた別」と、当たり前のように話してくださいました。その言葉が、高岡という産地の構造を、もっとも端的に表していたと思います。分業は弱さではなく、それぞれの専門性を深めるための仕組みなのだと、このとき初めて腑に落ちた気がしました。

高岡では、砂や蝋で作られた型に溶かした金属を流し込む鋳造の技術が400年以上受け継がれてきました。仏具から茶道具、現代のインテリアまで、形は変わっても、その根本にある手仕事は変わっていません。そのことを、現場に立って初めて実感しました。


能作──工芸と工場スケールの接点

能作を訪問したとき、その規模に正直、驚きました。

工場の広さ、動いている人の数、整備された見学スペース。「工芸の工房」と聞いて想像する静かな小規模の場所とは、まったく異なる光景でした。それでも、そこで行われているのは確かに、伝統的な鋳造技術に根ざしたものづくりです。

特に印象深かったのは、型の展示でした。鋳造に使われる型は、製品の形そのものを決めるものです。長年使い込まれた木型が並ぶ様子には、技術の蓄積と時間の重みが感じられました。型を作る技術、型を使う技術、そのどちらもが高岡という産地に根づいている。

研磨の工程も見せていただきました。仕上げ前の粗い表面が、段階を経て光沢を帯びていく。その変化は、時間と技術の積み重ねによってしか生まれないものです。

産業としてのスケールを持ちながら、工芸の技術を守り続けること。その両立が、能作という会社の姿に、かたちとして表れているように感じました。


モメンタムファクトリー・Orii──金属に色を宿す

モメンタムファクトリー・Oriiへの訪問では着色という工程が産地の中に占める役割を考えながら、工房を見せていただきました。

金属に色をつけること。それは表面を塗るのではなく、金属そのものに化学的な変化を起こし、光の反射のしかたを変え、触れたときの印象を変える行為です。Oriiの手がける表面の表情は、「塗られた色」ではなく、「金属が本来持っている色」と言うべきものだと思っています。

高岡の分業体制の中で、着色の専門家が担う役割は独特です。鋳造されたものを受け取り、色を与え、次の工程へ渡す。その連鎖の中にこそ、着色専門の職人の仕事が生きています。一つの工房では完結しない。それが高岡のものづくりの姿です。

詳しくはこちらの記事もあわせてご覧ください→ モメンタムファクトリー・Orii 訪問記


KIRIFT/美術木箱うらた──収める技術、守る技術

高岡銅器の産地を歩いていると、ときどき話題に上るのが、桐箱のことです。作品そのものだけではなく、「どう収め、どう守るか」という仕事にも出会います。KIRIFT(美術木箱うらた)を訪問して、そのことをあらためて感じました。

工房には、加工途中の桐板が積み上げられていました。桐箱づくりには、木の選定、乾燥、加工、仕上げまで、それぞれに判断と経験が必要です。印象的だったのは、桐の選定を自ら行い、地域を回って木を見極め、時間をかけて乾燥・製材しているという話でした。

「箱を作っている」というより、桐という素材そのものと向き合っている仕事、という印象でした。

>関連記事:桐箱の特徴と国産、中国産、アメリカ産の違い

一方で、美術木箱うらたは、工芸品のための桐箱製作だけにとどまりません。

自社ブランド KIRIFT では、美術木箱の技術を活かした暮らしの道具を展開しています。日本工芸堂でも継続的に人気のブランドですが、工房でお話を伺うと、自社ブランドとしての強い意識やプライドが伝わってきました。桐箱づくりの技術を土台に、桐という素材の可能性を現代の暮らしへ広げようとしているブランドでもあります。

高岡銅器を語るとき、鋳造や着色に目が向きがちですが、作品を守り、届け、その価値を支える仕事もまた、産地の一部です。


KISEN/四津川製作所──暮らしへの翻訳

KISEN(四津川製作所)のショールームに入ると、それまで見てきた工場や工房とは異なる空気がありました。

整えられた空間に、製品が静かに置かれています。鋳銅の質感を持ちながら、現代の暮らしの中に自然と置けるプロポーションのものたち。伝統的な技術が、現代のデザインに翻訳されているというのが、正直な印象でした。

「工芸らしさ」を保ちながら、現代の生活空間との接点を作ること。その難しさは、実際に見てみると、より鮮明に感じられます。工場の現場とショールームの空間の間には、大きな距離がある。その距離を埋めていく作業もまた、ものづくりの一部です。

高岡銅器の歴史は長い。しかし、それは過去の話ではなく、現在進行形の話でもあります。伝統の技術を現代の文脈に届ける存在がいることで、産地の技術は次の時代につながっていきます。


松美堂と歩いた、高岡の「構造」

今回の訪問には、ひとつの出発点がありました。

松美堂の方から、
「高岡という産地を理解するには、一社だけでは見えないんです。一緒に回りましょう」
と声をかけていただいたことです。

鋳造、着色、桐箱、現代デザイン——専門性の異なる工房・企業を5社ほど、まる一日かけてご案内いただきました。最後は、高岡大仏にも立ち寄りました。移動しながらの会話が、訪問の見え方を少しずつ変えていきました。

一社だけを深く知ることと、産地を横断して見ることは、まったく異なる理解を生みます。
鋳造の現場を見る。着色の工房を見る。桐箱づくりの仕事を見る。現代の暮らしへ翻訳されたプロダクトを見る。個別の点として見ていたものが、移動を重ねるうちに線でつながり、少しずつ立体的な構造として見えてきました。

高岡のものづくりは、一社で完結しているわけではない。それぞれが異なる専門性を持ちながら、街の中でゆるやかにつながっている。その感覚は、一社だけを訪ねていては、おそらく見えてこなかったものだと思います。

松美堂が産地の中で担う役割も、その構造の一部です。作られたものを必要な人に届けること。ものづくりの現場から少し距離があるように見えて、実は産地の存続と深く結びついている仕事なのだと、この日の移動を通じて感じました。


おわりに──工芸が「街の構造」として存在すること

高岡の旅を振り返ると、多くの「役割を持った人」に出会った旅だったと思います。

着色する人。鋳造する人。削る人。箱を作る人。デザインへ翻訳する人。届ける人。

「高岡銅器」という言葉の背景に、これほどの役割と技術と人が存在していることを、今回の旅で改めて実感しました。一社完結では成り立たない産地の仕組みは、それぞれの専門性が深まることで、一社では到達できない質を生み出しています。

金屋町の石畳を雨の中で歩いたとき、何かが始まりそうな予感がありました。その予感は、訪問を重ねるうちに、具体的な形を持って見えてきました。高岡は、工芸が「展示されている場所」ではなく、工芸が「街の構造として機能している場所」でした。

その構造は、400年かけて積み上げられてきたものです。それを知ってから手にする高岡銅器は、以前とは少し違って見えるかもしれません。


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