
【伝統工芸の旅】常滑焼の急須と登窯の記憶─常滑の工房を訪ねる工芸の旅
日本各地には、その土地ならではの伝統工芸が根づき、職人たちの手によって受け継がれてきました。日本工芸堂の代表・バイヤーである松澤が作り手をたずねる「伝統工芸の旅」。
今回訪れた常滑焼の町に息づくのは、暮らしに寄り添う道具と、それを生み出す静かな情熱でした。
千年の歴史を持つ常滑焼。その中でも急須は、日々の所作に溶け込む美しさと確かな使い心地を併せ持つ道具として、いま改めて注目されています。やきもの散歩道に残る風景、登窯の記憶、そして職人の手しごとにふれた時間を通して、“用の美”とは何かをあらためて考える機会となりました。
道具を選ぶという行為の先に見えてくるのは、ただの形ではなく、その背景にある時間や風景。そんな気づきをくれた、静かで豊かな旅の記録です。
目次
はじまりの一歩─空港に降り立ち、土の町へ
常滑焼の急須を訪ねて、愛知・知多半島へ向かいました。今回の訪問は、知人の紹介でご縁をいただいた地元の卸業の方にアテンドしていただきました。常滑焼の「用の美」を今日の暮らしにどう活かすか、産地の未来を見据えながら活動されている姿勢が印象に残っています。
中部国際空港に降り立つと、担当者の方が迎えに来てくださり、そのまま車で常滑の里へと向かいました。空港からわずか数十分の距離で、「焼き物の町」に足を踏み入れるという不思議な感覚でした。
目的地は、常滑焼の急須で知られる窯元──玉光陶園。その前に、やきものの町を歩いてみることにしました。
写真:玉光陶園での制作現場、工房にて常滑焼の取扱品一覧はこちら
やきもの散歩道を歩く─登窯と、優しい風のなかで
昭和初期ごろ最も栄えた窯業エリア──やきもの散歩道。レンガの煙突や土管坂、古い登り窯などが今も点在し、当時の面影を静かに伝えています。
1887年に築かれ、1974年まで実際に使われていた登窯「陶榮窯」(以下、写真)は、日本で現存するものとしては最大級の規模を誇ります。8つの焼成室と10本の高さの異なる煙突が傾斜に沿って連なるその姿には、火と土の記憶が静かに息づいていました。
通りにはギャラリーやカフェ、雑貨店なども点在していて、平日にもかかわらずデートや親子連れでにぎわっていました。写真愛好家らしい人たちが静かにカメラを構える姿も印象的でした。観光地というよりも、日常に工芸が息づく場所だと感じました。
窯元の手しごとにふれる─ 一貫製作の力強さと静けさ
この日訪れたのは、玉光陶園を含む3つの窯元。それぞれ異なる製法や設えを持ち、常滑焼というひとつの枠の中に、多様なものづくりの姿勢が息づいていることが伝わってきました。
いずれの工房も、一貫して制作を行っている点が共通しており、ろくろによる成形や焼成、仕上げといった工程を、職人が手仕事で丁寧に進めていく様子を見ることができました。分業ではなく、土と火を一人の作り手が見つめながら形にしていく姿からは、技術の積み重ねと向き合う真摯な姿勢がにじみ出ていました。
この旅では、「鋳込み」と呼ばれる成形技法にふれる機会も持ちました。土を泥状にしたものを石膏の型に流し込み、型が水分を吸うことで内側の土だけが固まります。余分な泥を流し出すことで中が空洞になり、器や急須などが形づくられていくのです。
一定の厚みと形状を安定して再現できるため、急須の本体や複雑な意匠を伴う器などにも多く用いられているといいます。
鋳込みによる制作と、ろくろ成形による制作──工程も質感もまったく異なる二つの技法を、それぞれの工房で見ることができました。型を使うことで量産や精度が求められる用途に応える鋳込みと、手の感覚で一つひとつ表情を生み出すろくろ。
どちらの方がいいとか優れているということではなく、それぞれの特徴が活かされる場面が異なり、つくり手と使い手のあいだにある“選びとられる理由”が、技法にも宿っているのだと感じました。
あとから写真を見返すと、それぞれの窯で流れていた空気や道具の佇まい、職人の手の動きが、記憶の中に静かに残っています。
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写真:”セラメッシュ”を手を濡らして接合部分に馴染ませていく
技と想いの交差点─玉光陶園との出会い
そして訪れたのが、三代続く窯元・玉光陶園です。ここでは、朱泥を用いた急須を見せていただきました。還元焼成によって黒く仕上げる“黒泥”も手がけているとのことですが、この日拝見したのは、赤みを帯びた素地のまま仕上げた朱泥の急須でした。
いずれも常滑独自の陶製茶こし「セラメッシュ」を本体と一体化した構造で、金属臭を抑え、お茶本来の風味を引き出す工夫が詰まっていました。
職人の方はとても気さくで、土について、製法について話していたかと思えば、左手で不意に塊を握り、何げなく形成し始めました。そして、ろくろにのせて手を添えると、あっという間に急須のかたちになっていく──その変化の滑らかさに、ただ見惚れるばかりでした。
実際に完成した急須を手に取って感じたのは、「自分の親に贈って、毎日使ってもらいたい」と思える道具だということです。見た目の美しさだけでなく、実用性や触り心地、使い手の時間に寄り添う静けさがありました。特別に主張するわけではないけれど、そっと日々に寄り添ってくれるような、“その気を衒わないちょうどよさ”に惹かれたのを覚えています。
<玉光陶園の工房に伺った際に撮影させてもらいました>
常滑焼の紹介ページはこちら
まとめ。一杯の茶を思い浮かべながら
帰りは名古屋駅へ。常滑から電車に揺られて約40分、車窓に流れる景色をぼんやり眺めながら、今回の旅をゆっくりと振り返りました。
こうして選んだ急須を、自宅でお茶を淹れるたびに思い出します。土の町の空気、職人の手の動き、登窯の煙突、やきものの町の優しい風──それらが、ゆっくりと湯の中に溶けていくように感じられます。
急須を選ぶという行為は、単にモノを選ぶのではなく、その背景にある風景や時間を持ち帰ることなのだと、改めて感じた旅でした。
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