鈴甲子 雄山
100年の職人魂が作る
「今」飾ってもらえる甲冑
鈴甲子の始まりは、今から100年以上前の明治時代です。五月人形の道具を作る職人からはじまりました。当時作成していたのは陣道具です。太鼓や弓、太刀などの制作が主だったといいます。そこから甲冑づくりへ制作の幅を広げ、技術を磨き、受け継ぎながら4代続く甲胄師として今に続いています。
中でも得意としているのは、本物の甲冑をリアルに復元した甲冑。重要文化財の伊達政宗公兜や国宝の源義経公赤糸縅鎧など、歴史ファン、甲冑ファンならずとも一度は目にしたことのある甲冑を復元している。今のようにインターネットで簡単に画像が手に入る時代ではありません。甲冑を保管している寺社仏閣の宝物殿を訪ねては、デザイン、作り、色合いなどを見て、何枚ものスケッチを取り、再現していったといいます。
そこで磨かれた技術は、五月人形の甲冑にも生きています。リアル感を追求し、3分の1、6分の1に縮小した甲冑は、どこから見ても完成度の高い作りです。5人の伝統工芸士が、それぞれの得意分野を活かして作り上げる甲冑は、五月人形としての魅力以上の存在感を放ち、注目を集めています。
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「憧れ」を形にする現代の節句人形
「節句人形は“憧れ”の象徴」と語るのは、4代目鈴甲子雄山氏。もともと、五月の節句に人形を飾る文化が生まれたのは江戸時代。初陣を飾る長男に鎧を仕立てるという文化に憧れた町人たちが、自分たちの子供にも甲冑を、と始めたのだといわれています。
時代は移り、五月人形を持つことへの憧れは薄まりました。「それでもどこかにその人形を買ったことで得られる喜び、憧れが満たされる気持ちみたいなものを、感じてもらいたいと思っています」と雄山氏は言います。
今の時代にマッチした「憧れ」の人形。それが形になったのが、牛革を素材にしたアンティーク調の「Armadura」シリーズや、木目の人形にナチュラルな色合いの甲冑を着せた「タンゴ侍」。
多様化するニーズに合わせながら、それでも、重厚感を感じさせ、見る人を魅了する現代の節句人形たち。「毎年なんらかの驚きをもってもらいたい」という雄山氏の想いと、甲冑へのこだわりが作るのは、今の生活スタイルや価値観にもあった「新しい憧れ」の形かもしれません。
Buyer’s Voice 代表・松澤斉之より
時代の変化の中で、
生きる道を探る4代目の伝統工芸士
節句人形という業界は、非常に厳しい。人形は際物と呼ばれ、ある一定の時期しか販売されない。しかも甲冑づくりは総合工芸。金工、革細工、組紐などそれぞれに高い技術が必要で、一人で全てを作ることはできない。専門の職人が、分業でいろいろな部品を作り、それをくみ上げていくものだ。大きな五月人形が売れなくなっていく時代、部品を作る職人は少しずつ減っている。
鈴甲子雄山氏に会ったのは、クラウドファンディングで発表した名刺入れ「SAMURAI holder」を一緒に開発した工房の方の紹介だった。このプロジェクトも縮小する人形業界に新たなニーズを作りたいという思いから始まったものだ。
高齢化が進み、職人が減っていく危機感は、雄山氏も感じていた。「部品を職人がいなくなり、自分たちで作らなければならない部品もかなり増えました」。雄山氏はそう言っていた。だからこそ、今ある時代で自分のできること、生きる道を探し、いろいろなことにチャレンジしている雄山氏には共感を覚えた。
「自分が欲しいもの、作りたいものを作っているんです。大変ですが、楽しいんですよね」。人形業界には厳しい時代を乗り越えようとアグレッシブに動いている雄山氏の印象的な言葉だ。職人も自分も楽しみながら、若い人、女性の声も聞いて新しい「憧れの節句人形」を作り出す。その基本にあるのが「楽しい」であれば、もっと面白いものも出てくるだろう。どんなものが出てくるのか、楽しみだ。
日本工芸youtube /工芸イノベーターインタビュー
日本工芸コラボトーク
【日本工芸コラボトークvol.5】時代を捉えた甲冑の新たな可能性について
江戸節句人形株式会社鈴甲子、5代目鈴木雄一郎さん