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記事: 大谷焼とは?徳島のおしゃれな伝統的工芸品の窯元と作り方

大谷焼とは?徳島のおしゃれな伝統的工芸品の窯元と作り方
#工芸を知る

大谷焼とは?徳島のおしゃれな伝統的工芸品の窯元と作り方

「寝ろくろ」でも知られる大谷焼は特徴である大型陶器だけでなく、普段使いできる皿や器・茶碗も作られています。本記事では、大谷焼の歴史に触れながら、その特徴や伝統技法、作り方をご紹介していきます。また日本工芸堂スタッフが思う大谷焼の魅力も御紹介しています。ぜひご覧になってくださいね!

大谷焼の概要

大谷焼は徳島県鳴門市大麻町において、約230年の歴史がある徳島を代表する焼き物です。
平成15年に経済産業省の伝統的工芸品に指定されました。

土は鉄分を多く含み、ざらっとした土の風合いにかすかに金属的な質感が特徴で、素朴で力強さや雄大さを兼ね備えた焼き物です。大谷焼の土は地元で採掘できる「萩原粘土」や「姫田粘土」「讃岐粘土」を主原料としています。どの土も堆積粘土で鉄分が多く含まれています。

大谷焼の伝統技法「寝ろくろ」は大人2人でも入れる大きさである大甕や鉢など大物陶器を製作する際に1人が足でけってろくろを回して、1人が粘土を細工し、2人でろくろを回します。成形する人の力の入れ具合を見ながら蹴るリズムや速さを調整するので、お互いの呼吸を合わせる必要があり、まさに熟練の技が求められます。また大型陶器を焼き上げるための「登り窯」(のぼりがま)の大きさは日本一といわれているのも特徴のひとつです。


イベントとしては毎年11月第2土曜日・日曜日に東林院境内において、6窯合同の「陶器市・大谷焼窯まつり」が開催され、多くの人で賑わっています。鉢や食器、小物、そして人気商品である来年の干支などの大谷焼製品が、普段よりもお得に販売されます。


大谷焼の歴史

お遍路が伝え、藍商人が再興させた大谷焼

今から約230年前、九州生まれの焼き物細工師・文右衛門によって伝承されました。
彼は四国八十八カ所霊場の巡礼の途中、大谷村を訪れ、ろくろ細工を披露し、赤土(あかつち)で焼き上げたことが始まりだと言われています。

当時阿波国では焼物は極めて珍しく、その技術が評判を呼び、徳島藩主・蜂須賀治昭公(はちすかはるあき)が1781年に大谷村に藩が経営する窯が築かれ、阿波国で初の染付磁器が誕生しました。しかし原材料費がかさみ、わずか3年後で窯は閉鎖されました。

1784年になると、徳島の名産品「藍」の商人であった賀屋文五郎により、大谷村に「連房式登窯」(れんぼうしきのぼりがま)が民間の窯として築かれました。過去の失敗を受けて原材料費を削減するために、陶土や釉薬(ゆうやく)などは地元から調達したと言われています。この登り窯で、信楽焼の職人を雇って技術を取得した納田平次平衛を中心に、「登り窯」で陶器の生産が開始されたことが、大谷焼の原型となっています。

明治時代には徳島で有名な「藍染」に使用される、「藍甕(あいがめ)」を多く産出しました。しかし藍染が廃れていくにつれ大甕の需要も減り、窯元では日用品などの小物を多く作るようになりました。様々なニーズに応え続け、多様な形の陶器を生み出してきたのが大谷焼です。

最盛期は数十軒もの窯元が存在したと言われていますが、現在続いているのは6軒のみとなっています。

藍甕の制作

大谷焼の活用方法

最近は大甕や鉢だけでなく、マグカップや茶碗など日常で使える食器やインテリア製品など多種多様に作られています。大谷焼の多くには貫入(かんにゅう)と呼ばれる亀裂のような模様が表面に見えることがあります。

貫入とは陶器が焼かれた後の冷えていく過程で、本体の素地と釉薬の収縮度の違いにより、釉薬がヒビのような状態になって固まる現象です。日常的に使ってゆくうちに変化する貫入の模様が、愛着のあるものになっていくのが魅力的です。


日本工芸堂スタッフが大谷焼の魅力と特徴を語る

記事を書いている日本工芸堂スタッフは、日常的に大谷焼を使っているほどお気に入りの工芸品です。実際に使って気づいた”大谷焼の魅力”を今回3点紹介します!

・愛着の印でもある”貫入”
釉薬がヒビのような状態に固まった状態のことをいいます。釉薬の量や焼き上がり方で、貫入の入り方も異なりますので、個性のひとつだと思います。さらに貫入はコーヒーや紅茶など色もあるものを入れると、その貫入の箇所に色がつくこともあります。
このように長い間使用していくことで、変化する模様はまるで「焼き物を育てる」感覚になります。貫入による経年変化を楽しみながらも、愛着ある食器になっていくのは魅力のひとつです。

・土から全て手作りされた大谷焼
鉄分を多く含んだざらっとした土を使った大谷焼は、持ったときに少しずっしりとした感覚があります。しかし同時に土から手作りで出来上がった、温かみも感じられます。地元の土を使用し、伝統技法が陶芸家によって守り続けているからこその味わいなのかもしれません。

・ジャパンブルー
徳島の特産品である「藍染」ですが、海外から「ジャパン・ブルー」と称えられ、日本を象徴する色とも言われています。そんな世界に通じる日本の色を大谷焼でも表現されています。深く奥行きのある藍の発色は特に明るい色のお料理を引き立て程よいアクセントとして食卓を彩ります。料理と器が最高の調和を生み出す魅力も大谷焼にはあります。


大谷焼の作り方

1採掘・粉砕
姫田や萩原、讃岐の土を採取し、乾燥後させ細かく打ち砕きます。少なくとも1週間は要します。

2.篩(ふるい)
砕いた土を、篩にかけ、不純物を取り除きます。

3.水簸(すいひ)、
精製後の土を、水槽でさらに篩にかけます。その後陶磁器の原料となる「陶土(とうど)」が沈殿し、ねんど上の固さになるまでしばらく置きます。陶器の土は本当に土と水だけでできているのがわかり、改めて土の凄さを実感します。


4.土練(つちねり)
まず「荒練り」(あらねり)を行います。土の柔らかさを均一に整えるために職人が陶土(とうど)の上に職人が足で踏みつけます。その次は「菊練り」(きくねり)を行います。手で揉んで粘土の中の空気を抜きます。ここでようやく製品を作る土が完成します。

5.成形
粘土をろくろに乗せて、手で形を作ります。
甕(かめ)や鉢など大型陶器を製作するときには、大谷焼の伝統技法「寝ろくろ」で職人2人1組となって形を作っていきます。現在は電動ろくろを使用することにより、同じ大きさの製品を数多く生産することができるようになりました。

6.乾燥
成形後は約2日〜7日程度、室内乾燥を行います。大型陶器を製作する際は、およそ20日かけて陰干しをします。次に屋外乾燥を24時間行います。大型陶器を製作する際は、2日〜3日程度かかるそうです。

7.施釉(せゆう)
施釉(せゆう)には、3つ方法があり、素焼きをせず釉薬をかける方法「生掛け(なまがけ)」が一つ方法としてあります。他にも「流しかけ」「浸しかけ」などの技法を使い、さまざまな釉薬をかけていきます。この工程をすることで器が丈夫になりますし、様々な色で焼けるようになります。

8.素焼き
約800度前後の炉で8時間〜16時間かけて行われます。

9.窯詰(かまづめ)
施釉の済んだ製品を窯の中に整然と並べていきます。

10.焼成(しょうせい)
約1230度前後の炉で製品を焼き上げます。
窯には「登り窯」「電気窯」「ガス窯」の3種類があります。登り窯では5日〜6日間の焼成中ずっと火守りをする必要があります。しかし現在は電気釜・ガス窯が多く、焼成期間が1日〜2日間ということもあって、職人の手間も少なくなりました。

11.検品・完成
欠けや亀裂などがないか不良品を確認し、完成です。

 

代表的な窯元

合同会社大西陶器

大西義浩さんと大西直紀さんによる窯元です。徳島らしさである藍を感じさせる、ジャパンブルーの器を多く制作されています。ずっしりとした風合いの大谷焼”らしさ”を残しつつ、若い世代にも響くようなデザイン性も兼ね備えています。また軽やかさや薄さといった使いやすさも大西陶器は追求しています。

梅里窯(うめざとがま)

陶芸会館として前代表、森悦光氏の父春本三次郎氏により創設されました。穴窯やガス窯や電気釜と多様な窯があり、同じ釉薬でも焼き方でも別の色になり、多種多様な焼き味が味わえます。同窯元の陶芸家である森裕紀大谷焼伝統工芸士はTV番組で陶芸チャンピオンになったこともあり全国各地へ知れ渡るようになりました。彼は使うための機能性を追求するようになり、絶対に滴らない醤油さしや驚くほど軽く持ちやすく口あたりの滑らかな究極のコーヒーカップも生み出しました。

田村陶芸展示館

国指定有形文化財である、幕末時代の「登り窯」が現存している唯一の窯元として広く知られています。納田窯は初代平次兵衛以降六代に渡って、大谷焼窯元として続いていました。7代目である田村基蔵が、納田窯を継承元山窯として改窯し、10代目である田村浦栄一郎さんとまで引き継がれ、現在に至ります。他の窯元とは異なり、土に金属を施したラスター彩という装飾技法を取り入れています。従来の伝統的な大谷焼の技法を守りつつも、大谷焼で日本の新しい器を作ることをコンセプトに製作されています。また料理と器の美しい最高の調和を目指し、全国のレストランから世界中を旅する豪華客船や観光列車など異業種とコラボも行っています。

佳実窯(よしみがま)

3代目の瀧野佳宏さんは大谷焼陶業協会の会長も務め、陶暦は25年以上にもなります。ここの土は絹ごしのような滑らかさをもち、その先にしなやかな造形が生まれることが特徴です。また佳実窯は「中国の古陶を再現してみたい」と辰砂(しんしゃ)の赤や釣窯(えんしょう)の淡青にも挑み、独特な色合いで表現されています。

「辰砂」とは顔料として古くから用いられている鮮やかな赤色をした鉱物で、鈞窯は青みのある白釉(はくゆう)のかかった陶器の総称と言われています。現在は食器やコップだけではなく、オブジェやあまえびの置物も製作され、大谷焼らしい力強さと同時にやすらぎを与えてくれる窯元です。

森陶器

4代目当主である森行雄さんと5代目・森崇史さんの窯元である「森陶器」は、土も釉薬も地元である大麻町の材料で製作し、ひとつずつ丹精込めて手造りしています。森陶器には国の有形文化財に登録されている「登り窯」があり、奥行き7.4m幅2.8m日本最大の大きさになります。

登るのも窯の中を見学するのも自由で敷地を埋め尽くす大甕(おおがめ)の景観に圧倒されること間違いなしです。静けさが漂う窯の中に耳を澄ますと水琴窟(すいきんくつ)という音も楽しめますので、現地にいったらぜひ体験してみてください。

一番大きなサイズの大甕は約900リットルの容量があり、製作には「寝ろくろ」が使われます。今では窯元6軒のうち、大物を作っているのは森陶器ともう一軒のみだそうです。伝統技法を守りながらも、現代のニーズに合わせた日用品などの小物を多く作り、幅広く大谷焼きの魅力を伝えている窯元です。

 

大谷焼ジャパンブルーをコレド室町で発信

2022年1月に大谷焼の展示販売のサポートを行いました。
コロナ禍ということもあり、なかなか現地へ足を運べない中、気軽に徳島の工芸品に触れる機会を創出させました。大谷焼の代表でもある「大甕」はもちろん、日常使いもできる食器やカップ、アクセサリーなど多種多様な製品が販売されました。

大谷焼を知らなかった方々も、徳島県が誇る「藍染」の色をした製品たちに魅了され、展示販売は賑わいを見せていました。また週末には大谷焼の絵付体験も行い、幅広い年代に楽しんでいただけました。

当社、日本工芸株式会社と接点(上記、展示販売初日に準備後集合写真)

日本工芸堂スタッフおすすめ!おしゃれな大谷焼

 

おしゃれな大谷焼:マグカップ

土の温かみが感じられるカップは手に優しく馴染むようになっており、温かい飲み物や、ヨーグルト、スープなどを少しだけ楽しみたい時にぴったりのサイズになっています。
また全て土から手作りのため、焼き上がりによって全て色合いに個性があります。世界に1つだけのマグカップとの出会いをお楽しみください。



おしゃれな大谷焼:コーヒーカップ&ソーサー

大谷焼の特徴である素朴さや土の温かみが、ゆったりとした時間を演出してくれることでしょう。ソーサーは小皿としてもお使いいただけるので、焼き菓子や1人分のカットフルーツを盛り付けるのにもピッタリです。ぜひ手作りの良さを感じられる器をお楽しみください。


日本工芸堂スタッフの現地レポート!大谷焼を訪れる

高松から鉄道で入り、大谷焼の里を訪れました。簡易に動画をまとめました、雰囲気をご覧いただけます。

 

徳島県の工芸品

・阿波和紙(あわわし)
徳島県吉野川市、那賀郡那賀町、三好市池田町で作られている和紙です。特徴は、手漉き(てすき)ならではの肌触りと、生成(きなり)の風合い。そして、薄くても水に強くて破れにくい丈夫な紙質です。

・阿波正藍しじら織(あわしょうあいしじらおり)
徳島県徳島市で作られている綿織物です。阿波で生産されていた「しじら織」を「阿波藍」で染めたもので、伝統的工芸品に指定されています。シボという独特の凹凸がある綿の生地で、縦糸と横糸の張力差により生み出されています。シボがあることで肌触りがよく、軽くて着やすいため、夏に重宝されています。