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記事: 越後三条打刃物とは?

#工芸を知る

越後三条打刃物とは?

新潟県の中央部に位置する三条市。この街にある法華宗総本山本成寺では、毎年2月に「鬼踊り」と呼ばれる行事が60年以上に渡り行われている。本堂を大暴れする鬼たちが手にしているのは、鋸、斧、なぎなたなどの刃物。それは、三条の民衆の暮らしを支える鍛冶職人たちが作り続けてきた伝統の刃物の姿だ。

古くから地場産業の根幹を担ってきた越後三条打刃物は、高度な自由鍛造技術を受け継ぎながら、包丁、鉋(かんな)、鑿(のみ)、木鋏(きばさみ)、鎌など現代の生活を支える逸品を生み出し続けている。


農家の生活を支え、江戸の建築を支えた「和釘」

打刃物とは、金属を叩いて形を整えた、日本古来の技術による刃物のこと。三条市では、古代から鉄が作られており、地域の農業に必要な、鎌や鋤などの農具を製造してきた。

その技術が大きく広がったのは、江戸時代のこと。1625(寛永2)年、代官の大谷清兵衛が、毎年発生する信濃川と五十嵐川の氾濫のために収穫を失っていた農民を救済するため、農閑期の副業として和釘づくりを奨励したことに始まると言われる。

1657(明暦3)年、江戸では「明暦の大火」が起こり、膨大な和釘の需要が発生。これを受け、三条では鍛冶を専業とする職人があらわれ、三条市周辺に鍛冶集団ができあがったのである。その後、金物を扱う商人により製品は江戸へ運ばれるようになり、特に「和釘」は江戸の多くの建築物に活用されていった。

高い「和釘」製造技術は今も受け継がれ、1993(平成5)年の伊勢神宮の式年遷宮では、伊勢神宮からの依頼を受け、和釘約68,000本、金具24種約13,500組を奉納している。


利用者のニーズを活かしながら、成長し続ける職人の技

越後三条刃物の特徴は、高度な鍛造技術である。金属の形を自由に変えながら、強度が高まるよう、金属内部の隙間を潰していくことで、摩耗しにくいという性質も兼ね備えている。その技術は、一朝一夕に習得できるものではなく、繰り返しミクロ単位の歪みを調整していく作業を繰り返すことで、受け継がれていく。

しかし、職人たちは伝統技術の継承だけでなく、使う人の要望に応え、新しい技術を取り入れることで、技術を成長させる、という姿勢を忘れない。江戸時代には、三条刃物を販売する商人たちが語る、販売先の関東で聞いた消費者のニーズや、新商品などの情報から、鑿(のみ)や鉋(かんな)などの大工道具、包丁やナイフなどの生活用品など製造する製品の幅を広げていった。

戦後には、刃物造り研究の第一人者、岩崎航介から「金属顕微鏡」を使った画期的な刃物造りを学び、先端科学を取り込んでいくことで、技術を磨き続けてきた。

求められるものを、質のよいものを、という職人たちの精神をも受け継ぎ、現代に生きる越後三条打刃物。多くの大工職人や料理人から、品質の高さを認められ、選ばれ続ける逸品は、2009年に国の「伝統的工芸品」にも指定されている。

 

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