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記事: 日本刀文化を伝えるエヴァンジェリスト【日本工芸コラボトーク Vol.3 studio仕組】

日本刀文化を伝えるエヴァンジェリスト【日本工芸コラボトーク Vol.3 studio仕組】
#取り組み

日本刀文化を伝えるエヴァンジェリスト【日本工芸コラボトーク Vol.3 studio仕組】

インスタライブで開催される「日本工芸コラボトーク」。第3回目は、株式会社studio仕組の代表・河内晋平さんをゲストにお迎えしました。刀の文化を残すために新たな試みを続ける河内さんが、日本工芸・代表の松澤と語った内容の一部をお届けします。

 

studio仕組とは?

日本工芸・松澤(以下、松澤):
第3回目となる日本工芸のコラボトークは、築地にあるシェアアトリエビル「頂 ITADAKI」からお送りします。ここは、刀の文化を残すエヴァンジェリストとして活躍されるstudio仕組さんが運営する、拠点のひとつでもあります。河内さんとは、日本工芸で一緒に事業を進めさせていただいている仲ですが、今日はstudio仕組さんの活動を伺いながら、深くその文化についてお伝えできたらいいなと思っています。

studio仕組・河内氏(以下、河内氏):
studio仕組という会社を経営しています、河内晋平と申します。studio仕組は日本刀を展示・販売する会社で、日本刀の中でも「現代刀」といわれる、現在活躍されている作家さん、現代に作られた刀を中心に扱っています。ほかには、美術の展覧会の企画を行なったり、築地の場外でカフェを運営したり、また脱出ゲームを作っていたりとか…。さまざまな活動をしていますが、メインは伝統工芸や一点物の作家さんの作品を扱う会社です。

松澤:
河内さんとのご縁は、共通の知人から5,6年前に紹介いただいたことがきっかけで、「築地で面白いことやっている人いるよ」と。今日のトーク会場である、「頂 ITADAKI」では工芸・芸術を扱う方々が集うシェアアトリエビルとしての運営をされていて、この活動を最初に紹介していただきました。河内さん自身のキャリアでいうと、ご専門はどんなことをされていたのですか?

河内氏:
いつも話が終わる頃に、「で、一体なにが専門なの?」ってなるんですよね(笑)。僕は、奈良県の吉野で、刀界の刀鍛冶の家に生まれました。河内國平という刀匠が親父で、同じ奈良県の吉野で仕事をしています。職人さんがいつも周りにいる環境で、その流れもあって美大に進んで、そこで漆を塗る勉強をしました。その後、大学院で映像の研究課程に進み、東京国立博物館に就職。約3年間勤めたのちに、東京芸術大学で教員として働いて、それと同時にstudio仕組を立ち上げました。

松澤:
創業何年でしたっけ?

河内氏:
創業10年です。

松澤:
ずっと前からやっている感じがしますね。

河内氏:
そうですね、文化財のアーカイブやデジタルで何ができるかということは、学生の頃からずっとやってきたので、その活動を続けている感じですね。

刀匠の家に生まれ、studio仕組を立ち上げるまで

松澤:
奈良県の作り手の現場で育っていらして、幼児期の思い出はいかがですか?

河内氏:
うちは15代続いていて、兄貴の代で16代目になりますが、幼い頃の思い出としては、職人の家なので基本休みがないし、土日とか関係なしにずっと仕事している。運動会があっても仕事しているから、うちの親父は来たことがないです。
なので、サラリーマンの家がすごく羨ましくて。セドリックとかフォードアの細長い車に乗っていて、タバコの匂いがして、土日に遊びに行くとか、最高じゃないですか。うちはハイエースで沢山機材乗っていて、いつも汚れているような感じだったので、職人の家に生まれてきたっていうことはネガティブに捉えていました。

視聴者:
漫画みたいな生い立ちですね。

松澤:
漫画にはなりそうですよね。僕が以前工房に伺った時も、なんか出てきそうな町だと思いました。山奥で水が綺麗なところに鍛冶場があって、そこでものづくりをされていて…。

河内氏:
都心や外国で刀を売ったりしますが、大体はその場で売らずに、鍛冶場に来てもらいます。一見さんのお客様が多く、昔からの知り合いって少ないんです。奈良の吉野に連れて行くと、東京から名古屋か京都まで着いて、乗り換えて、最寄駅から車で30〜40分かけて、だいたい夜に着くので、最後は無言になるんですよ。「これって拉致されている?本当に鍛冶屋の息子かな?」という雰囲気が漂うような場所です。(写真:工房近くの風景。撮影:松澤)

松澤:
先ほど言われたようにネガティブな印象もありながら、どこかで芸術的なことに関心があったから芸大に行かれたのですか?

河内氏:
親父が唯一連れて行ってくれたのが、年に一回の正倉院展でした。正倉院展を毎年見ていたというのが頭の中にずっとあったのと、実はプロ野球選手になりたくて、高校まで野球しかしてなかった。でも、松坂さん世代のひとつ下で甲子園での凄さを知っていて、プロにはなれないと早々に気づきました。
勉強しなくちゃいけない高校で、勉強ってやればやるほど点数伸びて、評価されるようになって。かけた時間分評価されたら、それに違和感がありました。勉強すればするほど人間としての評価が上がる。でも、そんなの本当は価値ないよねって思っていました。
ただ、職人は貧乏するから嫌で、安定した生活がしたかった。職人の道には行かないと思っていたし、親父もやりたくなければいいと言ってくれていました。
その後、僕が17歳のときに刀をやるって決めて宣言したんです。ただ、刀だけ知っていてもしんどいので、東京藝術大学に入りました。
そうしているうちに、長男が家を継いで職人になると言ってくれた。一番目の兄貴が中身の刀を作る。二番目の兄貴もジュエリーとかやっているんで、刀の金具をつくれる。で、漆を塗る人がいないなと思って、それで漆を勉強した。それなら家内総生産できると思ったんです。

松澤:
色んな職業を得て、独立されて、今は販売を主にされていると思うんですが、刀を実際に売るに至った背景はどんな感じだったんですか?

河内氏:
もともとは、studio仕組では刀は売っていなかったんです。東京国立博物館で働いていた時に3.11がありました。東北の映像をみると、今まで何百年も守ってきた博物館や資料館のものが一瞬で流されたんですよね。そうすると何も残らない。アナログの物が全部なくなった。「僕がやっているものが一瞬でなくなるんだったら、他にやれることがあるんじゃないか」って思ったんです。
でも、皆さんの税金でやっている国立博物館では簡単に改革はできないので、自分で独立して文化財に残すという、民間の博物館を作りたくて、美術総工業やデジタルアーカイブするために立ち上げたのが、studio仕組という会社です。アーカイブしたもので展覧会を開いたりして、ある程度軌道に乗った頃に、「お前の会社で刀を扱ってくれないか」と実家から連絡があったんです。
刀のファンが親父から刀を買って、僕は大学院まで行かせてもらったので、恩返しも含めて、刀業界のためになにかやりましょうと、販売し始めたのがきっかけです。

日本刀文化のエバンジェリストとして

松澤:
百貨店で展示販売ができなかったところも可能にしたり、さまざまな形で刀の情報発信をする仕組みを作られていますが、どんな思いをお持ちですか?

河内氏:
刀というと、銃刀法で銃と同類のように思われがちですが、刀は絵画と同じで美術品として扱われます。武器としては扱われないんですよ。誰が買っても所持してもいい。リビングに飾っても大丈夫。「鍵付きのケース必要ですよね?」と聞かれることが多いのですが、銃じゃないので必要ないんです。このことは、エヴァンジェリストとして広めて行きたい。小さいギャラリーで販売しても良いですが、知ってもらえないと意味がないので、百貨店で販売することも大切にしています。

松澤:
ある程度の不特定多数に知っていただけると、認知が高まりますよね。もともとは百貨店で刀を展示する機会が無くて、向こうの腰が引けていたという背景があったと思うのですが…。

河内氏:
そうですね。昔は百貨店で扱っていたんですが、色々とあり、取り扱いをやめてから30〜40年ほど経っていたところ、僕がぜひやりたいとプレゼンさせていただいて。

松澤:
それがどれぐらい前ですか?

河内氏:
7、8年前ですかね。まだ「刀剣乱舞」や「鬼滅の刃」も流行ってなくて、「刀って何?」「誰が買うの?」みたいな時期でした。

松澤:
どこにプレゼンされたんでしたっけ?

河内氏:
日本橋三越です。当時の社長や店長、現場の人も、とても文化に対して理解のある方々で、プレゼンした次の週に奈良県の吉野まで担当のお二人が来て、見てくれて「これはやりましょう。僕たちが絶対やりますので」って腹決めてやってくれたんです。

松澤:
それはすごい意思決定ですよね。一般的に前例主義だったりするけど、誰かがそうやって今まで途絶えていたことをやろうとすることで、また認知が広まりますからね。ちなみに、どんな理由で購入される方が多いんですか?百貨店、または違うルートで購入される方で、購入理由の傾向がありますか?

河内氏:
幅は結構ありますが、古い刀は投資目的で買う方がいます。僕らは現代刀を売るので、これからどう伸びるかはわかりづらいですよね。彼らはなぜ買うかと言うと、古い刀も一緒ですが、基本的には「お守り刀」、家を守ってくれるとか、魔除けという思いで買ってくれる方が多いです。

松澤:
兜も同じと仰っていましたね。

河内氏:
そうですね。自分や家を守ってほしいという思いで、買ってくれる方は多いです。ほかには、例えばお医者さんは日常のプレッシャーがすごいですよね。日々、命を預かっていて、疲れて帰って、刀をパッと抜いて手入れをしながら心を休めるために買う人が実は多いです。また、企業の社長さんなど、車や船も持っていて、誰も買わない良い物や趣味がないかという時に、日本文化に注目されて面白い刀を求める方もいます。

松澤:
刀は価格にもレンジがありますが、一般的に価格はどうやって決められるのですか?

河内氏:
まず材料費として玉鋼が高いです。これを使って刀を作りますが、この原価に経験代としての人件費が加わります。また、炭を沢山使うので、その費用や、設備維持費もかかります。年間5本作って、5本すべて売れたら良い方ですね。かなりトップレベルの売り上げです。
でも、普通はそんなに売れないんですよ。年間1本とか2本です。それで生活をすると考えた時に、売値300万円だったら、その半分は原価がかかるので、年間150万円で生活できますか?ということです。
それでいうと、若い職人さんは大変な思いをして、厳しい生活をしながらも刀を作っています。うちの父や、同じレベルの職人たちが、ブランディングしながら売価をどんどん上げていき、さらに研究してより良い刀が作れる流れにしていくことが大切です。今うちの父は1本600万円で売っていて、一番弟子でも同じぐらいの価格なので、年間2本でも、なんとか家族を養って生活できます。
そのような背景から、基本的に人件費、材料費、設備や維持費を含めると、300万円〜600万円程度の価格になるということですね。

松澤:
作る人がいないと当然売れないわけですが、業界全体としては、若い人も職人になる人が継続的にいるのでしょうか?

河内氏:
これが不思議で、大体の伝統工芸はシュリンクしているなかで、日本刀の世界だけ一定数でずっと維持しているんですよ。結構人数が多く、大体300人ぐらい。刀作るのには文化庁の免許がいるんですが、それを持っているのが300人ぐらいいて、それがずっと変わらないです。
例えば弓矢を作る人はほぼいないんですよ。弓道やるために作る人はいますが、シュリンクしていく傾向です。日本刀なんて江戸時代以降は誰も使わないのに、みんな弟子入りしに来るんですよ。きっとどこかで憧れがあるんだと思います。同じ武器でも火縄銃とかは今はもうないです。でも刀は毎年若い子が入ってきます。

「刀剣乱舞」とのコラボレーション

松澤:
それほどのニーズが一定数あるということですよね?

河内氏:
でも、食べられるようになるかというと、職人さんはずっと一定ですが、市場としてはシュリンクしていっています。若い人でやめていく人も多いです。でも、僕らが一生懸命広報し始めて、5年くらい前から「刀剣乱舞」というゲームが流行って、後は「鬼滅の刃」をきっかけに、刀に興味を持ってもらえるようになってきました。「刀剣乱舞」のファンで刀を買う方は多いので、すごくありがたいです。

松澤:
「刀剣乱舞」の具体的な説明をしていただいていいですか?

河内氏:
「刀剣乱舞」はブラウザゲーム・モバイルゲームなのですが、簡単にいうと、刀は1000年もつのでたくさんのオーナーがいるんです。そのオーナーのそれぞれの思い、例えば、信長、家康、秀吉の思いを擬人化したゲームなんです。オーナーの思いを受けて悪者と戦いながら、刀剣男士を育てていくという内容です。
僕たちが嬉しいのが、ゲームをやる人たちが刀の美しさに感動してくれるんです。「刀剣乱舞」が始まるまでは、年配のおじいさんとかが見に来て、「これ何人殺したんや」とか、そういう基本的な武器としての見方だったんですよ。
「刀剣乱舞」ファンは美術的な感覚で見てくれて、「本当に美しい」とか「このフォルムのカーブや鉄が美しい」と言ってくれる。それは、僕たちと同じ目線で見てくれてるので、作っているだけで面白いです。

松澤:
「刀剣乱舞」と御社の接点はなんですか?

河内氏:
刀関連のグッズなどを作っています。日本橋三越で展示する時にどうやって世間の人に知ってもらうかを考えた時に、「刀剣乱舞」の影響力はすごいので、刀剣乱舞側に一緒にイベント展示しませんかと提案したんです。父の弟子が「刀剣乱舞」と仕事をしていた縁もあり、実現しました。

松澤:
一度展示会に行ったとき、女性ファンが7階の展示場から5階ぐらいまで階段にずらっと並んでいましたね。

河内氏:
「刀剣乱舞」のファンの方って礼儀正しいんですよ。刀を敬って見てくれるというのが伝わってきます。

松澤:
グッズもすごい売れていましたよね。工芸を広げるひとつの手段だと思いました。

河内氏:
刀剣乱舞」のファンの方たちは、刀のことを考えてくれているので、僕らのグッズを買うことで刀剣界に貢献できるって思ってくれています。

松澤:
循環をさせていこうという、インキュベーション的な考えを持っているファンを掴むチャンスなのでしょうね。

河内氏:
日本橋三越に来てくださった他の業界の方から、じゃあキャラクターを作ろうという相談もいただいたんですが、そういうことではないんですね。刀やグッズを買うことによって、それが業界に還元されるということまで見越したファンがいることが素晴らしいと思います。

松澤:
コメントをいただいていますが、日本橋三越の工芸展もすごいですし、芸術に対してのパッションもすごいですね、と。確かに、開催する場所を提供してくれた日本橋三越もすごいですね。刀をきっかけにいろんな視点が出てきて、工芸に対する理解も深まりますよね。

河内氏:
今の世の中だと、工芸品を買って自分で使って終わりですが、そもそもは孫の代まで受け継ぐとか、ずっと使い続けていくことが前提でした。それによって、例えば漆器だったら、漆の木をまた植えなきゃいけない、という意識になる。循環ですよね。

松澤:
工芸はSDGsって後から付けただけですよね。工芸はいつもやってきたことです。ところで、刀は年割すると安いという話もありましたね。

河内氏:
1000年持ちますから年数で割るとすごい安いです。車も例えば500万円で買って、10年持たないじゃないですか。刀は10年ってピカピカですからね。生まれたばっかりです。

海外での「刀」文化の伝承、販売での経験

松澤:
ドバイから買いたいという問い合わせが来た時に、「売らない。取りに来い」と話したと聞きました。どんな背景だったんですか?

河内氏:
まだ「刀剣乱舞」などの活動がある前に、どうにかして刀を海外で売りたいねと話していたんです。
アメリカやヨーロッパはすでにコアなファンが沢山いたので、僕らみたいな特攻隊は開拓されてない場所を目指そうと。アジア、アフリカ、中東かなって。アフリカはどう行けるか分からないから怖い、アジアか中東が面白いとなったんですよ。
いろんな縁があって、JETROさんの協力も得て、ドバイ含め中東に販売に行きました。行ってみると、刀欲しいという人が多いんですよ。お金持ちも多くて、「いいじゃんこれ、頂戴」っていう軽いノリなんですよ。
で、売ったらそれで終わり。ワンショットで終わるんです。僕にとっては利益になるけど、刀業界には何にもならないので、本当に欲しいんだったら日本に来て、刀の説明をもっとするから、どんな人がどういう場所で人生かけて作っているのかを見て欲しいと、伝えたんです。
まず、東京のギャラリーに来てもらって、刀の説明、持ち方、手入れの仕方などをお伝えしたあとに、奈良の吉野に来ていただきました。街灯もないなかで、うちの両親が顔を真っ黒にしながら、朝から晩まで働いて作る一本や、みんなで食べる田舎料理を食べてもらって。
こういう所でやっているんだっていうのをわかってもらいたくて。別に感動してくれなくてもいいんですよ。それで、刀をお願いします、預かってください。あなたが初めのオーナーですって話をすると、自分の国に帰って何も話さないわけがないと思うんです。
息子や友達に、日本の田舎で50年刀を作っている鍛冶場に行ってきた話とかするじゃないですか。それを聞いた息子とか友達は、その刀を持っていたオーナーが亡くなった時に、なにこれよくわかんない、オークションで売っちゃおうってならないと思うんです。簡単には捨てないと思うんですよ。

松澤:
買った人の体験とセットで思い出になりますね。

河内氏:
そうしたら1000年残るので、それを是非やりたいと思って。実際には、喉から手が出るほどお金は必要ですけどね。

日本刀文化、名刀の未来

松澤:
ある特定の刀のファンがいて、ある種の刃文(※)を待たれる方もいると聞きました。どんな感じでお客様は待たれるんですか?
※刃文(はもん):「焼き入れ」によって生まれる、刀の波模様のこと。

河内氏:
まず、河内の刀は流派が決まっているんですよ。うちではこういうものを焼きます、他のものは作れないですよっていう了承を得てから、お客様の要望を聞きますが、お客様より職人の方がプロなので職人に任せた方が格好よく作れます。職人が世に出して良いと思ったものが何よりも良いので、それができた時に連絡しています。

松澤:
職人の本質がそういうところでありますよね。先日、ライブコマースの電話でお父さん(刀匠の河内國平さん)が「最近ようやくわかってきた、最近どんどん楽しいんだよ」っておっしゃっていたじゃないですか。すごいなと思いました。50年やっていて、最近わかって来たって、職人だなと思いました。以前お伺いした時も、正月から近所迷惑考えずに朝9時から仕事したがっていたって言ってましたよね。本当に好きなんだなって思いました。

河内氏:
幸せな業界ですよ。シュリンクして行っているとはいえ、一定のファンがいますし、若い人たちも作り手として入ってくるので、他の伝統工芸と比べたら恵まれていると思います。日本刀っていうと神格化されますし。

松澤:
どういう刀の未来になると思いますか?

河内氏:
刀業界の人も、「刀剣乱舞」のようなサブカルの影響も感じ始めていて、意識がかなり変わってきているので、そういう意味では、明るいんじゃないかって思います。固定になってくださっているファンの方もかなりいるので、そういう方々が広く日本全国にいるというだけでも、文化の底上げになっています。

視聴者:
刀を抜いたところを見てみたいです。

河内氏:
(抜いてみせて)唾飛ぶと刀は錆びるので、大体マスクをつけます。また、本来は古い油を取ります。錆の原因にもなりますので。
刀は刃の先から柄の部分の形を見ます。そうするとカーブの仕方で時代が分かります。戦う道具なので。馬に乗っている時代と、立って戦う江戸時代では全く形が違うんです。
次は鉄の色を見ます。刃文としのぎの間を肉眼で見ると、「地鉄」といって鉄の色や模様がわかります。玉鋼の質や練り方がわかるので、産地がわかります。例えば室町時代の形で鉄の色や鍛え方を見ると、静岡の方の刀だなってわかるんですよ。誰が作ったかを知るには、刃文をみるんです。刃文は絵を描く様に土を置いて作ります。

松澤:
流派は何に依存しているんですか?

河内氏:
流派は土地によって変わってきます。また、刀の飾り方で刃を上向けて飾ってあると、刀です。美術館で、刃が下になって飾られていると、太刀です。これは古い時代です。馬に乗っている時代の太刀は刃を下に向けて飾ってあります。

松澤:
そろそろお時間なので、今日はこれまでにさせていただきます。またよろしくお願いします。ありがとうございました。

河内氏:
ありがとうございました。

studio仕組×日本工芸堂のライブコマースの様子

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今後も隔週でInstagramで作り手とのコラボトークを予定しています。詳しくは、日本工芸堂のメルマガ登録で工芸に関する各種情報をあわせてお届けいたします。

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