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肥前吉田焼

佐賀



肥前吉田焼とは?

佐賀・長崎にまたがる地域は「肥前」と呼ばれ、現在も多くの窯元が残る陶磁器の産地。肥前吉田焼は有田焼の大外山エリアの吉田村を流れる羽口川の上流、鳴谷川の川底で、白く光る石を発見した(1577年)ことに起因している。

現在の佐賀県嬉野市の吉田にある小さなエリア。この地域は、江戸時代には宿場町として栄えた嬉野温泉という温泉地があり、名物の嬉野茶は歴史が古く、肥前吉田焼の茶器や急須と一緒に楽しむ観光客も多い。有田焼、波佐見焼など特徴ある産地とも比較されることもあるが、窯ごとの特徴や地域ごとの良さを見ていくと、新たな陶磁器の面白さに出会うきっかけになるかもしれない。


肥前吉田焼の歴史と技術

肥前吉田焼の始まりは安土・桃山時代末期の1598年、佐賀の藩主だった鍋島直茂が、豊臣秀吉による朝鮮出兵の折、連れ帰った多くの朝鮮陶工たちのうち一人を吉田に招き、磁器を焼かせたことからだと言われている。その後、鍋島藩は肥前吉田焼の発展に努め、享和年間(1801-4年)には、副島弥右衛門が窯数を多く増やし、繁栄させた。

明治時代には磁器生産を行う「精成社」が設立され、有田から学んだ技術を活かし、中国・朝鮮に販路を広げていった。有田焼とともにその歴史を歩んできた肥前吉田焼。窯元の合併や温泉地である嬉野市の特性を活かして現在まで焼き物づくりを続けている。窯元は全部で15箇所で、それぞれの窯元で個性が光っている。

例えば、副久製陶所の呉須および「濃み(だみ)」の技術が生み出す藍色はバリエーションに富んでいて美しい。また、昭和の雰囲気を想起する水玉模様を生み出す技術は、副千製陶所や副正製陶所で受け継がれている。

これまで、近隣産地の有田焼や伊万里焼に比べ知名度は高くなく、注目を浴びることは少なかった。しかし、現在では「肥前吉田焼」というブランドを確立するべく、窯元同士で切磋琢磨しつつ、長年受け継がれてきた技術と現代の生活に寄り添うようなモダンなデザインが合わさった焼き物が多数生み出されている。これからの肥前吉田焼の取り組みに目が離せない。
 


肥前吉田焼のブランド一覧
副久製陶所/佐賀県嬉野市

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