大阪浪華錫器

大阪浪華錫器

レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作「最後の晩餐」。そのテーブルにおかれているのは錫の器といわれている。錫は、紀元前から人類に使われてきた素材の1つだった。そんな錫が日本に渡ったのは、6~7世紀頃。古墳の副葬品として錫製の首飾りや腕輪などが発見されており、正倉院御物にも錫製の壺や水瓶などが保存されている。

金や銀に並ぶ貴重品で作られた錫器は、宮中で使われる器や、神社の新酒徳利や榊立などの神具のみに使われていたらしい。特に、徳利はほとんどが錫で作られており、今でも宮中では、酒を「おすず」と呼び習わしているという。 江戸時代になり、錫の器が一般に使われるようになると、大阪で錫器の製造・販売が行われるようになり、次第に一大産地に成長。現在では、全国シェアの7割を大阪浪華錫器が担っている。

大阪職人が広めた高級品、錫器

大阪で錫器が作られるようになったのは、江戸時代初期と言われる。1679年に発刊され、大坂の経済・文化を記した『難波雀』には「錫引き、堺い筋」と記録があり、江戸中期には、心斎橋・天神橋・天王寺などで生産されるようになった。特に心斎橋には錫屋の老舗「錫半」が開業(1996年閉店)。心斎橋を中心に錫器製造業者が集まり、一大産地となっていった。心斎橋や天王寺は流通の便もよく、大阪の錫器は江戸などへ流通するようになった。最盛期の昭和前半には、250名以上の職人が腕を競っていたと言われている。

錫はイオン効果が大きく、水の浄化作用があると言われている。さらに気密性も高いため、酒や水の味をまろやかにしてくれる酒器や水筒、茶葉を保存するための茶筒など、使いやすさを考慮した製品が作られるようになった。また、美しい輝きと独特の風合いを活かした皿や花瓶、茶托なども作られるようになり、大阪や京都の飲食店で使われるようになる。こうして錫器は高級な器として、一般家庭にも広まっていったのである。

経験だけが頼りの手仕事

錫の特徴は融解温度が低いこと。都市ガスでも溶かすことができるし、純粋な錫であれば手でも曲げられるほど柔らかい。そのため、現在でもほとんどの工程は人の手で行われている。

錫器は液状になった錫を、セメントや金属などでできた鋳型に注ぎ込んで鋳造。錫がある程度冷えたところで鋳型を壊さず取り出す。そのため、完全に固まる直前に鋳型をはずすのがベストタイミングとされる。早すぎると形が崩れ、遅すぎるとはずれなくなってしまう。しかし、そのタイミングは鋳型の外からはわからない。いつはずすかは、職人の経験だけが頼りなのである。その後、ろくろで削って形を整えたり、厚みを薄くするなどの研磨作業を行い、美しい形を作り上げる。最後に、ろくろで作れない持ち手や注ぎ口をつけたり、槌目模様をつける作業、漆などを使った模様を入れるなどの作業を経て、大阪浪華錫器となっていくのである。

大阪浪華錫器の世界では、昨今、洋食器であるタンブラーやビールジョッキなどの新しい商品への挑戦が始まっている。陶器の1.8倍の速さで熱を伝えるという特徴や、鋳造器ならではの厚みのある飲み口は、冷たいビールや冷酒を飲むのに適していると評判。伝統的な技術を受け継ぎながら、若い感性を取り入れて成長を続ける大阪浪華錫器は、現代の暮らしに寄り添う工芸品として、新たなファンを取り込もうとしている。

大阪浪華錫器 商品一覧