令和6年能登半島地震チャリティー配信(2024/1/18)ダイジェスト書き起こし
能登半島地震によって影響を受けた地域への継続的なサポートを目指し、オンライン対談を開催いたしました。輪島塗・田谷漆器店(www.wajimanuri.co.jp)田谷様からオンラインで産地の状況を報告していただき、地震の影響による産地の現状を共有いただきました。
配信視聴料は、全額現地に寄付され、復興に最も重要な要素の一つである「道具」や「制作工房」の確保に向けた活動に充てられました。
実施案内ページはこちらhttps://japanesecrafts.com/products/notofukkou
<実施動画>
<配信アーカイブ、抜粋内容>
松澤:趣旨としては輪島の未来を考えるということで、未来を紡ぐ復興に向けてこれから1時間を目安に進めさせていただければと思っております。被災された皆さまには心よりお見舞い申し上げます。
今日の流れとしては、まず自己紹介、その後、田谷さんの方から、輪島塗の製造工程などをあらためてご説明いただいたあと、地震の影響についてもお伺いして復興における課題とその解決案というかですね、どのようなプロセスが必要なのかということをお話させていただいて、最終的に寄付の内容について話せればと思います。
田谷漆器店は、200年以上の歴史を持っておられます。我々と取引をはじめて1年ぐらい経っていますが、非常に魅力的な商品で。2023年12月に伺ったときには工房を見ていろいろ勉強させていただきました。田谷さんのインスタグラムを見ていただけると現状がわかるかなと思います。(https://www.instagram.com/taya_wajima/)
早速ですが、簡単に自己紹介をいただいてもよろしいですか。
田谷さん:皆さんこんばんは。本日はお忙しい中このようなお時間をいただきまして本当にありがとうございます。輪島塗の田谷漆器店、「田谷昂大」と申します。どうぞ今日はよろしくお願いいたします。皆さんに輪島塗のこと、そして今回の地震について自分の口から現状をお伝えする機会にできればと思っています。
まず田谷漆器店についてなんですけれども、田谷漆器店は輪島塗の製造メーカーです。弊社には7名の職人がいましてそれぞれ「塗り」の工程ですとか「沈金」という模様をつける工程をしていました。松澤さんにも12月に工房の方に来ていただきました。
1月1日に地震が起きたんですけれども実はまだなんというか現実として捉えきれてなくて。「本当にこんなことが起きたのかな」と未だに思っているのですが、なんとかみんなでまた輪島塗のメーカーとして戻りたいなと思っています。
松澤:ありがとうございます。(略)具体的に地震の影響について考える前に、輪島塗の特徴であるとか製造工程についてあらためてお話いただいて理解を深めたいと思うのですが、いかがでしょうか。
田谷さん:そういえば2週間ぶりぐらいに輪島塗の特徴についてお話するなあと思いまして、がんばって説明させていただきます。
まず、全国に漆器の産地は23産地あります。他の産地との違いについてご質問をお客様からよく頂戴します。やっぱり僕は輪島塗の最大の特徴は「1人で作れない」ところだと思っています。結構いろんな伝統工芸品って誰々が作ったとかその作り手の名前が出るパターンの方が大半なんですけれども、輪島塗は作り手が表に出てきません。なんていうか本当に職人集団が作り上げたものというところが1番特徴だと思っています。
色々な工程にプロの職人がいます。例えば「木地」という工程をひとつとっても、お椀を作る職人がいたりですとかお盆を作る職人、お重を作る職人、スプーンを作る職人など、完成形によって職人が変わってきます。「塗り」の工程のなかでも「下地」の工程をする職人がいて「中塗り」「上塗り」という工程をする職人がいて、さらに、研ぐ職人がいるんですよね。また、完成したものの艶を上げる「ロ」という工程をする職人がいたり、「蒔絵」や「沈金」という模様をつける職人もいます。
ひとつの商品をつくるのに大体6人から7人ほどの職人が必要ですし、どういうものを作るかで、誰が手がけるかが変わってきます。その工程にそれぞれプロの職人がいるからこそ輪島塗の質の高さがあるという風に考えてます。
さらにいえば、輪島塗は下地から上塗りまで天然漆を使って仕上げています。そういった産地は非常に少なくなってきてると思います。下地に化学塗料を使って上塗りを天然漆で仕上げたりして、すべてが天然漆じゃなくても漆器と言えるので。
それでもやっぱり、天然漆は、品性がある。さらに、耐久性があって時間が経つごとに美しくなっていきます。持ち心地が非常に良くて口当たりもいい。天然漆って本当に高いんですけれども、それを惜しげもなく使ってたくさんの人の手が加わってできていく輪島塗はやっぱり僕は漆器の中で最高峰だと思っていますし、それをたくさんの方に使ってほしいと思いながらこの地震の前まで活動してきました。
松澤:工房に伺った時の写真を共有させていただいているんですけど、非常に感銘を受けたというか驚いたのがこちら。
<写真反映>
田谷さん:これは「布ぎせ」といって輪島独特の工程です。下地がすごく強いというかかなり力を入れています。布貼ることによって歪まなくなってより頑丈になります。誰も気づかないところ(下地)に力を入れてるところがすごく輪島塗らしいものづくりだと思います。
松澤:本当にこれは驚いたのを覚えています。あともう1点、つくる場所というか、輪島で作ることに対するこだわりについてお話いただけますか。後半のお話にも少し関わってくるのかなと思っているんですが、輪島で作っているもの限定するというのはどういうルールになってるんですか。
田谷さん:基本的に輪島塗は、輪島で作らなきゃいけないですね。皆さん色々考えてくださって「工房を金沢に移しちゃえばいいじゃん」とか「他の漆産地に移して作ればいいじゃん」など、結構いろんな方からコメントいただいたんですけれども。輪島塗は輪島市内で生産をすることが大前提なのでなかなか工房を移すという選択肢にはなりません。
松澤:お辛い部分もあると思うのですが、輪島の現状がどうなっているのかをお伺いできますか?田谷さんのインスタでも文字と写真でしっかりと発信されていらっしゃるとおものですが、概況からお話をいただいてニュースから漏れているようなことや感じたことなど、どんな順番でも結構ですのでお話いただければと思います。
田谷さん:そうですね。まず、地震前から、伝統工芸品の衰退は、輪島塗の産業も含めて日本全体で問題になっていていました。輪島塗も確かに従事者数や売上が下がってきてると思います。ただそれでも若い世代が一生懸命発信してどうにか輪島塗の良さを伝えようというのを僕以外にもたくさんの人が取り組んできていて。それがなんていうか実を結んできたとみんな多分実感してたような時でした。2024年はコロナも開けたし、若い世代でもっと発信していこうっていう風になってたと思います。
1月1日って日本人だとみんなおめでたい日。楽しい日だと思うんですけれども。もう多分一生忘れられない日になりました。輪島塗のお重箱でおせちを食べようとしていたときに地震が起きた。こんなことになるとは想定もしてなかったですし、一瞬にして全部なくなってしまった感覚がありました。私自身は田谷漆器店の工房と事務所があるんですけど、その2つはほぼほぼ使えない状況になってまして。新しく作っていたギャラリーは朝市の大火で焼けてしまってます。なので関連施設3つが全部なくなってしまった。この状況を確認できたのが次の日でした。
報道では、被害がひどいところが流れてきますが、輪島市内、能登半島全部が本当にその状況なんですよね。最初の頃から報道されている五島屋さんはやっぱり輪島塗の中ではリーディングカンパニーで大きい会社だったんですけど、そのビルが倒れてしまった。これは輪島塗に携わる人間からすると、心が折れてしまうような状況でした。自分の工房と事務所が使えないことよりも輪島市内全体の状況を見た時に「もう輪島塗りはやっぱり作れないんじゃないかな」というのは正直に思いました。ただ、その後いろんな職人さんとも話したんですけれども、若い職人はやっぱり輪島塗をつくりたい気持ちがある人が多くて。それでも、やっぱり輪島塗業界自体は高齢化も進んでいるので、高齢の職人さんは「今回を機にもうやめます」という方も少なくありません。
(中略)
松澤:我々が伺った場所も倒壊してしまったところもあると聞いていたり、多くの工房が非常に厳しい状況にあるという認識はあるんですが、実際に見られた範囲の中でどういう状況なのか教えていただいてもいいですか。
田谷さん:そうですね、今回の地震で被害を受けていない職人さんだったり輪島塗に携わる人というのは皆無だと思ってまして。被害の度合は、違っていても、確実に全員が被害を受けていると思います。その中で田谷漆器店は結構被害が大きい方で、当面の間作れないという状況です。朝市の火事があったんで、そこで工房もギャラリーも全部焼けてしまった漆器屋さんもいて。そこが多分1番大きな被害かなと思ってます。僕らは確かに工房はなくなってしまってはいるんですけれど、まだ調査できていないんですが、道具とか設備などそこらへんをなんとかうまく使いながら、製造再開したいと思っています。
(中略)
松澤:交通についてはどうですか。
田谷さん:そうですね。地震発生当時に比べると金沢輪島間は移動しやすくなってます。ただ元々2時間弱ぐらいで金沢まで移動できたのが今時間帯によっては5時間とか6時間とかかかってスムーズに行っても2時間半ぐらいという感じです。(略)結構片側が落ちてたりとか、落ちてなくても道路が隆起して盛り上がってたりとかありますね。夜だと本当に気づかないでバーストしてしまうケースは多くて。僕も1回取材の依頼が入ってたんですけど、朝移動してたらやっぱりバーストしてしまってキャンセルさせてもらったことがありました。かなり結構立ち往生してる車は多いと思います。自衛隊とかたくさんの人が復旧に勤めてくださってるので改善してきてるんですけど、まだやっぱり走りづらい状態ではありますし、金沢-輪島間の自動車専用道路が全部開通してるわけではないので途中から下道で移動することも考えるとアクセスは非常に悪いです。
(中略)
松澤:ニュースなどを見ていても輪島市長が「二次避難をしてください」というメッセージを出していましたね。
田谷さん:そうですね。ただ、輪島市長も間違いなく頭の中にあるのはただでさえ人口減少が進んでいて、「一度離れてしまうと戻ってこないんじゃないか」という心配だと思います。能登って本当に便利とかいう言葉からすると非常に遠い場所なので。そんな中でも「二次避難をして欲しい」ということがかなり能登半島だったり輪島の過酷な現状、今本当に住めないような場所だっていうことが現れていると思います。輪島市長もかなり苦渋の決断だったのではないかと思っています。
松澤:いまチャットのほうに「復興における課題と解決策」についてコメントが寄せられていますね。これ簡単ではないとは思うんですが、徐々に、未来に向けて、ということを考えていく時にどういうステップ感でどういう課題をクリアしていくというようなアイディアというかお考えはありますか。
田谷さん:僕は県知事が言い始めた「創造的復興」という言葉が非常に自分の中ではしっくり来てまして。復興の段階をどこに持っていくかという話で。震災前の能登半島の水準に持っていくことが復興ではないと思うんですね。かなり壊滅的な状況を受けて輪島市内もめちゃくちゃなんです。その中で、人が来てくれる場所をしっかりと作っていかなきゃいけないので。ゾーニングというかゾーンをどういう風に割り振っていくのかどういうものを作ってどういう人たちがその文化を発信していくかというのは非常に長期的なロードマップを描いてビジョンを持ってやっていかなきゃいけないと思っています。
でここは焦ってはいけないと思うところなんですけれども、それとは別軸で考えなきゃいけないことがあると思っていて。輪島塗の企業はスピーディに復活する必要があるんですよね。例えば僕ら田谷漆器店はやっぱり製造部門は早く復旧させなきゃいけない。輪島市内で生き残ってる建物をとりあえず間借りをして使える材料や使える道具を使って輪島塗を作っていく。お客様にお届けして資金を回して職人の生活が成り立っていくこと。ここはかなりスピーディーにやらなきゃいけない部分だと思っています。
それと同時進行で今後のビジョンはゆっくりと全員で協議をして描いていく。これは行政単位でやるよりは僕らはやっぱり民間の企業の方がお客様に対するニーズとか来てくれる人へのニーズに近い部分があるんで。そこはしっかりと発言をして発信をしてみんなで長い創造的復興のゴールに向けて進んでいく必要があるのかなと思っています。
松澤:なるほど。短期的にやることと中長期で取り組んでいかなければいけないことを同時並行で進めていくという認識ですね。
(中略)
松澤:工房が使える状態じゃないっていうのは結構危機的な課題ですよね。工房であるとか道具であるとか、それがないと本当に作り出せないように推測してしまったんです。そのような課題に対して解決を共有できるような場所はあるんでしょうか。あったとしても職人さんの拠点から遠かったりだとか共有すると仕事としてやりづらい状況にあるとか。そのあたりの課題感はいかがですか。
田谷さん:そうですね。工房が残っているところはそれでいいと思ってましてそこを使ってもらえばいいと思うんですけど、工房がなくなってしまったところは大きな施設でもいいんで、みんな一旦共有してもいいと思うんですよ。そこでみんなで物作りするっていうのも非常にこうなんていうか活力があっていいかなと。
自分の頭の中にあるのが福井県の「タケフナイフビレッジ」。あそこは仕切りもなくてみんなで刃物を作ってるじゃないですか。ああいう感じってすごくいいなって思って。なんかこうすごいクリアだし。そこで競争が生まれたりとか技術の伝承が生まれたりするんではないかとも思いますし。そういうものがあってもいいのかなと思ってます。
設備でいうと、最後の塗り終わった後に乾かす「風呂」というのがあります。「回転風呂」というのは機械式で、どうしても重力で下に落ちてしまうのを一定時間で回転させてくれる「風呂」で。回転させることによって滑らかで綺麗になっていきます。その「自動回転風呂」とゆっくりと乾かす場所が必要ですね。
あと設備で1番大きいのは「木地」生産の設備ですね。木を切り出す設備がどれぐらい生きてるかがまだ多分分かっていなくて、僕ら田谷漆器店がお願いしている木地さんは機械は作れるんじゃないかとは言ってたんですけれども。他の木地屋さんがどういう状況かは分かっていません。木地が作れないと原型が作れません。
(中略)
松澤:オンライサイトなどではどんなメッセージが届いてらっしゃるんですか。
田谷さん:1月1日に被災した時は「もう絶対無理だ」と思ってたんですけど、祖母も助け終わって1月2日の朝ぐらいにゆっくりとメッセージを見ることができて。全部が本当に自分のことを前に押してくれるんです。
心に残ってるメッセージでいうと、
(お客様が)1月1日にちょうど田谷漆器店のぐいのみでみんなで日本酒飲みながら「ぐいのみが変わるとやっぱいいね」「輪島のぐいのみがいいね」って思ってる時に緊急速報で輪島が被災していることを知った。壊滅的な状況を見て、なんとかやっぱり復活してほしい。ぐいのみすごく良かったんで、違う輪島塗りの製品を買える日を楽しみにしている。
というコメントを早い段階で見ました。すごく嬉しかったです。初めて被災をして、ここまで被災の状況に対して想像ができて、支援ができるのかというのがやっぱり僕の中では本当にすごいなと思っています。自分が逆だったらそこまでできるかって考えた時になかなか難しいなと思ってまして。「大変だと思うからとりあえず今は大丈夫かどうかだけの確認にするね」とか「しばらく経ったら片付けとかで人手がいると思うからそん時に俺頑張るわ」みたいな被災地をイメージしてくれているコメントも嬉しかったなと思います。
頂いたメッセージとかコメント極力全部返信するようにしているうちに、なんか「また輪島塗を作るんだ」という気持ちになってきたっていうか、「また輪島のメーカーとして戻るんだ」という風に普通にそう思えるようになってきたので本当に人の気持ちってすごくありがたい。辛いことが多かったですし、今もそう思うんですけども、辛さで泣くよりも人の温かさに触れて泣くことの方が多いんですよ。今回で後にも先にもこんなに人のぬくもりとか人の優しさに触れられる経験っていうのはないのかなと思ってます。
(中略)
田谷さん:これからの取り組みについてもお話しますと、うちはやっぱり輪島塗を身近に使っていただきたいと思ってずっと取り組んできたんですね。それで、金沢の方で飲食店を作って和食と共に輪島塗を使っていただいて。料理が美味しいのはもちろんなんですけれども、その上で器が良ければその場で買える。説得力のあるギャラリーを作りたいなと思って、ちょうど33年ぐらい前ですかね、オープンしました。日本全体の伝統工芸品のレンタルをしたりですとかより漆器に馴染みというか漆器に触れていただきたくて、輪島塗ではないんですけど、漆器のキッチンツールを作ってみたりですとか。漆器への入り口を広げるということを非常に多くやってきました。これは地震が起きても変わらない方針でたくさんの方に輪島塗を使っていただけるような間口を広げる行動はしていきたいと思っています。
(中略)
松澤:輪島塗に関心を寄せている方がどういう思いとか行動を輪島に向けていただくことを要望されるのかについて教えていただいてもいいですか。
田谷さん:そうですね。現状で言うとたくさんの方が輪島だったり能登半島に思いをはせてくださって。僕の1つのお願いは「ずっと忘れないでください」という、そこかなと思います。輪島の現状を見ると来月復興はしないんです、1年後も復興は多分できないと思っていて、本当に時間がかかってようやく普通の生活だったりとか能登半島に「お客さん来てくださいね」と言える状況になると思ってまして。それって本当に3年とかもっと先かもしれなくて。かなり長期的な戦いになる。
復興のゴールってわかんないと思うんですよ。気仙沼も結構仕事で行きますけど、東日本大震災のあとまだ工事してる場所もあって。でも復興は終わってるようにも見えるんです。わかんないんですけどすごく長期的な戦いになるので、これからも是非輪島塗を好きでいて欲しいですし、興味を持っていただきたいですし、たくさんの方に使っていただきながら、輪島の復興を遠くからでもいいから見ていただければなと思っています。
松澤:我々もできることわずかですけど、情報発信をしたりとか商品を通してメッセージを出すとか、継続的にしていきたいと微力ながら思っています。
チャットからコメントをいただきました。「今日のようなチャリティ配信はまた配信されますか。ぜひ進展を伺いたいです。」とのことです。我々は田谷さんがよろしければ定期的なのかもう1回でもやらせていただきたいと思っていますがいかがですか。
田谷さん:もちろんです。僕らは多分ゆっくりなんであんま新しい情報ないかもしれないですけど、少しずつ進んできた時にたくさんの方にも応援していただいてるので発信の場というのは設けさせていただければなと思ってます。
<メモ>雰囲気をお伝えするために口語での記載にいたしました。ページ上部の動画にて内容を全て公開しています。