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記事: 【伝統工芸の旅】上野焼の街 山肌に連なる茶陶の窯(福岡)

【伝統工芸の旅】上野焼の街 山肌に連なる茶陶の窯(福岡)
#伝統工芸の旅

【伝統工芸の旅】上野焼の街 山肌に連なる茶陶の窯(福岡)

全国各地には、その土地ならではの伝統工芸を受け継ぐ職人や工房があり、日本の文化を支えています。日本工芸堂の代表・バイヤー松澤が作り手をたずねる「伝統工芸の旅」。今回は福岡県福智町の上野焼(あがのやき)を訪れ、その歴史や職人たちの技、そして現代のライフスタイルに溶け込む器の魅力をお伝えします。実際に見て触れた上野焼の作品を通して、その奥深さをお届けします。



上野焼の窯元をめぐって

上野焼の窯元、渡窯(わたりがま)と庚申窯(こうしんがま)を見学し、それぞれの窯元の魅力に触れました。

渡窯は、1602年に創設された上野焼の宗家で、現当主・渡仁さんが伝統を守りながらも、現代の暮らしに寄り添った器づくりを追求しています。工房では、制作途中の品々や新しく作り上げられた器を見ることができ、ものづくりの息づかいを感じました。

庚申窯は1971年に再興された窯元で、薪窯を使った焼成による自然釉や窯変が美しく展示されています。特に、門前に貼られた無数のテストタイルが印象的で、釉薬の実験の痕跡が時を超えて語りかけてくるようでした。

両窯に共通しているのは、長い歴史に裏打ちされた誇りと、伝統にこだわりすぎず、現代のニーズに合わせた変化を追求している姿勢です。職人たちは、直面する課題に対し、試行錯誤を重ねながら「今」の上野焼を作り続けています。

渡窯、12代渡仁さんに工房をご案内いただきました。

庚申窯の2階にある、展示品。


上野焼とは?特徴と魅力を知る|福岡の静かな陶郷から

上野焼(あがのやき)は、福岡県の福智町にある静かな山あいで生まれた陶器で、約400年の歴史を誇ります。その最も大きな特徴は「茶陶」、すなわち茶道の器としてのルーツを持つことです。器は薄作りで軽量、茶会での扱いやすさを意識したデザインが多くです。また、茶道の精神である「侘び寂び」を反映させた控えめでありながら、深い存在感を持つことが特徴です。

注目すべきは、職人が手作業で施す多種多様な釉薬です。藁の灰や鉱物など、自然素材から作られた釉薬を使い、器ごとに異なる色合いや風合いを生み出しています。特に、銅を使った緑の釉薬を流す「緑青流し」は、上野焼の代表的な技法として知られています。

福智町の美しい自然と清らかな水が、この陶芸文化を育んできました。土と水に恵まれた土地だからこそ、繊細で品格ある器づくりが可能になったのです。進化を続けながら、「使ってこそ美しい」器の美学を追求しています。



上野焼の歴史|茶人・細川忠興が育んだ茶陶のルーツ

上野焼の歴史は1602年に始まります。豊前小倉藩の初代藩主である細川忠興(号:三斎)は、千利休に茶道を学び、茶道の大名茶人として知られています。彼は朝鮮半島から渡来した李朝陶工の尊楷(そんかい)を招き、福岡県の上野で窯を築かせます。尊楷は「上野喜蔵高国」と名を改め、忠興の指導の下で茶陶の制作を行い、30年間にわたり「三斎好み」の品格ある器を献上しました。

江戸時代には、上野焼は大茶人である小堀遠州が選定した「遠州七窯」の一つに数えられ、全国の茶人たちに愛される存在となります。この時期、上野焼は茶道具として高い評価を受け、格式と美意識の象徴となったのです。

明治時代の廃藩置県により、小倉藩の庇護を失った上野焼は一時衰退しましたが、1902年(明治35年)に田川郡の支援により再興され、職人たちは伝統の継承と新たな表現に挑戦し続けました。1983年(昭和58年)には国の伝統的工芸品に指定され、その技術と精神は今も受け継がれています。

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上野の里ふれあい交流会館陶芸館前から臨む山々。中腹に窯元が連なっている。


日常に寄り添う美──進化する上野焼の魅力

上野焼の特徴は、軽量で扱いやすい薄作りのフォルムにあります。器の裏側には、ろくろの回転によって偶然生まれる渦模様「左巴(ひだりどもえ)」が浮かび上がり、それがひとつひとつの器に唯一無二の美しさを与えています。職人たちは、20種類以上の釉薬を使い分けながら、表情豊かな器を生み出しています。

近年では、抹茶碗にとどまらず、平皿や花瓶、一輪挿し、そして日常使いに最適なカップや湯呑みなど、現代のライフスタイルに合わせた多彩な器が制作されています。手に取るとその軽やかさと繊細さに驚かされ、釉薬の揺らぎや土の風合いが、飲み物を注ぐたびに新たな表情を見せてくれます。

現地では、職人たちが釉薬の配合や焼成方法に試行錯誤を重ね、新たな表現に果敢に挑戦しています。「使ってこそ美しい」という精神を大切にしながら、上野焼は今もなお進化を続けているのだと思います。

上野焼のランプシェード。

コーヒーが映えそうな、上野焼きのマグカップ。


福岡県伝統的工芸品商談会レポート|工芸のいまを感じる現場から

令和6年度「福岡県伝統的工芸品商談会」に伝統工芸品バイヤーとして招待され、田川郡福智町の上野の里ふれあい交流会館陶芸館で行われた商談会に参加しました。この商談会は、福岡県の伝統的工芸品産地と全国の工芸品事業者(当社はこの枠で参加)をつなぐことを目的に開催されたものです。

会場には、上野焼の魅力が詰まった1000点以上の作品が展示され、9つの窯元の作品が一堂に集まりました。上野焼の多様性を一度に見ることができる貴重な機会であり、現地で工芸の「今」を実感しました。

商談会では、渡窯と庚申窯を訪れ、3社との商談も行いました。上野焼の伝統を守りつつ、現代の生活に合った展開を模索する窯元の姿勢に、非常に刺激を受けました。

 

まとめ

正直に言うと、全国の窯場や産地を巡ってきた中でも、上野焼という存在はあまり知らずにいました。実際に福智町の山あいに足を運び、その歴史や風土に触れる中で、工芸が生まれ、受け継がれてきた背景には、地理的条件や時代の流れといった、言葉では語りきれない重層的な要因があることを実感しました。

特に、かつての名だたる茶人たちが評価した上野焼の器が、時代の美意識にどのような影響を与えていたのか——その文化的価値が、他の産地とどう違い、どう評価されていたのか——そうした問いが自然と湧きあがってきます。同時に、そうした価値ある文化が今もなお職人たちの手によって継承されていることに、畏敬の念を抱かずにはいられませんでした。

上野焼が歩んできた400年という時間と、その間に何度も迎えた変化や試練。それを乗り越え、現代の暮らしに寄り添う形で器づくりが続けられている姿に触れ、この体験や学びを発信し続けていくことの意義を、改めて深く感じました。

<参考>