コンテンツへスキップ

カート

カートが空です

記事: 宋から続く工芸の縁──杭州との対話と、日本工芸の現在地

工芸ジャーナル

宋から続く工芸の縁──杭州との対話と、日本工芸の現在地

目次


南宋の都・杭州と日本の工芸文化

中国・浙江省に位置する杭州。この都市を訪れたことがある方なら、西湖を取り巻く風景の美しさに心を奪われた経験があるのではないでしょうか。静かな湖面、柳のしだれ、石橋、そして周囲の山々。その佇まいはどこか懐かしく、日本の文化的感性とも通じるものがあります。

それもそのはず。杭州は、かつて南宋の都「臨安」として栄えた都市であり、宋代の高度に洗練された文化が集積した場所です。宋代(960–1279年)は、唐の豪華さとは異なる「静けさと品格」の美を追求した時代でした。青磁や書、文房具、絵画、そして禅──あらゆる工芸が、実用を超えて美と精神の領域に達し、「暮らしに美が溶け込む」という思想が広まった時代でもあります。

日本では当時、平安時代の末期から鎌倉時代へと時代が移り変わろうとしていました。遣唐使の廃止以降、公式な外交関係はありませんでしたが、民間の交易や僧侶による往来は続き、宋からもたらされた工芸品や書籍、禅の教えは、やがて日本文化の根幹を形づくる要素となっていきます。茶の湯における「唐物(からもの)」の尊重や、天目茶碗、青磁、宋版大蔵経──これらはすべて宋の文化的影響の証といえるでしょう。

とりわけ南宋の都・杭州は、これらの文化の震源地とも言える場所です。つまり、現代日本の工芸や精神文化に流れる「美の文脈」の起点のひとつが、この地にあるのです。


工芸文化の交差点としての杭州

宋代の杭州は、政治の中枢であると同時に、文人・工人・僧侶・商人が集まる文化都市でした。北方からの侵攻を受けたことで臨時の都として南宋が開かれましたが、皮肉にもこの「逃げの都」は、結果として新たな芸術文化の開花を生むことになりました。

たとえば、官窯(かんよう)と呼ばれる青磁の窯は、南宋期の杭州に設置され、宮廷用の洗練された器を数多く生産しました。透明感のある青、柔らかな曲線、控えめながら格調高い文様──これらの美は、のちの日本の陶芸家や茶人にとって、憧れの的となりました。宋青磁の品格は、日本において“侘び”や“寂び”といった美意識に共鳴しながら根づいていったのです。

また、杭州は詩人・書家・政治家であった蘇軾(そしょく/蘇東坡)のゆかりの地でもあります。彼の詩や書、さらには料理や暮らしに対する思想は、工芸的精神にも通じるものがありました。「風雅」とは彼のような人物の生き方に宿っていたのです。道具を愛し、自然を尊び、日常の中に詩情を見出す──これはまさに、日本の茶の湯や文人趣味にもつながる世界観といえるでしょう。

このように、杭州は単なる歴史都市ではなく、東アジアにおける工芸文化の交差点であったといえます。


そして現代へ──再び結ばれる文化の縁

杭州では毎年「杭州文化創意産業博覧会」が開催されており、伝統工芸やデザイン、アート、メディアなど、創造的な産業が集まる国際的な場として注目を集めています。その中でも、国際的な交流の核となっているのが「杭州国際手工芸創新発展討論(International Handicraft Innovation Development Forum)」です。

2023年には日本の工芸関係者も登壇し、イギリスやフランス、イタリア、スペインといった各国の研究者やアーティストとともに、工芸の未来について議論が交わされました。

さらに翌2024年には、一般社団法人日本工芸振興協会と杭州市文化産業促進会との間で戦略的協力協定が締結され、現地にて調印式が行われました。文化的に深いつながりを持つ日本と杭州の関係が、現代のかたちで再び結ばれたのです。


工芸にできること──“モノ”を超えた交流の未来

杭州での展示や討論を通じて強く感じたのは、工芸が持つ非言語的な力です。言葉を超えて、手の痕跡や素材へのまなざしが伝わる。そんな静かな「信頼」のようなものが、工芸には宿っているのです。

また、中国にも“贈る文化”があります。現地の新興ギフト企業を訪問した際、「意味のあるものを贈りたい」という姿勢に強く共感しました。工芸の未来は、単なる製品としてではなく、心をつなぐ媒体としての価値にあります。


結び──宋から未来へ続く、美のバトン

宋の時代に、杭州という都市が提示した「品格ある美」は、日本で茶の湯や漆芸、文人趣味として受け継がれ、やがて独自の文化として花開きました。そして現代、また同じ地で、日中の工芸関係者がともに未来の対話を始めています。

この流れは偶然ではなく、文化における“縁”の必然であり、未来への示唆でもあります。

日本工芸の今を見つめながら、千年を超えて受け継がれてきた美意識の地平に、私たちは再び立っているのだと思います。杭州という都市は、そのことを静かに、しかし確かに教えてくれているのです。

編集後記

杭州の展示会には、これまでに3回参加してきました。最初は戸惑いもありましたが、回を重ねるごとに、この街の空気や文化に親しみを感じるようになっています。西湖の風景にふれるたび、ここが日本の工芸文化とも深くつながっている場所なのだと実感します。

実は、学生時代には中国の成都に1年間留学していた経験があり、当時から中国の文化や歴史への関心がありました。時を経て、いまこうして仕事を通じて再び文化の縁がつながりつつあることに、不思議な巡り合わせと深い意味を感じています。

こちらも読まれています