使い込むほどに美しい。東京に今も残る伝統工芸、江戸の町にあふれた「技の美」

使い込むほどに美しい。東京に今も残る伝統工芸、江戸の町にあふれた「技の美」

使い込むほどに美しい。東京に今も残る伝統工芸、江戸の町にあふれた「技の美」

幕藩体制の中心地として栄えた江戸は、100万都市ともいわれ多くの人々が暮らしていた。そんな人々の都市生活を支えたのが、さまざまな生活用具などを生産する職人たちの技である。

それは単なる優れたモノづくりの技術に留まらなかった。物を大切に扱うという日本人の価値観は、丈夫に作るのは当然のこと、壊れても何度でも修復可能という、生産から修復までを一体とした高い工芸技術を開花させた。そんな江戸の「技」についてご紹介する。

その数40品目!東京の伝統工芸品

世界一ともいえる最新のハイテク技術が支えるメガロポリス東京だが、実は、伝統工芸品を生産するための職人の技が、連綿と継承されている地域でもある。一つひとつ丁寧に、時間をかけて人の手で生み出される品は、今なお人々に愛され生き続けているのだ。

鮮やかな黄色が美しい「本場黄八丈(ほんばきはちじょう)」、まるで精巧なパズルのような「江戸指物(えどさしもの)」、生き生きとした表情が愛らしい「江戸衣裳着人形(えどいしょうぎにんぎょう)」などに見られる繊細な技術の数々は、人の手が生み出すぬくもりを伝え、これらの品を手にした人の心と生活に潤いを与えている。現在、東京都の伝統工芸品として指定されているものは実に40品目にのぼり、そのうち江戸切子などの15品目は、国の「伝統的工芸品」に指定されている。

東京の伝統工芸品の魅力は「実用の美」

東京の伝統工芸品の魅力は、「使い込む」ことにある。江戸の人々にとっては、生活に必要なものはすべて大切に扱い、壊れたら修理するのが当然であった。一方、職人たちもすぐに壊れるようなモノを作ることは、その誇りが許さなかったし、多少壊れたとしても修理して使える状態にする技術を持っていた。だからこそ人々は、修理して長く使うという「もったいない」文化を確立させることができたのである。

このように、長期にわたって使い込むことに耐えうる技術に支えられた「実用の美」が、東京の伝統工芸品の魅力であるといえる。つまり、大切なものとしてしまい込んだり飾ったりするのではなく、実際に使ってこそ「粋」なのだ。

そんな東京の伝統工芸品のなかから、特に人気のあるものをご紹介しよう。


手彫りの型紙で染める東京染小紋(とうきょうそめこもん)

「小紋」とは、布地一面に染め出した細かい模様や、その模様を染め出した布地、あるいはその布地から仕立てられた着物のことである。そのなかの「江戸小紋」と呼ばれるものは、少し離れてみると色無地のように見える細かな模様のことで、江戸時代に武士の裃(かみしも)に用いられたことによって広まった。

「東京染小紋」は、この「江戸小紋」の別名とされることもあれば、「江戸小紋」と「東京おしゃれ小紋(文様が大きく多色を使用するもの)」の2つに分類されることもある。その型紙は、職人が一つひとつ手彫りで制作するもので、模様が細かければ細かいほど、型紙を彫る技術も染める技術も高度なものが要求される。江戸小紋は、江戸時代中期になると町人の間にも流行し、明治になってからは特に女性の着物の柄として親しまれるようになる。

現在でも、コーディネート次第で汎用性が高くなり、比較的気軽に着られる柄として、和装する人たちには人気が高い。また最近では、伝統的な市松模様が特徴の東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムをモチーフとした「東京染小紋風呂敷クロス」が公式グッズとして発売され、評判となっている。

幾何学的な模様で光を楽しむ江戸切子(えどきりこ)

「切子」とは、ガラスを削る技法のことである。江戸切子は、江戸末期の1834年、ビードロ問屋加賀屋久兵衛がイギリス製のカットグラスを真似てガラスの表面に彫刻を試みたのが始まりだといわれている。明治時代になると、ヨーロッパの技術も用いられるようになり、現在のような複雑な切子の技法が確立された。最近は、色を付けた「色きせガラス」の作品も多いが、もともとの江戸切子は透明である。

江戸切子は、ガラス表面に目印だけを入れ、削り、磨くという工程を経て作られるが、職人は、どんなに複雑な模様であっても、大まかな下絵を頼りに直接削っていくという熟練の技を持っている。キラキラとした繊細な輝きは、美術品や高級食器などとして人気が高い。なお、軽くて使いやすいソーダガラスと、手に取ったときのずっしりとした重さが特徴のクリスタルガラスとに、原材料が分かれる。(以下写真、haku硝子

お金を作る技術が生んだ東京銀器

江戸時代に入ると貨幣経済の浸透により、金や銀で小判などを鋳造する技術が高まった。そうした技術の進展とともに、金や銀などの金属に繊細な加工を施して、食器やかんざしなどを作る技術が展開されていくこととなる。さらに、その品質の高さは江戸時代末期の1867年に開かれたパリ万博以降、世界的にも知られるようになった。こうした江戸期に生まれた技術は、現在でも受け継がれている。戦後は訪日外国人の需要も増えるようになった。

また、「be born with a silver spoon in one’s mouth」という諺(銀のスプーンをくわえて生まれてくるという意味が転じて「赤ちゃんが豊かに暮らせますように」という願いが込められている)が日本でも知られるようになり、銀製品が出産祝いなどに利用されるケースも出てきた。東京銀器は、一枚の銀の板を木づちで叩いて伸ばし、立体的な形を作ってから、模様を付けるという工程で作られる。表面の装飾に用いられる技法は、模様を彫る「彫金」と、模様の部分を切り取って洞などの別な金属をはめ込む「切ばめ」が代表的だ。

?このように東京には江戸時代から続く伝統工芸の技術がたくさん残っている。それらは、「使うこと」に美を見出す粋な江戸文化なのだ。
(以下写真、森銀器製作所)

参考: