日本工芸・松澤(以下、松澤):今回、ゲストとしてお迎えした山下工芸・山下さんは、竹細工はもちろん、産地同士のコラボレーションを多数手がけていらっしゃいます。今回は、「日本の伝統と未来への挑戦」という題を掲げてさまざまな話を伺っていきます。
現在の事業について、はじめにお伺いしてもいいですか。
山下氏::私の父が創業した当時は、竹を使ったものを中心に茶道具などをつくっていました。そのなかで職人さんとのつながりは築かれていきました。今は地元別府だけではなく、九州を中心として日本の各産地とのコラボレーションを強化しています。
松澤:竹細工の特徴や歴史について教えてください。
山下氏:別府の竹細工は、大分県で唯一の伝統的工芸品として経済産業省から指定されています。特徴は、竹を編む商材が非常に多いことです。もともとは、日用品として利用されていました。今は、海外に向けたものやアート作品のようなものも出てきました。
>別府竹細工 花六ツ目鉄鉢松澤:海外からのファンの方も多いと伺いました。
山下氏:ヨーロッパの方からみると、「竹」という素材自体に興味が惹かれるのでしょう。東洋のもの、東洋の文化であるというイメージが強いんだと思います。
2002年3月にヨーロッパの展示会に出たときにそんな実感がありました。
松澤:九州の工芸品への注目は高まっているのですね。
山下氏:九州には、長い歴史のなかでブラッシュアップされていった工芸品がいっぱい眠っているとおもいます。
大分の小鹿田焼きには、バーナード・リーチや柳宗悦が訪れた歴史があります。生活に使われているものに美意識を見出したのですね。熊本にも面白い焼き物はありますし、鹿児島には、独特な切子があるでしょう。
松澤:だからこそ、産地のコラボレーションに可能性が感じられるのですね。
松澤:山下さんは、既存のやり方と新しいマーケットをつなぎ合わせる役割を担っていますね。
山下氏:今は海外からのお客さんが多く、工芸品への注目も高まっています。一方で、十分にマッチングが行われていないのではないかとも感じています。そこにある種のマーケットチャンスを感じています。
例えば、外資系のホテルの経営層は外国の方が多いですよね。我々は、そういう方たちに対して地元の工芸品を使った客室内の備品やロビーの装飾品について総合的に提案ができます。
松澤:作り手と売り手をつなげるメッセンジャー的な役割ですね。
山下氏:はい。そのためには、「竹」だけに注目してればいいというわけではなくて、客観的に良さを理解しなければいけません。九州のいろいろな工芸をみて、歴史的背景を確認した上で各エリアの担い手とタッグを組みます。
松澤:伝統工芸品は、量産品ではありません。売価の高さに見合う価値があることを理解していただく必要があると思いますが、その点はどうですか。
山下氏:今、我々が取り組んでいるのは、アッパー層への働きかけです。ホテル業界では、規模が拡大してきていて、「体験」が求められています。そうなると、客単価がめちゃくちゃ高いですから、そういった方々向けに日本独特の技術を用いた繊細な工芸品が売れるようなシステムを作りあげることを考えています。
松澤:SDGsへの取り組みもされていますね。
山下氏:まず、素材としての「竹」の話をさせていただきます。いわゆる「放置竹問題」です。「竹」って成長スピードが3年で、とても早い。海外からの商品が入ってくるなかで需要が減っていくと、原材料だけが山に残ってしまいます。そうすると、山全体が荒廃してしまいます。そこで、2015年から「自然で自然を支える箸プロジェクト」を立ち上げ、エコマークアワードをいただきました。
竹は、成長すると二酸化炭素を出します。それらを貯める「カーボンストック」という考え方をつかって商品開発もしています。最近でいうと、東京の芝パークホテルさんに客室の備品として竹の消臭剤を採用していただきました。
松澤:世界の流れが脱炭素や脱プラスチックの方向に向かっているので、天然素材にとって面白いビジネスチャンスがありそうです。
山下氏:ほかにも、工芸品としてはなかなか価値が生み出しにくい3年から7年目の竹に注目し、着色料をつくりました。合成着色料にかわる自然由来の着色料です。
松澤:伝統工芸分野の動向についてどのように考えられてますか。
山下氏:今はチャンスだととらえています。円安で、インバウンドも復活しました。訪れる機会が増えれば、(工芸品が)目に留まる機会も増えていきます。
SNSなどを通して海外の方たちが日本の伝統文化を評価し出しましたよね。そこに注目した自動車メーカーや銀行などの日本の大手企業がやっぱりもう一度「工芸品」を見つめなおしてみようというアクションを起こしています。
松澤:これからの伝統工芸分野を担う職人を育成する学校の存在も大きいですよね。さまざまな産地で、創作意欲のある若い方が(地域に)根を張って面白いものを作り出している印象があります。このことについてはどう思いますか。
山下氏:そうですね。ただ、重要なのが職人たちがつくったものの「出口」を整備することです。いいものをつくれても売り先を見いだせなければもったいないです。発信力が大事ですね。
情報の発信者が売り手とうまく結び付けられると生産側にもちゃんとお金が回るようになります。また、それらの発信をみたお客さんに、現地に来てもらってファンを生み出せれば、地元にお金を落とすこともできます。
そういうチャンスは積極的に掴んでいきたいですね。
松澤:当社もその流れにちょっとでも貢献したいと考えています。
一緒に産地に伺ったこともありますが、九州のように特徴的な産地はなかなかないと感じています。奥深いというか、変わらない歴史がある。たくさん人がくればいいというわけでもないけど、もっともっとファンを増やすことはできるのかなと思っています。
山下氏: コロナの時ってどこの産地も大打撃を受けました。すぐに生産ができなくても、ファンの方は待ってくれました。そういう工芸品の特性に対して理解のある状態は素晴らしいと思います。
松澤:これからの伝統工芸品についてお伺いします。
山下氏: 伝統工芸品の多くは、もともと日常的に使われる生活用品でした。時代の流れによってさまざまな技術が伝わってきましたが、はじめは手作りでした。ただ、いまでも機械化していない産地もあります。そういった工芸品をみつけてきて、現代のライフスタイルに合わせた展開を考えるのはおもしろい作業です。
松澤:スタイルが異なるものをコラボレーションさせることで新しい発想が生まれたり、マーケット自体が生まれるきっかけになりそうです。各地の状況はどうですか。
山下氏:現在は、伝統工芸士の担い手も多様化しています。異業種からこの世界に入ってきた人たちは、工芸を客観的にみることができ、新しい視点からのアプローチが生まれています。過去には考えられなかったことや否定されていたことが、環境の変化やアートの要素を取り入れることで、変化していっています。
松澤:アートとの結びつきも高まっているのですね。
山下氏:先ほど、外資系ホテルの例を挙げましたが、東洋と西洋の文化が融合することで新たな魅力が生まれることもあります。異種素材を使って編んだり、焼いたりする工芸品が増えてきています。
松澤:時代の変化に合わせて、さまざまな可能性が生まれているのですね。これからも産地のコラボレーションに注目していきたいです。
本日は貴重なお話をありがとうございました。
山下氏:こちらこそありがとうございました。
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KCmitF代表大谷啓介さん紹介:2012年7月独立。KCmitFとして真摯にものづくりを続ける産地企業の為の商品開発・マーケティング支援を開始。時流を予測し、当初から海外市場への販路開拓支援を積極的に推進する中で、2014年にシンガポール人クリエーターEdwin Lowと共にlo-op LLPを設立。2017年には産地と生活者を繋ぐ新なコミュニティが生まれる場を作るべく東京 久我山にてギャラリーショップSupermama mit tobuhiを開業し、自らも日々売り場に立つ。
日本工芸・松澤(以下、松澤):今後の伝統工芸業界において、商品を海外展開することも選択肢のひとつにあります。事業者として、職人としてどう向き合っていけばいいのでしょうか。
大谷氏:マクロ的な観点から言うと、(伝統工芸の)国内市場そのものが縮小してしまうのは避けられません。もちろん市場規模に合わせて展開の仕方を変えていく方法もあります。
海外は、同じカテゴリーの中でマーケットとしては空きがあります。その点で市場を拡大させていくという意味合いで海外展開するのは比較的大きな選択肢のひとつかと思います。
松澤:自分が持っている商材がどの市場にフィットするのかを見極めるにはどうすればいいでしょうか。
大谷氏:一言で海外といっても、国の数だけ市場があるので、どこが合うかというのは、探してみないとわからないと思います。自分の持っている商材や得意分野はどの地域に受けそうか、仮説を持って出ていってみることです。
一度、海外に出てみた結果、「やっぱり海外やめるわ。」となるのもけっこう大事な判断だと思うんですよね。国内市場に注力できるので。
松澤:海外進出するにあたって大切なことはなんですか。はじめは、どうすればいいのでしょうか。
大谷氏:仮説を立てて検証することの繰り返しではないでしょうか。仮説をできるだけ無駄にしないことが大切です。やり方はそれぞれの気質というかスタイルでいいと思います。行き当たりばったりでもとにかく量をこなしてそこから学ぶ人もいますし、しっかりと仮説構築をして打率を高めたい人もいます。仮説を立てて実行する、この繰り返しをどれだけ積み重ねられたかというところが1番大事なことですね。
松澤:海外に展開する際のデメリットはあると思いますか?
大谷氏:ひとつは経済コスト。あとは時間も基本的にはかかってくるでしょう。もうひとつは異文化を受け入れたり伝えたりする中でのコミュニケーションの難しさがあります。
ただ、この文化的な違いは、海外展開をする上での面白さでもあります。
日本だと誰も褒めてくれなかったところが絶賛されたり、日本で自信を持っていた技術が海外の人にも同様に評価を受けたりもします。そんな時は、周りにいる人間もモチベーションが高まっているなと感じます。
松澤:これまでいろんな国にご自身で展開されたと思いますが、これまでのメーカーさんとの出会いや、どのように彼らと海外展開されていったのか、印象的な事例をお伺いしてもいいですか。
大谷氏:一緒に成長していった事例だと「有田」の事例が1番わかりやすいです。
シンガポールの市場にテストマーケティングで「ポップ アップしませんか?」というのを作ったときに「一緒にやってみたいです。」と手を挙げてくださったところでした。その事業者さんは海外展開を10年ぐらい前からやってらっしゃった方でした。
商業見本市ではなくてポップアップの企画だったために現地のマーケットの反応をダイレクトに見ることができました。そのため仮説の検証がスムーズでした。
(海外展開をする)リスクもある中でこうした経営判断ができたのは、これまで積み重ねられたものがあったからでした。
松澤:どんなことに注意して取り組みましたか。
大谷氏:日本の器は、日本の食生活・食文化に最適化されて作られているので、現地の食文化にそのまま馴染むわけではありません。
自分たちの製造技術などを生かしながら一緒にローカライズした商品を作れるようなきっかけをつかみたいというのがひとつの仮説でした。そこは明確に持っていて、たまたまその機会が訪れた、それを試すことができる方と出会えたということです。
松澤:現地での繋がりをつくるにはどうすればいいでしょうか。
大谷氏:結論からいうと「運」だなと思います。
松澤:なるほど(笑)
大谷氏:でもその運をつめるかどうかは それぞれが積み重ねてきた仮説や経験だと思うんですね。
地元の人向けのマーケットで「Made in Japan」の商材を売っていたときがありました。そのときに「こんなところにどうしてこれが売ってるんだ」と声をかけてきたひとがいま一緒にやっているパートナーです。
彼は、現地の値段よりも低価格で販売されていたことにも驚いていました。カラクリとしては、運営事業が直接持っていき、そこにいろいろな手数料を乗っけて販売し、小売流通よりもマージンなどが適正に分配されているから販売価格も低くなるんだという話です。
「日本のものを売りたい」とは思いつつも、普通に仕入れると値段が張ることをネックに感じていた彼にとって、我々と出会ったことは大きなチャンスでした。(彼の目線に立つと)この機会をものにできたのは、彼の持っていた経験値のおかげです。
松澤:パートナーも「(日本には)いいものがあるんだ」ということはご存知だったんですね。
大谷氏:もともと日本の物が大好きで自分の店でも当時売っていたことも大きいです。(海外展開をする上で)「販売」をしてる人に直接リーチするっていうのは大事かもしれません。
松澤:他にはどんな話がありますか。
大谷氏:フランスで事業展開した例があります。
シンガポールの事例と同じビジネスモデルを横に広げられるんじゃないかと事業者さんも僕も思って海外に出ていったんですが、そうじゃなかった。ということで仮説を組み替えなければいけない状況でした。
松澤:どのように取り組んでいきましたか。
大谷氏:相手の持つパッションに注目しました。いろんな人と会う中で、この人とやったら色々うまくいくんじゃないかという方に出会いました。
松澤:小売業の方ですか?
大谷氏:起業する前みたいな人です。「これから僕独立するので、クラファンやるんです。」みたいな、やる気だけはあるという方でした。すぐに話は進まなかったのですが、後日彼のことを思い返したときに、突出したパッションがあったことを思い出し、話を持ちかけることにしました。
初めは、Web上でエージェント契約という関係でした。
ただ、コロナ禍とかぶってスケールを拡大させるのに難航したタイミングで、「むしろ今は店舗を出すのがいいんじゃないか(家賃も安くなっているし)」という提案を受けました。それから街中でポップアップショップを開くようになってから市場に大きな変化が生まれました。
松澤:どんな商品が売れたのでしょうか。
大谷氏:和風の商品が特に好評でした。アジアではなかなか売れなかった商品がここでは大きな反響を呼びました。「The有田焼」といったものよりは、土っぽい雰囲気をもつものが動きました。
松澤:パリで売れている商品を日本に逆輸入することは考えているのですか?
大谷氏:今はまだ大規模には展開していませんが、ショップで「フランスとのコラボレーション商品です」として展示することで、日本の市場に対してわかりやすくアピールすることはできるでしょうね。近い将来、日本で自分たちのクリエイティブを活用した商品を展開する予定です。
松澤:(異文化に触れることで)日本側の技術も向上するのでしょうね。
大谷氏:そうですね。
向こうから言われる無理難題が職人のクリエイティブ魂に火をつけていくじゃないですか。それがうまくいったときにこの技術と日本の商品を使っていこうと(先方に)選んでもらえたらうれしいですね。
松澤:シンガポールとフランス、2つの海外展開の事例をお聞きしてきました。ビジネスパートナーを選ぶときはどのように判断されていますか。
大谷氏:この人いいなと思うフィーリングは重要です。恋愛みたいなものかもしれないですね。言ってることは正しいんだけど、なんか心地よくないと感じる場合は、大概うまくいきません。
松澤:自分自身の感じ方や考え方が大きく関わってくるのですね。
大谷氏:あとは、行動してみることが必要ですね。結局、始めてみないとどんな相手が自分にとって心地よいかはわかりません。まずは打席に立つということでしょう。自分の場合は、長期的な視点でいかにお互いにウィンウィンな関係を築けるのかを重視しています。
松澤:伝統工芸のメーカーさんは長く続いている事業者さんが多いので「今日、儲かる」という話をするよりは、長期的な視点で、ともに新しいことに向けて語り合いながら取り組む姿勢が大切ですね。
本日は貴重なお話をありがとうございました。
大谷氏:こちらこそありがとうございました。
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日本工芸・松澤(以下、松澤):
第3回目となる日本工芸のコラボトークは、築地にあるシェアアトリエビル「頂 ITADAKI」からお送りします。ここは、刀の文化を残すエヴァンジェリストとして活躍されるstudio仕組さんが運営する、拠点のひとつでもあります。河内さんとは、日本工芸で一緒に事業を進めさせていただいている仲ですが、今日はstudio仕組さんの活動を伺いながら、深くその文化についてお伝えできたらいいなと思っています。
studio仕組・河内氏(以下、河内氏):
studio仕組という会社を経営しています、河内晋平と申します。studio仕組は日本刀を展示・販売する会社で、日本刀の中でも「現代刀」といわれる、現在活躍されている作家さん、現代に作られた刀を中心に扱っています。ほかには、美術の展覧会の企画を行なったり、築地の場外でカフェを運営したり、また脱出ゲームを作っていたりとか…。さまざまな活動をしていますが、メインは伝統工芸や一点物の作家さんの作品を扱う会社です。
松澤:
河内さんとのご縁は、共通の知人から5,6年前に紹介いただいたことがきっかけで、「築地で面白いことやっている人いるよ」と。今日のトーク会場である、「頂 ITADAKI」では工芸・芸術を扱う方々が集うシェアアトリエビルとしての運営をされていて、この活動を最初に紹介していただきました。河内さん自身のキャリアでいうと、ご専門はどんなことをされていたのですか?
河内氏:
いつも話が終わる頃に、「で、一体なにが専門なの?」ってなるんですよね(笑)。僕は、奈良県の吉野で、刀界の刀鍛冶の家に生まれました。河内國平という刀匠が親父で、同じ奈良県の吉野で仕事をしています。職人さんがいつも周りにいる環境で、その流れもあって美大に進んで、そこで漆を塗る勉強をしました。その後、大学院で映像の研究課程に進み、東京国立博物館に就職。約3年間勤めたのちに、東京芸術大学で教員として働いて、それと同時にstudio仕組を立ち上げました。
松澤:
創業何年でしたっけ?
河内氏:
創業10年です。
松澤:
ずっと前からやっている感じがしますね。
河内氏:
そうですね、文化財のアーカイブやデジタルで何ができるかということは、学生の頃からずっとやってきたので、その活動を続けている感じですね。
松澤:
奈良県の作り手の現場で育っていらして、幼児期の思い出はいかがですか?
河内氏:
うちは15代続いていて、兄貴の代で16代目になりますが、幼い頃の思い出としては、職人の家なので基本休みがないし、土日とか関係なしにずっと仕事している。運動会があっても仕事しているから、うちの親父は来たことがないです。
なので、サラリーマンの家がすごく羨ましくて。セドリックとかフォードアの細長い車に乗っていて、タバコの匂いがして、土日に遊びに行くとか、最高じゃないですか。うちはハイエースで沢山機材乗っていて、いつも汚れているような感じだったので、職人の家に生まれてきたっていうことはネガティブに捉えていました。
視聴者:
漫画みたいな生い立ちですね。
松澤:
漫画にはなりそうですよね。僕が以前工房に伺った時も、なんか出てきそうな町だと思いました。山奥で水が綺麗なところに鍛冶場があって、そこでものづくりをされていて…。
河内氏:
都心や外国で刀を売ったりしますが、大体はその場で売らずに、鍛冶場に来てもらいます。一見さんのお客様が多く、昔からの知り合いって少ないんです。奈良の吉野に連れて行くと、東京から名古屋か京都まで着いて、乗り換えて、最寄駅から車で30〜40分かけて、だいたい夜に着くので、最後は無言になるんですよ。「これって拉致されている?本当に鍛冶屋の息子かな?」という雰囲気が漂うような場所です。(写真:工房近くの風景。撮影:松澤)
松澤:
先ほど言われたようにネガティブな印象もありながら、どこかで芸術的なことに関心があったから芸大に行かれたのですか?
河内氏:
親父が唯一連れて行ってくれたのが、年に一回の正倉院展でした。正倉院展を毎年見ていたというのが頭の中にずっとあったのと、実はプロ野球選手になりたくて、高校まで野球しかしてなかった。でも、松坂さん世代のひとつ下で甲子園での凄さを知っていて、プロにはなれないと早々に気づきました。
勉強しなくちゃいけない高校で、勉強ってやればやるほど点数伸びて、評価されるようになって。かけた時間分評価されたら、それに違和感がありました。勉強すればするほど人間としての評価が上がる。でも、そんなの本当は価値ないよねって思っていました。
ただ、職人は貧乏するから嫌で、安定した生活がしたかった。職人の道には行かないと思っていたし、親父もやりたくなければいいと言ってくれていました。
その後、僕が17歳のときに刀をやるって決めて宣言したんです。ただ、刀だけ知っていてもしんどいので、東京藝術大学に入りました。
そうしているうちに、長男が家を継いで職人になると言ってくれた。一番目の兄貴が中身の刀を作る。二番目の兄貴もジュエリーとかやっているんで、刀の金具をつくれる。で、漆を塗る人がいないなと思って、それで漆を勉強した。それなら家内総生産できると思ったんです。
松澤:
色んな職業を得て、独立されて、今は販売を主にされていると思うんですが、刀を実際に売るに至った背景はどんな感じだったんですか?
河内氏:
もともとは、studio仕組では刀は売っていなかったんです。東京国立博物館で働いていた時に3.11がありました。東北の映像をみると、今まで何百年も守ってきた博物館や資料館のものが一瞬で流されたんですよね。そうすると何も残らない。アナログの物が全部なくなった。「僕がやっているものが一瞬でなくなるんだったら、他にやれることがあるんじゃないか」って思ったんです。
でも、皆さんの税金でやっている国立博物館では簡単に改革はできないので、自分で独立して文化財に残すという、民間の博物館を作りたくて、美術総工業やデジタルアーカイブするために立ち上げたのが、studio仕組という会社です。アーカイブしたもので展覧会を開いたりして、ある程度軌道に乗った頃に、「お前の会社で刀を扱ってくれないか」と実家から連絡があったんです。
刀のファンが親父から刀を買って、僕は大学院まで行かせてもらったので、恩返しも含めて、刀業界のためになにかやりましょうと、販売し始めたのがきっかけです。
松澤:
百貨店で展示販売ができなかったところも可能にしたり、さまざまな形で刀の情報発信をする仕組みを作られていますが、どんな思いをお持ちですか?
河内氏:
刀というと、銃刀法で銃と同類のように思われがちですが、刀は絵画と同じで美術品として扱われます。武器としては扱われないんですよ。誰が買っても所持してもいい。リビングに飾っても大丈夫。「鍵付きのケース必要ですよね?」と聞かれることが多いのですが、銃じゃないので必要ないんです。このことは、エヴァンジェリストとして広めて行きたい。小さいギャラリーで販売しても良いですが、知ってもらえないと意味がないので、百貨店で販売することも大切にしています。
松澤:
ある程度の不特定多数に知っていただけると、認知が高まりますよね。もともとは百貨店で刀を展示する機会が無くて、向こうの腰が引けていたという背景があったと思うのですが…。
河内氏:
そうですね。昔は百貨店で扱っていたんですが、色々とあり、取り扱いをやめてから30〜40年ほど経っていたところ、僕がぜひやりたいとプレゼンさせていただいて。
松澤:
それがどれぐらい前ですか?
河内氏:
7、8年前ですかね。まだ「刀剣乱舞」や「鬼滅の刃」も流行ってなくて、「刀って何?」「誰が買うの?」みたいな時期でした。
松澤:
どこにプレゼンされたんでしたっけ?
河内氏:
日本橋三越です。当時の社長や店長、現場の人も、とても文化に対して理解のある方々で、プレゼンした次の週に奈良県の吉野まで担当のお二人が来て、見てくれて「これはやりましょう。僕たちが絶対やりますので」って腹決めてやってくれたんです。
松澤:
それはすごい意思決定ですよね。一般的に前例主義だったりするけど、誰かがそうやって今まで途絶えていたことをやろうとすることで、また認知が広まりますからね。ちなみに、どんな理由で購入される方が多いんですか?百貨店、または違うルートで購入される方で、購入理由の傾向がありますか?
河内氏:
幅は結構ありますが、古い刀は投資目的で買う方がいます。僕らは現代刀を売るので、これからどう伸びるかはわかりづらいですよね。彼らはなぜ買うかと言うと、古い刀も一緒ですが、基本的には「お守り刀」、家を守ってくれるとか、魔除けという思いで買ってくれる方が多いです。
松澤:
兜も同じと仰っていましたね。
河内氏:
そうですね。自分や家を守ってほしいという思いで、買ってくれる方は多いです。ほかには、例えばお医者さんは日常のプレッシャーがすごいですよね。日々、命を預かっていて、疲れて帰って、刀をパッと抜いて手入れをしながら心を休めるために買う人が実は多いです。また、企業の社長さんなど、車や船も持っていて、誰も買わない良い物や趣味がないかという時に、日本文化に注目されて面白い刀を求める方もいます。
松澤:
刀は価格にもレンジがありますが、一般的に価格はどうやって決められるのですか?
河内氏:
まず材料費として玉鋼が高いです。これを使って刀を作りますが、この原価に経験代としての人件費が加わります。また、炭を沢山使うので、その費用や、設備維持費もかかります。年間5本作って、5本すべて売れたら良い方ですね。かなりトップレベルの売り上げです。
でも、普通はそんなに売れないんですよ。年間1本とか2本です。それで生活をすると考えた時に、売値300万円だったら、その半分は原価がかかるので、年間150万円で生活できますか?ということです。
それでいうと、若い職人さんは大変な思いをして、厳しい生活をしながらも刀を作っています。うちの父や、同じレベルの職人たちが、ブランディングしながら売価をどんどん上げていき、さらに研究してより良い刀が作れる流れにしていくことが大切です。今うちの父は1本600万円で売っていて、一番弟子でも同じぐらいの価格なので、年間2本でも、なんとか家族を養って生活できます。
そのような背景から、基本的に人件費、材料費、設備や維持費を含めると、300万円〜600万円程度の価格になるということですね。
松澤:
作る人がいないと当然売れないわけですが、業界全体としては、若い人も職人になる人が継続的にいるのでしょうか?
河内氏:
これが不思議で、大体の伝統工芸はシュリンクしているなかで、日本刀の世界だけ一定数でずっと維持しているんですよ。結構人数が多く、大体300人ぐらい。刀作るのには文化庁の免許がいるんですが、それを持っているのが300人ぐらいいて、それがずっと変わらないです。
例えば弓矢を作る人はほぼいないんですよ。弓道やるために作る人はいますが、シュリンクしていく傾向です。日本刀なんて江戸時代以降は誰も使わないのに、みんな弟子入りしに来るんですよ。きっとどこかで憧れがあるんだと思います。同じ武器でも火縄銃とかは今はもうないです。でも刀は毎年若い子が入ってきます。
松澤:
それほどのニーズが一定数あるということですよね?
河内氏:
でも、食べられるようになるかというと、職人さんはずっと一定ですが、市場としてはシュリンクしていっています。若い人でやめていく人も多いです。でも、僕らが一生懸命広報し始めて、5年くらい前から「刀剣乱舞」というゲームが流行って、後は「鬼滅の刃」をきっかけに、刀に興味を持ってもらえるようになってきました。「刀剣乱舞」のファンで刀を買う方は多いので、すごくありがたいです。
松澤:
「刀剣乱舞」の具体的な説明をしていただいていいですか?
河内氏:
「刀剣乱舞」はブラウザゲーム・モバイルゲームなのですが、簡単にいうと、刀は1000年もつのでたくさんのオーナーがいるんです。そのオーナーのそれぞれの思い、例えば、信長、家康、秀吉の思いを擬人化したゲームなんです。オーナーの思いを受けて悪者と戦いながら、刀剣男士を育てていくという内容です。
僕たちが嬉しいのが、ゲームをやる人たちが刀の美しさに感動してくれるんです。「刀剣乱舞」が始まるまでは、年配のおじいさんとかが見に来て、「これ何人殺したんや」とか、そういう基本的な武器としての見方だったんですよ。
「刀剣乱舞」ファンは美術的な感覚で見てくれて、「本当に美しい」とか「このフォルムのカーブや鉄が美しい」と言ってくれる。それは、僕たちと同じ目線で見てくれてるので、作っているだけで面白いです。
松澤:
「刀剣乱舞」と御社の接点はなんですか?
河内氏:
刀関連のグッズなどを作っています。日本橋三越で展示する時にどうやって世間の人に知ってもらうかを考えた時に、「刀剣乱舞」の影響力はすごいので、刀剣乱舞側に一緒にイベント展示しませんかと提案したんです。父の弟子が「刀剣乱舞」と仕事をしていた縁もあり、実現しました。
松澤:
一度展示会に行ったとき、女性ファンが7階の展示場から5階ぐらいまで階段にずらっと並んでいましたね。
河内氏:
「刀剣乱舞」のファンの方って礼儀正しいんですよ。刀を敬って見てくれるというのが伝わってきます。
松澤:
グッズもすごい売れていましたよね。工芸を広げるひとつの手段だと思いました。
河内氏:
「刀剣乱舞」のファンの方たちは、刀のことを考えてくれているので、僕らのグッズを買うことで刀剣界に貢献できるって思ってくれています。
松澤:
循環をさせていこうという、インキュベーション的な考えを持っているファンを掴むチャンスなのでしょうね。
河内氏:
日本橋三越に来てくださった他の業界の方から、じゃあキャラクターを作ろうという相談もいただいたんですが、そういうことではないんですね。刀やグッズを買うことによって、それが業界に還元されるということまで見越したファンがいることが素晴らしいと思います。
松澤:
コメントをいただいていますが、日本橋三越の工芸展もすごいですし、芸術に対してのパッションもすごいですね、と。確かに、開催する場所を提供してくれた日本橋三越もすごいですね。刀をきっかけにいろんな視点が出てきて、工芸に対する理解も深まりますよね。
河内氏:
今の世の中だと、工芸品を買って自分で使って終わりですが、そもそもは孫の代まで受け継ぐとか、ずっと使い続けていくことが前提でした。それによって、例えば漆器だったら、漆の木をまた植えなきゃいけない、という意識になる。循環ですよね。
松澤:
工芸はSDGsって後から付けただけですよね。工芸はいつもやってきたことです。ところで、刀は年割すると安いという話もありましたね。
河内氏:
1000年持ちますから年数で割るとすごい安いです。車も例えば500万円で買って、10年持たないじゃないですか。刀は10年ってピカピカですからね。生まれたばっかりです。
松澤:
ドバイから買いたいという問い合わせが来た時に、「売らない。取りに来い」と話したと聞きました。どんな背景だったんですか?
河内氏:
まだ「刀剣乱舞」などの活動がある前に、どうにかして刀を海外で売りたいねと話していたんです。
アメリカやヨーロッパはすでにコアなファンが沢山いたので、僕らみたいな特攻隊は開拓されてない場所を目指そうと。アジア、アフリカ、中東かなって。アフリカはどう行けるか分からないから怖い、アジアか中東が面白いとなったんですよ。
いろんな縁があって、JETROさんの協力も得て、ドバイ含め中東に販売に行きました。行ってみると、刀欲しいという人が多いんですよ。お金持ちも多くて、「いいじゃんこれ、頂戴」っていう軽いノリなんですよ。
で、売ったらそれで終わり。ワンショットで終わるんです。僕にとっては利益になるけど、刀業界には何にもならないので、本当に欲しいんだったら日本に来て、刀の説明をもっとするから、どんな人がどういう場所で人生かけて作っているのかを見て欲しいと、伝えたんです。
まず、東京のギャラリーに来てもらって、刀の説明、持ち方、手入れの仕方などをお伝えしたあとに、奈良の吉野に来ていただきました。街灯もないなかで、うちの両親が顔を真っ黒にしながら、朝から晩まで働いて作る一本や、みんなで食べる田舎料理を食べてもらって。
こういう所でやっているんだっていうのをわかってもらいたくて。別に感動してくれなくてもいいんですよ。それで、刀をお願いします、預かってください。あなたが初めのオーナーですって話をすると、自分の国に帰って何も話さないわけがないと思うんです。
息子や友達に、日本の田舎で50年刀を作っている鍛冶場に行ってきた話とかするじゃないですか。それを聞いた息子とか友達は、その刀を持っていたオーナーが亡くなった時に、なにこれよくわかんない、オークションで売っちゃおうってならないと思うんです。簡単には捨てないと思うんですよ。
松澤:
買った人の体験とセットで思い出になりますね。
河内氏:
そうしたら1000年残るので、それを是非やりたいと思って。実際には、喉から手が出るほどお金は必要ですけどね。
松澤:
ある特定の刀のファンがいて、ある種の刃文(※)を待たれる方もいると聞きました。どんな感じでお客様は待たれるんですか?
※刃文(はもん):「焼き入れ」によって生まれる、刀の波模様のこと。
河内氏:
まず、河内の刀は流派が決まっているんですよ。うちではこういうものを焼きます、他のものは作れないですよっていう了承を得てから、お客様の要望を聞きますが、お客様より職人の方がプロなので職人に任せた方が格好よく作れます。職人が世に出して良いと思ったものが何よりも良いので、それができた時に連絡しています。
松澤:
職人の本質がそういうところでありますよね。先日、ライブコマースの電話でお父さん(刀匠の河内國平さん)が「最近ようやくわかってきた、最近どんどん楽しいんだよ」っておっしゃっていたじゃないですか。すごいなと思いました。50年やっていて、最近わかって来たって、職人だなと思いました。以前お伺いした時も、正月から近所迷惑考えずに朝9時から仕事したがっていたって言ってましたよね。本当に好きなんだなって思いました。
河内氏:
幸せな業界ですよ。シュリンクして行っているとはいえ、一定のファンがいますし、若い人たちも作り手として入ってくるので、他の伝統工芸と比べたら恵まれていると思います。日本刀っていうと神格化されますし。
松澤:
どういう刀の未来になると思いますか?
河内氏:
刀業界の人も、「刀剣乱舞」のようなサブカルの影響も感じ始めていて、意識がかなり変わってきているので、そういう意味では、明るいんじゃないかって思います。固定になってくださっているファンの方もかなりいるので、そういう方々が広く日本全国にいるというだけでも、文化の底上げになっています。
視聴者:
刀を抜いたところを見てみたいです。
河内氏:
(抜いてみせて)唾飛ぶと刀は錆びるので、大体マスクをつけます。また、本来は古い油を取ります。錆の原因にもなりますので。
刀は刃の先から柄の部分の形を見ます。そうするとカーブの仕方で時代が分かります。戦う道具なので。馬に乗っている時代と、立って戦う江戸時代では全く形が違うんです。
次は鉄の色を見ます。刃文としのぎの間を肉眼で見ると、「地鉄」といって鉄の色や模様がわかります。玉鋼の質や練り方がわかるので、産地がわかります。例えば室町時代の形で鉄の色や鍛え方を見ると、静岡の方の刀だなってわかるんですよ。誰が作ったかを知るには、刃文をみるんです。刃文は絵を描く様に土を置いて作ります。
松澤:
流派は何に依存しているんですか?
河内氏:
流派は土地によって変わってきます。また、刀の飾り方で刃を上向けて飾ってあると、刀です。美術館で、刃が下になって飾られていると、太刀です。これは古い時代です。馬に乗っている時代の太刀は刃を下に向けて飾ってあります。
松澤:
そろそろお時間なので、今日はこれまでにさせていただきます。またよろしくお願いします。ありがとうございました。
河内氏:
ありがとうございました。
studio仕組×日本工芸堂のライブコマースの様子
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今後も隔週でInstagramで作り手とのコラボトークを予定しています。詳しくは、日本工芸堂のメルマガ登録で工芸に関する各種情報をあわせてお届けいたします。
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第8回は、Whole love kyoto溝部様、他2名(ナガサワ様、エガワ様)をゲストにお迎えしました。“Made in Kyoto”にこだわるデザイン・プロデュース集団と、日本工芸・代表の松澤と語った内容の一部をお届けします。
松澤:京都伝統文化イノベーション研究センター(KYOTO T5)は、どういう組織体もしくは構造になっているですか。
ボランティアチームなのか、なんらかのプロジェクトメンバーなのか、NPOなのか、それとも御社の社員なのか、、、
溝部氏:京都伝統文化イノベーション研究センター(KYOTO T5)は、京都芸術大学の中にある京都伝統文化イノベーション研究センターの略称でして、メンバーも京都芸術大学の教授と学生さんです。歴史学科や空間質デザイン学科の学生さんがいらっしゃったりとか、さまざまな学科の学生が参加しているプロジェクトです。
松澤:なるほど。サークル的な感じなんですか。
ナガサワさん:主な活動団体としては、研究センターです。京都の中で起こった出来事やニーズや問題だったりを京都伝統文化イノベーション研究センターが母体として、もしくは、受け皿となって、教授陣に学生を交えてそれらをどういうかたちで昇華させていくのか、っているのを考える場所になっていますね。
松澤:その団体に参加されている方達はみな、京都の方なんですか。
ナガサワさん:いえ、そんなこともなく。。実際に私自身は福岡出身なんです。
エガワさん:他にも神奈川からの学生さんが参加している人もいますね。京都に来たからには、京都についてもっと知りたい、といった意欲を持って参加してくれています。
松澤:京都100年カルタについての取り組みが面白いなと思いました。
溝部氏:このプロジェクトは、京都の河原町を中心にして、碁盤の目周辺のお店さんの中でも100年以上の歴史があるところに私たちが歩いて訪ねてお話を聞いたことを元に絵札と読札の製作をしました。絵札は、表が歴史絵や模様で、裏側にはお店の店構えと年号が書いてあります。
*後日京都展示会場(パスザバトン・祇園)に伺った際の動画
松澤:それ(手にとったカルタ)ちょっと読んでもらってもいいですか?
ナガサワさん:「ほこりあるほうきぶら下げ200余年看板いらず内藤商店」
松澤:そこ、行ったことあるかもしれないです!ところで、実際にそれを作るのにもインタビューしてまわったという感じですか。
溝部氏:そうですね。まずは、京都の新しい地図を作るというところから始まったんですけど、そこから50軒お店を巡って話を聞いて実際にカルタを作るまでは3年半かかりました。
松澤:そんなにかかったんですね。ちなみに、どういう内容をインタビューしていくんですか。
溝部氏:皆さん、歴史の先生のように京都のあらゆることを教えてくださるんですけど、私たちは特に「100年続いた秘訣」について重点的に、聞きました。
松澤:100年以上続いている企業は、特に京都に多いという印象があります。共通するポイントは何かありましたか。
溝部氏:何かを継承するときにはデータで残すことがあると思うんですけど、店主さん、それぞれ継がれてきた方で、共通していたのは、目で見て盗んで、そして話を聞いて覚えるっていうことをずっと続けているということですね。あとは、「変えないために変わる。」というふうにおっしゃる方もいれば、一方で「変わるために守り続けるんだ。」という職人さんもいらっしゃいました。その時代に対しての想いも違ったりするんですけど、そういった時代の変化を享受しつつも大事なところは守りつづける点で、共通していると思いました。
松澤:そういう企業は、共通して、変化を受け入れながらも、守るべきものと進化するものを二つの階層として持っているといるというような感じなんですかね。とても興味深いです。
松澤:「HANAO SHOES」について少し話をお伺いしたいです。各地の産品を紐付けた新しいファッションスタイルを作られているという話を伺いました。稚拙な質問ですが、どうして運動靴に鼻緒をつけようと思ったんですか。
溝部氏:実は、それは始めた本人も覚えていないんですよ(笑)ただ、一つ言えることは、最近は着物を着るひとが減っていますね。そうすると着物とセットの草履や下駄を履く人も自然と少なくなってしまっていて。それを現代の若い子たちが鼻緒を身につける、草履の文化を身につけたらどうか、と考えていたらこういった形がポッと出てきて、実際に作り続けていくと、「可愛い」「欲しい」といってくださる方が出てきました。
松澤:お客様はどういう世代の方が中心なんですか。
溝部氏:メインターゲットとしては、20代、30代の若い世代の方々に履いていただきたいというのが一番で、そういった方々に、ポップアップイベントで全国をまわっているときに見つけてくださる方やオンラインストアを通じて履いてくださいます。最近は、お着物を着ていらっしゃる方々からもご購入してくださる機会が増えています。
松澤:着物に似合うものですか。
溝部氏:それが似合うんですよ〜。洋服にも和装にもすごく合います。シューズの白色は白足袋をイメージしているので、遠目で見れば、草履・下駄を履いているみたいにもみえます。
松澤:当社のスタッフも、着物を着ているので、「履きやすそう〜」という声が聞こえてきました(笑)草履だと、痛くなっちゃうからちょうど良さようですね。
溝部氏:そうなんですよ。あとは、坂道で草履が脱げてしまったりとか、タクシーの乗り降りで脱げちゃったりということもみたいで、HANAO SHOESを通勤通学用に履いてくださる方もいらっしゃいます。
松澤:白足袋に見えてきましたというコメントもいただきました(笑)
松澤:最初から初めてこれは、どれくらいの時間がかかったんですか。全国の染め物って、調べるだけでもすごい時間がかかると思うんですけど、
エガワさん:一年ほどです。
松澤:各地を回ったり連絡をとったりしながら、適切なものを選んでという流れでつくり始めた感じですかね。
エガワさん:リサーチ方法としては、コロナ禍でしたので、インターネットを使って染め織物が行われている場所を調べていったかたちですね。検索して出てきた工房に直接コンタクトを取らせていただいてつながっていきました。
しかし、インターネットでは出てこない染め織物があったり、あとは職人さん自身もインターネット上に上がっていない方々もいらっしゃっることに気づき、途中からリサーチ方法を変更し、各都道府県の自治体や染め織物の施設があるところに、一軒一軒連絡をしまして、この地方ではどういうものがあるのかっているのをそれぞれで聞いていきました。
松澤:いくつか紹介していただけますか。
エガワさん:こちらは、新潟県の「小千谷縮」という織物です。仕上げの工程で、淡い色にするために新潟県の雪にさらして淡くするという技法を使っていまして、それが新潟の冬、春を呼ぶ風物詩にもなっているとても素敵なデザインになっています。
松澤:当社のオフィスの暖簾もそ小千谷縮を使っています。偶然ですね。
ナガサワさん:(各々手にとって説明)こちらは、和歌山県の「再織」という織物なんですけど、絨毯など日用品に使われるデザインでよく目にすることもあると思うんですけど、改めて、シューズというかたちにすることで気づくおしゃれさが印象的です。
また、こちらは、千葉県の「桜織」です。元々、何年か前に途絶えた織物だったんですけど、地元の方々で復興されたというものなんです。「この柄自体は直接的に伝統的な「桜織」ではない」と地元の方々は心もとなそうでしたが、実際に商品化したものをご覧に入れたらとても喜んでくださいました。「コロナが終息したら工房にも遊びにきてね。」とも声をかけてくださったとても印象深い工房さんです。
松澤:結果的に商品を通して新しい価値を生み出した事例ですね。いいですね。
溝部氏:秋田県の職人さんはメール・FAXもできないっていうおばあさまだったんですけど、電話でのやりとりで制作を進めていきました。サンプルを送ってくださるときも住所を電話口でお伝えして、本当に届くのか不安になったこともありました。
松澤:それを全国各地でやったというのは、最初にお話を伺ったときも思ったんですけど、想像を絶する大変さですよね。(当社も)一部、地域のメーカーさんともお付き合いしているので同じような状況になったこともあるんですけど、なかなか今はメールでのやりとりというのがほとんどですもんね。
溝部氏:やっぱり会いにいきたいですね。メールとか電話とか手紙でやりとりさせていただいてこのご縁を続けて、叶うならば全国の工房さんに直接お会いして自分たちの目で文化だったり気持ちとか、技術を見に行きたいなというふうに思っています。
松澤:世代や伝える手法が違っても、新しいことを生み出すと、(職人さん側も)違う価値を付加できるからファンづくりにもなるし、そういうことを実践していらっしゃるのかなと思いますね。
松澤:これからの取り組みについては何か思惑はあるんですか。メディアや旅行業、もしくはネットとの組み合わせなど、さまざまな業界とコラボの可能性があるように思えます。
溝部氏:そうですね。今までは製品ばかりを作っていたんですけど、去年から京都オンラインワークショップを始めています。職人さんと一緒にワークショップを体験できるキット作りを行って、お客さんが登録すると自宅に届いて、全国で、ズームを通じてワークショップを行うっていうものでこれまで小さいちょうちん作りをしたりだとか、切り箱に絵付けをしたり、藁の鍋敷き作り。来月は、12月の中旬に京都の老舗喫茶のイノダコーヒーと京都の伝統文化を学ぼうということでコーヒーを淹れる講座も予定しています。
松澤:そうなんですね!当社も混ぜて何かやらせていただけることがあればぜひ、コラボトークに限らず、何かやりましょう。ぜひ直接お話を伺ったり、職人さんの話とかもしていただいたりして、これから色々できたらなと思います。プロジェクトの制作秘話などもとても興味深かったです。
今回はどうもありがとうございました。
溝部氏:ありがとうございました!
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インスタライブで開催される「日本工芸コラボトーク」。第6回は、東京銀器の12代継承者であり、宗達アートクラフトを立ち上げた上川宗達さんをゲストにお迎えしました。歴史ある家業を独立し挑戦を続ける上川さんが、日本工芸・代表の松澤と語った内容の一部をお届けします。
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日本工芸・松澤(以下、松澤):
今回コラボトークさせていただく上川さんとは、天王寺の展示会で初めてお会いし、そこで非常に魅力的な商品を作られる方だなという印象を受けました。その後も非常に興味深い活動をされていたので、ぜひお話できたらと思いお声がけさせていただきました。
今回は「上川宗達さんの新しい挑戦!」という大それたタイトルを付けさせていただいたのですが、上川さんは2021年8月に家業を独立し、自身で事業を立ち上げられました。今日は職人と起業家の2つの顔を持つ上川さんに、独立に至った経緯や感じた苦労、今後チャレンジしてみたいことなどをおうかがいしたいと思います。
上川氏(以下、上川氏):
はじめまして、上川宗達と申します。僕は国が指定する伝統工芸品のなかでも「東京銀器」の制作・販売をしております。もともと銀師の一家に生まれ、18歳から家業で技術を学び始めました。その後家業を独立し、今は東京都台東区の蔵前に店舗を構えて銀器を作ったり魅力を広める活動をしたりしています。
東京銀器の名前を聞くと「東京に銀のイメージはなかった!」と驚かれる方も多いのですが、もともと江戸時代に東京の銀座は銀貨の鋳造場として発展しました。その後、製造技術が帯止めやかんざしにも応用され、銀器の製造が盛んになった背景があります。
松澤:
東京の中でもどうして蔵前でお店を構えようと思ったのですか?
上川氏:
昔から蔵前はものづくりの町で、さまざまなジャンルの職人が集まる場所でした。そのため、今でも老舗の職人が幅広く残っているのが特徴です。最近では若手の職人も増えてきており、新旧の職人が共存しているのがとても魅力に感じたので、ここで挑戦したいと思いました。
松澤:
上川さんが最初にキャリアをスタートされた家業も、かなり昔から技術を継承されていますよね?
上川氏:
はい、家業である日伸貴金属の技術は11代流れを継いでいて、僕が12代目の技の継承となります。
松澤:
上川さん自身は、かなり長いあいだ家業で銀器を制作されていたのですね。
上川氏:
そうですね。18歳から23年間、父親や兄弟、その他さまざまな先輩方から技術を学ばせていただきました。
松澤:
そこから独立を決めた理由はなんですか?
上川氏:
一つ大きなきっかけは、2018年に「LEXUS NEWS TAKUMI PROJECT」というトヨタ自動車日本のものづくりサポート事業に東京代表として選出していただいたことです。このプロジェクトを通して、これまでの慣習や常識を抜きにして現代にものづくり浸透させるにはどうしたらよいかを改めて考えるようになりました。
そこで特に思ったのが、若い年齢層の方にとって東京銀器はかなり疎遠な関係にあるということです。僕の友だちに東京銀器のことを聞いてもピンときてないことが多く、僕自身もその友だちが東京銀器を使っているのをイメージできませんでした。せっかく僕が子どもの頃から夢だった東京銀器の職人をやっているので、自分と同じ年代の方々にもっと魅力を伝えたい思い、若者向けの作品も作るようになりました。
松澤:
なぜ家業ではなく、独立という道を選んだのですか?
上川氏:
どこの会社員もそうだと思うんですけど、会社のコンセプトやターゲットの中で自分がいかに力を発揮するかが重要だと思っていて、僕も家業にいたときは23年間そういった意識のもとでものづくりをしていました。実際うちの家業には昔から好きでいてくれるファンの方がいて、高い年齢層のお客様もたくさんいらっしゃいます。そこで若者に向けた商品をいきなり売り出しても、昔からのファンの方は離れますし、新しいファンもなかなか付きません。どっちつかずのもったいない状況になると思ったので、起業して1から始めることを決断しました。
松澤:
家業で仕事をしていたときは、父親や兄弟は同業者であり仕事仲間でもあったと思うのですが、仕事や独立をするにあたって親子の葛藤はあったりしましたか?
上川氏:
ものづくりをする上では、すごく言いやすい関係性でしたね。みんなで作り上げていくという同じ目的を持った中で、「こうした方がいいんじゃないか」とか「これをやってみたらいいんじゃないか」などは、すごく意見交換しやすかったです。ただ「技術をこれからどうやって進めるか」や「新しい技術をいかに広めるか」など、違う視点に立ったときに家業ではなく自分で責任を持って取り組みたいと思い独立しました。独立した今でも応援していただいていて、同じ仲間として心強い味方です。
松澤:
身内でもあり同じ伝統工芸の仲間でもある、それが一番いい関係性ですね。
今は自分の好きな作品づくりに取り組んで、上川さん自身の環境としてはかなりよくなっている状況ですかね?
上川氏:
そうですね。僕の宗達アートクラフトがなんのためにあるのかを改めて考えたときに、「心の豊かさを考える」というのを僕の会社の理念として掲げようと思いました。
今でこそ大量生産大量消費の時代になりましたが、本来ものには使っていた人の思い出や人生の中で築いてきた歴史が含まれていて、そこに価値があると思いました。僕もものづくりをする職人として、そういった人々の心に豊かさを提供したいと思っています。
松澤:
そういったものを作れる職人さんは本当すごいですよね。使っていたときの時間や空気感など、思い出がセットになりますよね。僕も工芸品の魅力はそこにあると思います。
上川さんの作品をいくつか見させていただいて、アクセサリーなど若い人向けの作品にも挑戦されている印象を受けました。それは先程もおっしゃていた通り、上川さんと同じ年齢層の方にも使ってもらいたいという想いからですか?
上川氏:
はい、銀器に触れてもらう入り口は意識しています。やはり最初から銀器のコップなどは想像しにくいと思うので、まずは僕が作ったアクセサリーなどを使ってもらって、僕の技術や銀器の魅力に触れていただけたらと考えています。
松澤:
まずは間口を広げることからですよね。上川さんは、他の産地とのコラボレーションによって生まれる新しい価値を大事にされているイメージもあるのですが、そういった点は意識されていますか?
上川氏:
やっぱり工芸品の良さって無限大にあると思っていて、特にコラボレーションすることで1+1が2以上にもなる可能性を秘めているんですよね。ただ、僕の目指すべきゴールはやっぱり「心の豊かさ」なので、コラボレーションすることで心の豊かさにつながるのであれば積極的にしたいと思っています。
松澤:
コラボの相手はどのように決めているのですか?
上川氏:
基本的には、展示会などでいいなと思った職人さんには連絡先を聞いています。あと、銀器はオーダーメイドの注文もよくいただくので、お客さまと打ち合わせをしたときに「あ、この職人さんとコラボしたらいいかも」といったふうにぱっと頭に思い浮かぶことも多いです。
松澤:
なるほど、作品イメージが先にあって、それを可能にしてくれる職人さんに依頼する感じですね。上川さんの店舗に来られるお客様は、どういった方が多いですか?
上川氏:
そうですね、僕のインスタグラムをずっと見くれていて店舗に足を運んでくださる方だったり、通りすがりに店舗を見つけて寄ってくださる方もいます。今一番多いのが、旦那様が奥様にサプライズプレゼントをしたいといって注文してくださる方が多いですね。
あとは、体験教室に来たお子さんがお母様の誕生日プレゼントを作りに来てくれたこともありました。それが僕にとってはすごく嬉しい出来事でした。腕のいい職人が作ったものも魅力的ですが、お母様にとってはお子さんが作ってくれたアクセサリーの方が価値があるじゃないですか。それこそが本当の意味で「心の豊かさを考える」ということだと思います。僕の作品を一方的に提供するのではなく、お客様の心が豊かになるものを一緒に考えながら選択肢を提案したいですね。
松澤:
いいですね。愛にあふれるとてもいい場所なのですね。最後の質問になりますが、上川さんが今の会社でこれから目指したい方向性やチャレンジしてみたいことはありますか?
上川氏:
まずは自分がしっかりと作品を作って、古き良き伝統工芸品としての精度を上げていきたいのと、制作の過程などを発信して伝統工芸品の魅力を広めていきたいです。
あと最近考えているのが、敬老の日に息子さんやお孫さんが、銀器のプレゼントを作って贈るサポートもしてみたいと考えています。やっぱり心が豊かになるものって人それぞれなので、その人に合った作品を考えるのは自分自身もすごく楽しいです。額の汗を拭いながら「妻のためにプレゼントしたいんです」なんて言われたら、なんとしてでも作りたくなりますよね(笑)
松澤:
会社のビジョンとやりたいことが合致していて、そこに向かって進んでいるので、これからがとても楽しみです。
あっという間にお時間が来てしまいました。まだまだお聞きしたいことがたくさんあるので、また飲みにでもいきましょう(笑)
上川氏:
はい、よろしくお願いします!本日はありがとうございました。
——
このコラボトークのあと銀の酒器プロジェクトが始まりました。詳細はこちら。
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鈴木さん:私は、株式会社鈴甲子の鈴木雄一郎と申します。五代続く五月人形の鎧兜を製造しているメーカーになります。千葉県鎌ヶ谷市に弊社のショールームがございます。明治の初期、初代の鈴木甲子八が、節句人形の陣道具の制作をしていたところ、その技量を認められ、甲冑作りを始めるようになりました。
場所は、墨田区の本所です。この地域は職人さんが多く集まっているため、横のつながりを大事にしながら発展していきました。
今はちょうど製造のピークを迎えているところです。基本的に、甲冑は、パーツごとに制作したものを最終的にアッセンブリして梱包しますが、この最終過程を行なっています。
松澤:いろんな技術を持った方がそれぞれで制作して一つのものを作るというのは甲冑の特徴ですよね。
鈴木さん:ものづくりの世界は値段の勝負になりがちですが、弊社は、自社にしか作れないものを作るという独自路線を意識しています。たとえば、こちらの黒の甲冑は、実際に博物館にあるものをそのまま縮小したものです。ラフ画を描くときに丁寧に模写をして、一つひとつ精巧に作りました。
松澤:一言で、模写をすると言っても、普通は上手くいかないものだと思います。職人の技術があってこその制作ですね。
鈴木さん:はい、技術力の高さは、私たちの強みだと考えています。また、弊社には、5人の伝統工芸士が在籍しており、甲冑業界でも珍しい人数です。
松澤:技術を高めるコツはありますか?
鈴木さん:甲冑の制作は、一人一人が異なった部分をそれぞれで作っていきますので、一部分のクオリティが下がると全体のクオリティも下がってしまうので、責任感を持っています。
また、各職人がそれぞれで共通の完成品のイメージを持ちながら制作を進めています。具体的に言えば、ここに社長が描いた絵が飾られていますが、制作の前にまずこうしたラフ画を描いて、シルエットや形状、色の目安を表し、完成品のイメージを共有していく感じですね。
松澤:これは鈴甲子さんの特徴だと思うんですけど、職人さんに楽しんで作ってもらえるような環境づくりを整備してものづくりに取り組んでいるところだとおもいます。どのような工夫がありますか?
鈴木さん:基本は、持ってきたアイデアを出し合いながら次の作品を作っていますね。作るのが好きな人は、自分の作品をみて欲しいですし、何かしらの言葉が欲しいことが多いです。それを「ああいいね」とアイデアを生かしていけるのは、弊社の特徴であり強みではあると思います。「技術」と「アイデア」ですね。
例えば、こちらは禅シリーズです。艶消しの赤と茶色を主に使った作品です。和室に佇んでいるような落ち着いたイメージを意識しました。兜も少し落ち着いた茶色に仕上げて前たても木彫りになっています。
また、こちらは、牛革を使った「茶丸」という作品なんですが、靴の職人とコラボしています。
>商品:鎧飾り | タンゴ侍 | 茶丸 | 鈴甲子 雄山
松澤:ガジェット好きな男性にはおすすめですね!
こうやって新しい取り組みをどんどんされていらっしゃることは技術の進歩を加速させることにつながるのかなという風に思います。
鈴木さん:ありがとうございます。
鈴木さん : もともとは大学卒業後、金融機関に勤めていたんですけど、父である社長と相談して甲冑の世界に入ることになりました。この世界に飛び込んで約2年くらいです。まだ職人としては新米です。
松澤:弊社と鈴甲子さんが出会ったのが2・3年前ですから、鈴木さんがちょうどこの仕事を始められたときからのお付き合いですね!ところで、以前はサラリーマンをされていたとのことでしたが、この仕事を始めるにあたって葛藤はありましたか?
鈴木さん:めちゃめちゃありました(笑)僕の場合はすごく悩みました。ただ、悩んだことも、甲冑の世界を次の世代に伝えていく覚悟を持てたという点で、よかったと思っています。
松澤:鈴木さんの場合、社長さんが父親ですから若い頃から、家業についてお話はされていたんですか?
鈴木さん:そうですね。(父は)いずれは僕が父の後を継ぐだろうと考えていたと思います。(私は)いつかを引き延ばしていたという感じです。
というのも、中途半端な状態で伝統文化の中に身を置いて生きるのは、今までの職人さんたちが作り上げてきた歴史や先祖の人間たちに失礼だと感じていたからです。今の状態で家業を継いでいいのだろうかというところに葛藤しました。
松澤:ちなみに親からの暗黙のプレッシャーもあったりしたんですか?
鈴木さん:ありました。二ヶ月に一回くらいの頻度でありました(笑)
松澤:家業を継ぐ決意したきっかけは何だったんですか?
鈴木さん:実は、コロナがきっかけでした。コロナの影響で当時の仕事がオンラインになった時に思うように捗らなくなってしまって、改めて家業を継ぐかどうかを考えるようになり、父親と相談しました。実際に父のものづくりに対する思いや技術を、間近で触れていくうちに決心がつきました。
株式会社鈴甲子代表取締役鈴木順一郎さんへのインタビュー
鈴木さん:兜飾り天賦の兜「空」は昨年度開発した商品になります。現代のインテリアに馴染むように制作しました。糸目をあまり主張しすぎない淡い色合いが特徴です。
松澤:結び目の部分やおどしの部分ですね。個人的に、兜は、単色のイメージがあり、どちらかといえば男性に人気がある印象がありましたが、だんだんと、女性の方の顧客も増えてきたことも踏まえて淡い色の兜を作成されたのですね。
鈴木さん:女性の方に関心を持っていただいたことは大きいですね。インテリアに合うか否かという視点は、現代でものづくりをするにあたって大事なことだと思います。
松澤:ものづくりが好きな方が社長を中心に集まっていらっしゃる印象はあるんですが、好きなものを作り続けることと、文化や大事にしたいものを維持することに対する思いっていうのはどのようなバランスを取っていらっしゃるんですか?
鈴木さん:僕はまだこの仕事を始めて2年目なのですが、社長やベテランのスタッフの話を聞いていると、ベースには本物の甲冑の良さを残しつつ、その上に自分たちのアイデアを乗せていくことで、現代の暮らしにあったより良いものが生み出されています。
>当社取り扱い、鈴甲子 雄山の商品一覧はこちら
鈴木さん:一般的な鎧兜は、実際の甲冑の3分の1の縮尺で作られているため、サイズが大きく、飾るのにもステップを踏む必要があるため、ハードルが高いと感じる方もいらっしゃると思います。端午侍は、コンパクトであり、なおかつ本体を置くだけで飾ることができるので、従来よりも手に取りやすいのかなと思います。
松澤:インテリアにフィットしますね。ちなみに、端午侍について、一つ良いエピソードがあります。昨年度の話ですが、あるお母様が、御徒町で終日お子さんのために鎧兜を探したがなかなかいいものがなくて困っていたところ、たまたまネットで検索したら当社のサイトに行きつき、鈴甲子さんの端午侍を買ったそうです。その方には「色合いが可愛らしい」と言っていただきました。
鈴木さん:それは嬉しいですね。
松澤:鈴甲子さんは、webを中心とした情報発信に力を入れられています。こちらはどのような思いを持って取り組まれていますか?
鈴木さん:家業を継いでから驚いたのは、今まで知らずに過ごしていた会社の技術の高さでした。それを上手く伝えていくことで、衰退傾向にある業界全体を良い方向に持っていくことができるんじゃないかという可能性を感じました。
先ほど少し話したように私は職人の面では素人なので、(制作上で)自分から見てすごいなと思ったポイントは、お客様も同じように感動してくださるのだと思います。
松澤:検索した時にちゃんとしたページがあると魅力的に見えますね。綺麗な写真がサイトに掲載されていると、拡散力が違います。また、甲冑自体に独特のパワーがありますし、直接見ていただくことも重要だと思います。ショールームを開いている一方でウェブで発信されているというところがすごく先進的だという印象があります。
突然ですが、最後に今後の目標があれば教えてください。
鈴木さん:私もまだ職人とはっていうのが言えるような感じじゃないんですけど、これから五月人形や職人という世界で自由に泳ぎ回れるような人間になっていきたいというのが目標です。
また、情報をお客様に伝える技術は獲得してきているので、これからも「技術力の高さ」と「独自性」を意識して「鈴甲子さんの甲冑」と呼んでいただけるようなブランド力をつけていきたいです。
松澤:若手のホープですからね!
我々もいろんな取り組みをご一緒できたらと思っています。そろそろお時間となりました。本日もたくさんの方に聞いていただいてありがとうございました。
鈴木さん:こちらこそありがとうございました。
(鈴甲子展示場から当社アレンジで中国へライブ配信した際の風景)
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日本工芸堂、鈴甲子取り扱いシリーズ一覧
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松澤:本日はお時間を作ってくださりありがとうございます。早速ですが、御社のご紹介をお願いいたします。
森さん:森工芸の森寛之と申します。祖父の代から70年、私は三代目になります。徳島市内でツキ板の製造を専門としています。
ツキ板というのは、紙ほどに薄くスライスした木をベニヤ板やMDFに貼り付ける作業のことです。主に家具や店舗内装、木工製品全般の表面材に使われる材料の製作を中心に行なっています。
また一般的な突き板の使われ方以外にも、二代目である父が、突き板を使って、模様を作ったり絵画にしてみたりと色々と挑戦いたしまして、弊社にしかない特徴のある加工技術が生まれました。
そういった技術を応用してテーブルの天板だったりとか家具の中で一部変わった貼り方で模様をつけるということを特徴としております。
松澤:木に加工を施し、素材としてメーカー様に納品するというのがベースになるんですね。
スライスの手法にはどういったものがあるんですか?
森さん:まず、弊社ではスライスは行っていません。スライスされた状態のものを仕入れている形です。
主なスライス方法がいくつかあり、それによって出てくる模様が違ってきます。例えば、大根の蔓剥きのように丸太の円周をぐるっと剥く手法は「ロータリー」と言われ、一番幅が広く取れます。
また、「板目」という手法は、丸太に対して垂直にスライスします。「たけのこ模様」と言いますか、ウニャウニャとした感じでいわゆる木目模様になります。
もう一つ「柾目」という手法があります。丸太の年輪に対して半分にスライスしていきます。これは真っ直ぐな縦線模様になります。お客様の好みや用途に合わせて、貼り合わせた合板を制作しています。
松澤:なるほど。前後しますが創業の背景をお伺いしてもいいですか?
森さん:開業したのは、約70年前の祖父の代のことです。現在では、徳島市内は、木工所が多い地域になっていますが、海軍が造船の管理をしていた頃はそのほとんどが船大工でした。
そして、明治維新後、船大工が技術を応用して鏡台や仏壇を作るようになった事が徳島の木工の基礎となり、この流れの中で自然と木工産業の一役を担うようになった事が森工芸の創業の背景です。
(注釈※明治維新まで阿波藩(徳島)では阿波水軍と呼ばれる水軍があった事から木工造船が盛んであった歴史があります。)
また、この地域の特徴は、分業体制です。生地の生成やツキ板、塗装屋など細かく小さな分業がなされています。
松澤:そのなかで森工芸さんはツキ板を専門とされていたわけですね。
森さん:はい。徳島の木工の作り方の特徴は後貼りと言って、箱を作ったあとにツキ板を貼る作業になります。貼ったものを組み立てる先貼り一般的ですが、開業当時は後貼りが主でした。
その後、時代の変化とともに、現在では弊社でも貼ったものを組み立てる先貼りを主に行っていますが、後貼り技術も受け継がれています。
(写真:instagramでのライブ配信画面)
(注釈)0.2mm~0.25mmの厚みのものを薄突き、0.5mm~0.6mmの厚みのものを厚突き呼び、このツキ板を合板やMDFの表面に貼ったものは『化粧合板』と言います。家具や建築内装材、木製品全般の材料として幅広く使用されています。(許可得て写真転載)
松澤:ところで、ツキ板業界全体のお話をお伺いしたいです。現在、この業界の大まかな背景や立ち位置はどういったものになるのでしょうか。
森さん:業界の性質上、インテリアの流行には大きな影響を受けます。最近では発注で上がるのは、オークやオールナットだったり、チーク材の明るいものだったりします。
松澤:流行に合わせて制作されているんですね。
森さん:そうですね。インテリアデザイナーさんから依頼を受けることもありますが、他のインテリアとの調和が大事なんだと思います。
松澤:ロシア・ウクライナの影響はありますか?
森さん:物流は結構厳しいです。木材はロシアから輸入していたものも多かったのですが、コストが高くなっていますし、そもそも木材自体が買いにくくなっています。いろいろと変化の多い二年間ですね。。
松澤:最近は、どの業界も苦労されていますね。
森さん:もともとは、材料の下請けの会社なのですが、先ほどもお伝えした通り、うちには特徴的な技術があるのでそれを活かせないかということで自社製品の開発に挑戦しました。県主催のプロジェクトで、中小企業の商品を海外の展示会に展示するという企画があり、商品開発から販売まで実際にサポートしていただける機会を得ました。
実際にできたのは、このトレーです。欧米を中心とした外国で人気があるのは大きめのもので、直径が44cmになります。小さい方は28cmで、日本の暮らしに馴染みやすいサイズですね。
また、丸い形状のほかに長方形もあります。
太陽にかざすととても綺麗なんですよね。デザインもシンプルで飽きにくいのではないかと思います。
松澤:木の種類もいくつか紹介していただけますか?
森さん:これはホワイトシカモアと言って外から中心に波紋のような模様が特徴です。木の癖として、光沢部分が多く含まれています。ヨーロッパ原産です。
黒檀;黒い中にラインを貼っています。また、ホワイトシカモアを藍染にしたものもあります。
松澤:藍染ですね。
森さん:藍染は徳島県の伝統産業であり、この技術を活かすことは地場産業にも繋がります。木工の産地でもあるこの地域で藍の青と木工をコラボさせることはプロジェクトのテーマでもありました。
闇雲に染めるのではなく、せっかくなら染めることで素材の良さが生かされる木を見つけ出すことが重要だと考え、試行錯誤を繰り返しました。最終的にホワイトシカモアの光沢が藍染することでより際立つことに気がつき、この木にしました。
松澤:御社の商品は、木が組み合わさって作られていると思うのですが、スタッフの間で、この模様はどうやったらできるのだろうと話題になりました。
お話できる範囲内で大丈夫ですので、技術面で工夫したところがあれば教えていただけますか?
森さん:扱っているものが「木」ですので、天気や状態によって伸び縮みしていたり波打ってるものもあります。木目を綺麗に取るためにどの木を選ぶかというところから注意を払っています。
次に、15度ちょうどの定規でそれぞれカットしていきます。スライスされたツキイタがズレていると完成したときの模様までズレてしまうので、慎重に作業します。
また、中心から同心円状に広がる模様の作り方は、ツキイタの張り合わせ方によって決められます。1枚目から24枚目まで順番に置いていくだけではうまく模様が現れません。右側に一枚目をおいたら2枚目は左側に重ねていく、というように交互に張り合わせていくことで模様が安定していきます。
松澤:バラバラのものが組み合っているはずが、全体としては、樹木の年輪のように規則正しく並ぶのは、技術力が出るところなのかなと思います。
森さん:出来上がりを想像することが重要です。改めて、この商品は、手元で太陽の元でやると綺麗なんですよね。シンプルで飽きもこないデザインかと思います。
森さん:この商品が企画されたのは2019年のことで、展示会は2020年の1月に開催されました。海外での取り組みは、コロナの影響で思い通りになったとは言えない現状です。
この商品は、もともとは、ロサンゼルスとポルトガルの店舗に出荷する予定でした。量産への準備ができたところで、コロナが蔓延してしまい、片方は注文を保留してほしいという連絡が入り、もう一方は音信不通になってしまいました。
出鼻を挫かれた思いになりましたが、せっかくなので、自社での販売にチャレンジしてみることにしました。地道にちょっとずつという感じですが、フランスとアメリカと中国、シンガポールの4カ国には販売を開始しています。
松澤:販売形態はどういったものになるんですか?
森さん:地域によってそれぞれです。小売店のところもあれば卸もあります。
松澤:繋がりが生まれたポイントっていうのは、地域によって特色があったりするんですか?「技術面」だとか「色合いの好み」だとか。
森さん:一つは、シンガポールのお店さんとの繋がりは、メゾンオブジェの会場で実際に弊社の商品をご覧いただいたところからでした。
また、イギリスのECサイトさんからは、インスタから連絡をいただきました。いろんな地域に発送しているという点で海外販売の売り上げはここが一番多いです。ECサイトなので個人への販売になるのですが、びっくりするようなところから注文をいただいたりもしています(笑)
松澤:コロナが無事終息したら展示会も行われるようになりますが、海外の新しい攻め方についてはどのように考えていますか?
森さん:ヨーロッパやアメリカなどの欧米は、物流コストが上がっていますので、近隣の国である中国が大きいマーケットになっているのかなと思います。この国は、weiboなど独自のツールがあると思うので、これから勉強していきたいと考えています。
松澤:当社でも、中国へのライブコマースを実施したところ多くの人に認知していただきましたよ!
森さん:色々教えていただけるとありがたいです。ライブコマースが盛んなイメージがありますが、そこから実際に売れるんですか?
松澤:中国では、ふらっと販売して売れるものでもないですね。ちゃんとした流通ルートを確保することが大切です。模倣されてしまうとあとで取り返すのが大変なので、商標を取るのが得策かと思います。しかし、国内商標に加えて、海外もとなるとコストもかかりますし、ターゲットをうまく見定める必要がありそうですね。
松澤:ところで、コロナ禍の現代においてウェブの活用は重要になってきますよね。
森さん:そうですね。本業であるツキ板の発注が影響を受けたことで、時間を持て余すようになりました。そんななかでプロジェクトで開発した商品が手元にあったので、販路を拡大したいと思い立ちました。
インターネットの活用についてはそんなに詳しくないので、知り合いの方に協力いただいたりしつつ、ホームページとECサイトの作成は、この期間で頑張りました。
松澤:インターネットに関しては積極的に取り組まれている印象があります。動画や写真もシーンによって使い分けられていますよね。
森さん:ありがとうございます。写真っていうのは商品のイメージを伝える上で重要ですよね。モデルハウスをお借りしてイメージ写真を撮ったりしています。
松澤:動かすと色味が変わる商品は動画での紹介が有用ですよね。
森さん:そうなんですよ!徳島県の代表的な産業である藍染と木工のコラボ商品は、木の色本来の明暗を楽しんでもらえるように、特に力を入れました。
松澤:話は尽きませんが、時間が近づいてきてしまいました。最後に今後の取り組みについて何かお考えはありますか?
森さん:トレーは、販売していただける場所が既にいくつかありますので続けていただけるようしたいです。いまの規模感の程度が対応しやすいので、商品のラインナップはこのままでいいと考えています。お店を新しく開業するときなどに、テーブルの天板やその他諸々の特注依頼が来ることがありますのでそういった従来のオーダー対応は継続していきます。
また、ホームページを設置してからは個人のお客様からもご連絡をいただくことがあります。こちらも大切なニーズの把握になります。
松澤:メーカー様だけではなく、個人のお客様にも対応されているんですね。
森さん:ECサイトは実際に写真や動画を乗せることができるため、良いものが作れることを知ってもらいやすいことが強みだと思っています。これからもお客様の要望に沿ったこだわりのものを作っていきたいと思っています。
松澤:改めてお時間いただきましてありがとうございました。
我々も、今後、色々な取り組みにご一緒できたらと思っています。
森さん:こちらこそありがとうございました。
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増田さん:鋳心ノ工房は、1997年に設立しました。もともと僕はデザイン畑出身でしたので、自らのデザインを製造、販売、流通させるということをしています。まあなんとか今日まで二十数年事業を行ってきています。息子夫妻と私と妻と家族四人でやっています。
また、山形の銅町、やっぱり山形は鋳物の発祥の地ですので、いろんな方にも協力していただいています。色々な分業をまとめて一つの製品を作るというやり方をしています。デザインにはこだわっていて、国内だけではなく、海外でも色々な評価を頂いてます。
大きなメーカーではないので、たくさんのオーダーはなかなか受けづらいです。しかしながら、鋳物の素材自体が地味で堅実な素材ですので、私たちとしても一つ一つを丁寧に長くお客様と繋いでいこうというような考えで今日までやってきています。
松澤:なるほど。鋳心ノ工房さんは山形鋳物でいらっしゃると思うんですけど、山形鋳物自体は、どういう特性でどういう背景か、その辺もちょっと簡単でいいので教えていただいてもいいですか。
増田さん:はい。多分皆さんは鋳物をみると南部鉄って必ず言われるんですね。南部鉄器と山形鋳物の大きな違いっていうのは、南部鉄器っていうのは鉄自体も材料として取れたんですね。一方で、残念ながら山形の場合は、鉄が取れません。ですから山形の場合は「銅」を中心に産業が発展しました。
私の住んでいる街が銅町っていうんですけど、出羽三山っていう山岳宗教について、仏具などが中心に発展してきたところなんですね。また、もっと大きな違いはその歴史です。南部藩は明治になるまでずっと代々続いてきたので、南部の鋳物師ということで3つぐらい今日まで古いところがあります。
一方で、山形はちょっと残念なことに最上義光の時代は非常に繁栄をなしたんですけど、それから明治になるまでお殿様が何代も入れ替わってしまったために歴史的なつながりが少し足りません。それで、鋳物といえば南部鉄っていうことが多くの人たちに認識されていきました。
増田さん:また、山形鋳物の発祥には「馬見ヶ埼川」という川が鍵になります。ご存知ですか、日本一の芋煮会で有名なんですけれども。
松澤:芋煮会、知ってます!
増田さん:そうですか!そこの河原の砂が非常に鋳物に適しており、900年以上前に京都から来た鋳物師がそこの砂を気に入って、鋳物を作りはじめたというのが発祥です。
松澤:なるほど。やっぱり土地に紐づいた製法というか原材料っていうことになるんですかね。
増田さん:そうですね。ですから鉄瓶自体も、一昔前まで、南部鉄器っていうと全部蓋も本体も鉄で作られていましたが、山形の場合は蓋は銅で作られるのが主でした。
増田氏instagramアカウント @hisanori_masuda より引用
松澤:増田さんと初めてお会いしたのは、確かインテリアライフスタイルショーでした。そこで増田さんはこちらの商品を展示されていたんですが、ケトルの形で可愛らしい鉄器であり、柄の部分だけは木製品でできているために熱くないという素敵なデザインに惹かれてお取引を開始させていただいているっていうような感じですね。山形鋳物である伝統を引き継ぎつつも、現代の生活の中に溶け込むデザインを考えられているように思います。その点についてお聞かせください。
増田さん:大学の時の恩師が、芳武茂介という先生で、この人は山形鋳物を一番初めにデザインした方なんですね。日本で一番初めにできたデザイン研究機関である商工省工芸指導所の研究員でして、その後、武蔵野美術大学の教授となり、縁があり私は先生のアシスタントを務めました。
この組織は日本の伝統工芸を輸出産業にしようということで、作られた組織なんですけれども、ブルーノ・タウトが来たりイサム・ノグチもそこにいたり日本のデザインの中心でした。僕はそういうものの薫陶を受けてきて、生活に馴染むものを目指す志向が生まれました。そのころ、先生たちが一番モデルにしたのは、北欧のデザインで、フィンランドとかデンマークとかのデザインでした。シンプルでモダンなものです。
私たちもその影響で、北欧をイメージした、生活の中に潤いが生まれるような道具を作ろうと今も努力をしているわけです。ですから、「組み合わせ」は大切に考えています。鉄の良さを生かすために他の素材との組み合わせを考えていくということは非常に気にかけて仕事をしています。
松澤:今、我々も販売を開始させてもらっていますが、このケトルはどうしてこの形状にしたのでしょうか。
増田さん:このケトルは弟でしてお兄さんのケトルが前にあります。こちらは1984年に作ったもので真鍮の柄です。これも鉄と真鍮の組み合わせで作ったものなんですけれども、直接ハンドルを持つと熱いと言うことで、こちらのケトルが生まれました。機能性だけでなく、鉄と木が合わさることで生まれるふんわりとした雰囲気も魅力です。
僕としては、今のインテリアやキッチンにフィットしたものを作りたいということで、ハンドルを自然材である木に変えたら大きな反響をいただきました。機能自体は鉄瓶ですので、鉄瓶を扱う上での基本的な決まりごとを意識していただければ、なんの心配もなく使っていただけると思います。
松澤:機能的な意味でいうと、南部鉄器も同じだと思うんですけれども、水がまろやかになったり、鉄分が取れたりしますね。
増田さん:そうですね。お茶のタンニンと鋳物の鉄分がうまくミックスして、お茶がまろやかになります。今は、コーヒーを淹れる方も増えていると聞きます。逆に白湯だけを魔法瓶につめて利用される方もいますね。健康と結びついた面で、鉄瓶にもう一度、興味を持ってくれてるのかなあとは思いますね。
松澤:そうですね。そういう認識は私も持っています。メンテナンス、使った時の注意点やルールなどがあればお伺いしたいできますか?
増田さん:中はタワシとかで洗わなくて大丈夫です。使い終わったら、中の水分だけを余熱で乾燥させてください。蓋もとったほうが乾きやすいでしょう。外も水洗いするんじゃなくて、乾いた布巾などで、ぽんぽんぽんとふく程度で大丈夫です。要するに、水分だけとっていただければ、洗わなくてもいいということを一番伝えたいですね。水を入れたままずっと置いていると錆びてしまいます。
松澤:やっぱり鉄ですから、空気に置いておいたら錆びるので、使い終わったら水分だけ取ることを気にしたらいいわけですね。
増田さん:鋳物は800度で、素焼きをして、酸化皮膜という青い膜がついています。南部鉄器の場合は、そのまま仕上げをしているんですけど、山形鋳物の場合は外も中も「漆の焼き付け仕上げ」というやり方で漆を塗っています。
松澤:なるほど。漆を塗ることでどんな効果がありますか。
増田さん:漆は、酸・アルカリに強いので、鉄そのものを守るという効果があると思います。
松澤:本体に多少水分がついてもはじき飛ばすということですか。
増田さん:鋳物の素材に水滴がかかると、少し時間をおくと、すぐそこが赤いあとになってしまうんです。それくらい鉄はすぐ水分に反応してしまうんですね。そういう意味で、漆は大事です。
松澤:なるほど。
増田さん:でもやっぱり水気は必ず除いて下さい。食洗機には絶対に入れるべきではないですね。もし手洗いしても、後は乾いた布で水分をしっかりと拭き取ってください。手間はかかりますけれど、その分、貫禄が出てくるので、そういうことを楽しんでもらいたいなって思います。
松澤:長い時間をかけて手入れをすることが大事なんですね。
増田さん:これはポイントですけど、お湯を沸かして白湯をお茶碗に入れてですね、お湯がそのまま綺麗だったら鉄瓶の中が変色してしまっていても問題ないんですね。その方が鉄分が補給できてるんですね。
ただ、ちょっと使ってて心配だっていうのが、沸かしたお湯が濁っている場合です。そういう場合は、お茶の出汁がらを入れて少し煮立ててください。そうすると、状態が落ち着くんですよね。お茶の成分は錆びを抑える効果があるので。
松澤:先日、その話を聞いて、お茶の思わぬ力に新鮮な驚きを持ったのを覚えています。
増田さん:はい。注意点は火の加減です。ガスの場合は鉄瓶の底より火が出ないように調節してください。火力が強いと漆ぬりでも少し色が変わってしまったりします。あとは、よく修理をいただくときに気付くんですけど、(鉄瓶の利用状況の)個人差がすごいんですよね。火にかけたまま忘れてしまって、空焚きをしてしまったりするのは避けていただきたいです。
ただ、変化してくるんですよ。口の周りとか蓋の周りとか。どうしたって錆びは出てきます。でも、鉄瓶っていうのはそういうものなんですよね。だからこそ、慌てるのではなく、錆びることも「自然」であるとして変わっていく様子を楽しみながら使っていただきたいと思うんです。
お湯を沸かす時間もお茶を飲む時間も楽しんで、ゆとりを持って使っていただけると、鉄瓶の本来の良さがわかっていただけるのかなあと思います。
松澤:ゆっくりとした時間を楽しむのはすごくいいですよね。
松澤:鉄瓶だけじゃなくて箸置きなど様々な商品があるなあという印象を受けます。こういった多様な発想とアイデアはどのように形にしていらっしゃるのか、こだわりなどをお伺いしたいです。
増田さん:妻からも作りすぎだと叱られているんですけれども、作ることは楽しいんですよね。一方で売ることは難しいといつも思います。
松澤:分業ですからね(笑)
増田さん:色々と作ることによってお客様の反応を伺うことができます。やっぱり全然リピートがないものもありますし、このケトルのようにハンドルを変えたことで何十年と買っていただいているものもあります。やっぱり見ていただかないと、選択肢も広がらないなということで色々とやっています。
これもなんですけど、イギリスのロンドンのレストランで使っていただきました。小物っていうのは、皆さん興味を持ってくれるんですね。箸置きだけではなく、文鎮で使っていただける人もいます。
松澤:洒落てますよね。
増田さん:これも箱に詰めてギフトにしたらすごく反響をいただけるようになりました。
他の製品でも、インテリアライフスタイルショーに展示した際に反響がありました。これらは女性の方から可愛いという声を多くいただきました。鋳物はどこか普段の生活から遠く、可愛いと言われることもなかったので、嬉しかったですね。
松澤:鋳物は力強いイメージだから、どっちかっていうと可愛いというよりはかっこいい感じですね。
増田さん:小さな花瓶ですけど、テーブルの上で、ドライフラワーを入れておくと可愛いです。
これらの商品が鉄鋳物を知るきっかけになって、鉄瓶とか鍋敷とかお鍋とかフライパンとか、次に興味を持ってもらえるようになる糸口になればいいなと思いますね。
松澤:もう一度メガネの前に持ってきていただいても大丈夫ですか。相当小さいんですね。
増田さん:小さい(笑)実は仕上げたりするのに手間がすごくかかるんですけど。小さなものの魅力ってあると思います。箸置きがメインですけれども。
松澤:カタログに商品がたくさんあって選ぶのが大変でした。スタッフの間で人気投票をしたんですよ(笑)
増田さん:ハートは、バレンタインでも使っていただけますよね。なかなか鋳物のプロダクトでバレンタインに合わせて使っていただくものってなかったので。
作り方は砂型鋳物と言って、基本的に砂を固めてその隙間に流すというシンプルなものです。
伝統工芸の素材の中でも、金属で、特に鉄は、なかなか皆さんに接する機会が少ないのかなと思っているので、皆さんが興味を持ってもらえる素材になればいいなと思っています。
松澤:これ以外にもお香立ても作られていて、木とのコラボという点でとても魅力的だと思いました。こちらも少しご紹介していただいてもよいですか。
増田さん:コロナ禍になって、香りっていうのがまた見直されてきましたよね。日本のお香を焚く道具ということで、売れていますね。特に僕の場合は、お線香に特化しています。
これは蓋と本体ですけれども、それぞれお香入れとお香立てですけれどギザギザですよね。茶の湯釜に伝わる「羽落ち」という金槌で叩いて形をつくる技術です。このギザギザは、自然にできる形なので一つ一つ全部違います。型で作っているけど結果的には、その人のものはその人のものでしかありません。あとはもうひとつ、木の板で作られた蓋もあります。やっぱり木と鉄との相性はよいですね。
松澤:海外への取り組みについて増田さんはどのように捉えていらっしゃいますか。
増田さん:ヨーロッパでは、お茶とお香が人気です。鉄瓶をティーポットとして使えないか、と相手方から使い方を提案していただいたところからスタートしました。また、日本のお線香だけではなくていろんな太さのお線香に使えるように対応したらどうですかなど相手方からアドバイスをいただきました。お線香は今もロングセラーです。ヨーロッパの人たちから見た日本の文化に対する視点はすごく参考になりました。
松澤:なるほど。展示会に出て、色々な出会いの中からニーズも見えてきたっていう感じですかね。
増田さん:ティーポットにしても、日本人が考えているものとはまた別の発想ですね。この間はフランスでホットチョコレートを入れるということで、チョコレートのフェスティバルに鉄瓶を貸してくれという依頼を受けました。全く山形に住んでいる僕の日常とは離れているものを感じました(笑)
松澤:そろそろお時間になりました。聞いている方も工芸ファンの方が多いと思いますので、山形鋳物についてメッセージがあれば、いただけたら嬉しいです。
増田さん:鉄は長生きなんですね、私たちよりも。だから丁寧に使って、自分の世代だけではなくてその次の世代にも手渡すことができると思います。だから長くお付き合いしていただきたいなと思っています。(鋳物は)付き合っていると良さがわかる素材のように感じます。地味な素材なんですよ。
日本の方は鋳物を持つとすぐ「重い」だとか「錆びる」だとか言われるんですけど、海外のお客様からは「適切な素敵な重さ」だとその重さをマイナスではなく、プラスに捉えてくださることがあります。祖母や母が使って日が経ち錆びてしまったものも修理をすれば使えるようになります。そこに命が宿るわけですよ。そういう鉄瓶の「重さ」のようなものもどんどん楽しんでいただきたいなと思います。
松澤:我々も販売を通してですけど、増田さんが言われたような思いを持ちながらこういう活動を継続できたらなと思います。今後も、色々発信していく予定ですので、ぜひお付き合いいただければと思います。本日はありがとうございました。
増田さん:こちらこそありがとうございました。
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泪橋大嶋屋提灯店は、大正2年(1913年)創業、代々伝統工芸技術を伝承し現在三代目と四代目が継承する老舗です。提灯に文字や家紋等を直接手で描き入れる、江戸時代より続く東京都の伝統工芸品「江戸手描提灯」を生業としています。
今回は、村田さんに提灯の今とこれからのこと、そして、東京手仕事プロジェクトで制作された音提灯の開発秘話などを伺いました!日本工芸・代表の松澤と語った内容の一部をお届けします。
松澤:お時間いただいてありがとうございます。今日村田さんにお話を伺いたいのは提灯の歴史やその背景、またそれらに今どのようなニーズがあるのかといった点です。工芸品に関心のあるファンの方々に教えていただきたいと思っています。
村田さん:ありがとうございます。
松澤:早速ですが、御社の歴史をお伺いしてもよろしいでしょうか。
村田さん:大正2年1913年創業です。祖父のおじさんが初代でして、私の祖父が二代目です。現在は父が三代目を務めております。私は四代目になります。
松澤:屋号の「大嶋」についてお伺いしたいのですが、現在、「大嶋屋」としていくつか制作されているところがありますが、どういった背景があるのでしょうか。
村田さん:元々浅草の寿町に「大嶋屋」がありました。そこで修行を積んだ職人がのれん分けで店を開いた時に、皆、屋号として大島屋を使ったというのが背景です。なので今でも何店舗か大嶋屋という屋号で残ってるところがあります。
松澤:歴史的なつながりがありながら今はそれぞれが独自に頑張っていらっしゃるのですね。
松澤:提灯はどういった背景で使われ始めたのでしょうか。また製造は?
村田さん:昔、蝋燭を照明として使っていたころのことです。蝋燭は外に出ると風に吹かれて消えてしまうことが難点でした。そこで蝋燭の光灯を風から守るために作られたのが提灯でした。これがまず提灯の起源となります。それで江戸時代に普及しました。そのうちに照明が使われるようになってからは、看板がわりになりました。
江戸時代の後期ほどから提灯の製造は分業で行われています。火袋と呼ばれる和紙を貼る職人さんと提灯を描く職人さんに分かれています。蝋燭を入れるので火の袋と書いて火袋といいます。今、東京にある提灯屋は全部描く方が専門です。「ハリ」(和紙を貼る作業)は他の地域で作られたものを仕入れています。
松澤:それではここは「描く」場所なんですね。
村田さん:問屋さんから紹介されたものを仕入れてここで描く。そしてまた納めるという流れは東京の提灯づくりの特徴となります。
松澤:ルーツとしては、明かりを長時間持たせるために作られたものだったのが、時代の流れとともに見た目にも工夫がなされるようになったのですね。
また、東京は「描く」場所とのことでしたが、時代劇に登場する提灯には屋号や家紋が入っているのを目にします。また、現代でいうと、お祭りのシーズンで(提灯を)見かけますね。あとは、お店に飾られていることもありますよね。
村田さん:そうですね。提灯が一番使われるのはやはりお祭りのときですね色々な町会さんや神社仏閣などから注文を頂いています。あとは飲食店ですね。お客さまがお店に入るときに目を引く「看板」として中央に置かれていることが多いです。
松澤:提灯自体は全国各地で見ることができると思いますが、地域ごとに特色がありますか。
村田さん:あります。例えば、関西と東京とで比べてみると形が違います。関西の方は若干肩が張って角張ったような感じですが、東京の方は丸みを帯びています。これは江戸スタイルというか、東京スタイルになっていると思います。
あとは(提灯に描かれる)文字にも独自のスタイルがあります。東京は「江戸手」と呼ばれる手法があります。遠くから見ても目立つように、ということでなるべく太く大きく描く特徴があります。
松澤:文字自体がシンボリックなスタイルになっていますね。
村田さん:はい、江戸文字と呼ばれるものには勘亭流や根岸流などいろいろあります。その中でも提灯に描くのは籠字(かごじ)といいます。縁を取ってから中を塗り込むので籠字と呼ばれています。
松澤:縁を取るっていうのは外側に線を引くということですね。
村田さん:そうです。提灯はでこぼこしてますので一気に描くことはできません。ですので周りを縁取ってから真ん中を塗り込むという手法がとられています。
松澤:製作工程を一部だけ見せていただいたことがあるのですが、当たり前ですけど、これ(手で直接)書いてるんですよね。改めて間近で描かれているのを目にして、その緻密さに驚いたのを覚えています。
松澤:制作工程についてもう少し詳しくお伺いしてもよろしいですか。
村田さん:まず問屋さんからはつぶした状態で届きます。それを広げて霧吹きをかけていきます。提灯の中には広げた和紙が元に戻らないようにするための突っ張り棒が入っています。
松澤:霧を吹くのはどうしてですか。
村田さん:和紙は濡れると延びるので突っ張りやすくなります。そこから乾くと紙がピーンと張ります。紙の特性も考慮して一番描きやすい状態にします。そのあとは、鉛筆で下書きをしていきます。最初は無地の状態なので、下書きの段階でバランスを整えます。名前を描く場合でもまず当たりをつけていきます。線が決まったら筆で少しずつ枠を縁取っていき、そこまでできたらあとは肉付けをしていきます。
松澤:先ほど見せていただいた名前が書いてある提灯は、お客様からのご要望だと思います。名入れ依頼にも対応できるのは手書きならではの柔軟性ですね。
村田さん:(実際の品を見ながら)これは出産祝いで描いたものです。上の「祝」の字はを牡丹字という手法で描き、正面が名前で、後ろに生年月日を入れられるようになっています。こちらは最終的に朱塗りになります。
松澤:提灯の色は男女によって違うんですか。
村田さん:いえ。男子だから白で女子だから赤という決まりはありません。お客さんの好みで選んでもらう場合もあります。これは結婚式用のものですが、めでたいイメージで紅白が対になっています。
松澤:いいですね。おめでたい感じがします。ところで、家紋や紋様は、どのように描かれているのでしょうか。フリーハンドなのか縮尺に合わせてコンパスのようなものを使われているのか?
村田さん:そういった場合は、分回しという道具を用いています。分けたり回したりするので”分ける、回す”って書いて分回しです。これは描くときに必需品です。下書きの段階で、中心を見つけて回します。この割り付けの場合ですと、八等分です。線を引いてそれを基準にしていきます。
松澤:分回しっていう意味はそういうことからきてるんですね。てっきり腕を振り回すことかと(笑)その順番に従っていけば均等に割り付けて描くことができますね。
村田さん:丸いところをやる場合も、分回しを使って下書きをしたあと、筆でタイトルを付けていきます。ここでも縁取りをしてから中を塗り込んでいきます。これは薄墨で塗ってあります。赤の場合はこういった感じです。
松澤:家紋などの文様を描く場合について気になることがあります。神社仏閣はもちろん一般のお客様から文様の依頼が来ることがあると思いますが、こうしたときは、元々ある文様を描くように頼まれることが多いですか。それとも吉兆紋のようなものを描いてくれっといった比較的創作的な要望もあったりしますか。
村田さん:家紋の依頼ですともう文様は決まってますね。あとは飲食店さんからのご依頼ですとロゴやその店の謳い文句を描くこともあります。
松澤:依頼するときにデザインのイメージがきちんとあれば大体のものは描けちゃうんですね。
村田さん:提灯の形状が元々少し湾曲してるので完全に平面のものとは印象が変わってくると思いますが、よっぽど細かいものでなければ描くことはできます。
松澤:企業のオリジナルのロゴ制作も可能ということですね。
個人的には店の外側だけではなくインテリアとしての需要もあるのではないかと考えています。当社もギフトで頂いた提灯を部屋の中に置いているのですが、オフィスに来てくれるお客さんたちも「何コレ!」と驚いてくれるので会話も弾みます。
松澤:お客様からはどんな喜びの声がありますか?
村田さん:一般のお客さんですと、「贈り物」として購入してくださる方が多いです。結婚祝いだったり出産祝いだったり、還暦を迎えたおじいちゃんおばあちゃんへのプレゼントだったり。オーダーメイドということで世界に一つしかないという点でも喜んでいただけます。
松澤:私自身、今までの生活の中にはなかった提灯をオフィスに置いてみて、部屋の雰囲気が安らいだ感じがします。お客さんとの話のきっかけになったりして楽しみの一つにもなりましたね。
村田さん:ありがとうございます。
松澤:やっぱり「名入れ」のギフトは特別感がありますね。
村田さん:手書きの良さは文字であればほとんど何でも書けるというところにあると思います。ですのでお客様のニーズは拾いやすいです。また結婚や出産のお祝いでの贈り物の中でも提灯は珍しい部類に入るかもしれません。周りと違ったものを贈れるというのも面白い点ですね。
松澤:お話の続きをさせていただければと思います。まずは「OTOCHOCHIN(音提灯)」という新しい取り組みについてお聞きします。この企画はどういう枠組みで進んでいったのですか。
村田さん:東京都主導で「東京手仕事プロジェクト」という企画があります。職人さんとデザイナーさんとがコラボして新商品を作るというプロジェクトです。私はそこに応募させていただきまして、デザイナーの川田さんと組むことになりました。彼が考案したものを元に一緒に作っていきました。
松澤:デザイナーさんと工房さんのマッチングですね。ちなみにこの両者のマッチングはどのように行われますか。
村田さん:それぞれが立候補します。マッチングの打ち合わせの際にデザイナーさんからアイデアを提供していただき、その中から選んで、(マッチングが成立したら)一緒に進めるという形になります。
松澤:今回、村田さんはなぜ応募されたのですか。
村田さん:元々、提灯を若い人に広めたいと考えていました。あるとき、新しい提灯を作ってみたいと思い、応募しました。
松澤:デザイナーのアイデアを借りながら新しいものを作れるんだったらやってみようかなっていう感じで応募されて、デザイナーさんとマッチングされたのが、「音提灯」の始まりなんですね。
松澤:(マッチングした相手に対して)当初、どういう印象でしたか。
村田さん:「OTOCHOCHIN(音提灯)」というアイデアが本当に素晴らしいと思いました。今や必需品であるスマートフォンの画面の光を提灯の中に入れるのは、提灯は元々明かりを灯すものですので、本来の用途に近いものを感じました。さらにそこに音をつけるという新しい発想の斬新さに惹かれ、この方とチームを組みたいと思い企画に乗り出しました。
松澤:それでは、今日は川田さんもいらっしゃっているので、どうしてこれを思いつき、なぜこの形にしたのか、着想の経緯などを聞かせていただいてもいいですか。
川田さん:先ほども村田さんのお話にもあったように提灯は「光」が重要でした。それを従来のLEDで直接、照らすとかろうそくで灯すのではなくて、何か別のものに置き換えられないかを考えていました。
「そういえばスマートフォンって光るよな」ということで中に入れてみたら結構綺麗だということに、まずは気がつきました。でも、ただ入れるだけではなくて何か機能に加えたいということで、アナログなシステムなんですけど、下に穴を開けて音を拡散させるスピーカー機能をつけました。
こういうスマートフォンのスピーカーというのは、結構世の中にもありますが、そこをちょっと(提灯と)組み合わせて音も出つつ、光も出つつという形にしました。
松澤:構造上はどのような工夫が施されているんですか。基本は提灯の技術と描くスキルが使われているとは思うんですけど、普通の提灯と何か違った点はありますか。
村田さん:提灯の制作は分業制のため、ここでは火袋は作っていませんでした。そこは開発の時の懸念点でした。全部、この企画のために作ってもらった特注品です。ステンレスもそうですし、火袋もこのサイズはなかったので型から作ってもらっています。
川田さん:火袋自体は元々の発注元だった水戸の張り場で作っていただきました。ワイヤーは関西の町工場の皆さんに作っていただいて、木の枠は近隣の墨田区などから調達していきました。
村田さん:あとは「提灯」本来の特性を無くさないことも注意していきました。「江戸手描提灯」なので手書きの技術が取り入れられるようなデザインを考えましたし、提灯は元々折りたたむことができるものなのでこの音提灯も折りたためるように工夫しました。
あとは、ワイヤーの形状を考えるのは結構大変でした。このワイヤーがないとこの提灯は自立できないので。
松澤: 商品開発からの流れとしては(川田さんが)起案されて、お二人が出会って、「面白そうだ、やってみよう」となってから具体的な話になっていったんですね。「言うは易し、行うは難し」ということでしょうか。アイデアが定まってからも形にするまでに大変な手間がかかったことと思います。
村田さん:そうですね。火袋は作っていただけるところは知っていたんですけど、こういう木工とかステンレスワイヤーを使った商品は作ったことがなく全く初めての状態だったので、川田さんを含めこのプロジェクトのおかげでできたことと思っています。
松澤:アイデアと工房スキルを持ち寄って、お二人が協力して作っていったという感じなんですね。
川田さん:そうですね。色々試作を重ねました。ワイヤーとパーツについては私が探したんですけど、(提灯を)黒に染めるところは、村田さんの方で探していただきました。というのも最初はこの色のみの予定でした。ですが、アドバイサーの方々に「江戸手描提灯は黒がいいんじゃないか」という意見をいただいて「確かに」ということで黒色のものも制作することになりました。
松澤:この2種類は、躯体は同じだが、違う色を着色されているんですね。
村田さん:そうですね。ワイヤーを黒く染めてもらっている工場があります。
松澤:色んな所から部品、素材が運ばれてくるんですね。
色の種類としては「赤、黒、金、銀」がメインで使われているという感じですか?
村田さん:基本、絵の具を使ってますので何色でも対応可能です。手元にないものであれば調合してつくることもできます。
松澤:それでは、提灯だから、ということで黒を使われる方が多いけど、それはお客さんの好みや要望によって全然変えられるということですね。
金と銀は珍しくて目を引きますよね。
村田さん:この色はこだわりました。金と銀は非常にムラが出やすい色で、明かりを入れた時に目立たないように気を遣いました。(最終的には)真っ暗なところで使っていただくと光を通さなくなってるので黒く見えます。これは印刷では作れない塗料の厚みです。
松澤:まだらにならないように色を重ねて均一に色が塗られているんですね。試行錯誤の結果が今こうして形になっているということですね。
松澤:デザインの点ではどのような工夫をなされましたか。
川田さん:大きさにはこだわりました。インテリアに合わせるとなると大きすぎるのも難点ですし、スマートフォンでも収まるようにする必要がありました。開発した当時に出ていたスマートフォンのサイズは一通り調べてました。ほとんどのサイズが収まるサイズかつコンパクトっていうところだけは設定して詰めていきました。
松澤:置き場所はどういうところを想定されていますか。
村田さん:リビングやベッドの横でもいいですし、台所で音楽聴きながら作業されてもいいと思います。音が出るので、そういう意味では少しリラックスしたい場面で使ってほしいですね。おすすめなのがベランダとかバルコニーです。今は日中なのでちょっと見えづらいんですけど、暗いところだと本当に綺麗に色が広がります。
松澤:ベランダでビール飲みながら過ごしているときにあったらいいですよね。深酒するとだんだんろうそくの光とかがいい感じになりますし(笑)そんな状態でぼんやりと(これを)見やると「あぁなんかきれいだな」ってリラックスできてちょうどいいかもしれないです。
川田さん:今はスマートフォンには蝋燭の光専用のアプリがあったりします。自分の好みのアプリを引っ張ってきて「ちょっとまったりしたいな」っていうときはこれを使って安らげばいいって感じです。
松澤:この商品はどっちかというとギフト用ですか。
川田さん:アドバイザーの方から価格帯的にも商品のものとしても、(贈答用としての)需要の方があるんじゃないかという話をいただきました。
松澤:技術のある職人さんが作っているということ、そして生活にも使える、また、それでいてみんなが持ってるスマートフォンでもゆっくり楽しめるという気楽さ、みたいなところがストーリーとしてありますね。でもそれだけではなくて「なんか変わってて面白いね」っていう反応がもらえそうです。
川田さん:あとは、この提灯は細かくばらせます。始めは箱の中にバラバラの状態で入っています。
松澤:ちょっと簡単に見せていただいてもいいですか。
村田さん:まず、固定するためのキャップがあるので、これを外していただきます。そうすると、このワイヤーが抜けるようになっています。ここの部分も取れるようになってます。こんな風にしてコンパクトになります。一分あれば組み立てられます。
松澤:なるほど。出すときは今の逆をすればいいということですね。
川田さん:ずっと出しておくのもいいんですけど、使わないってなったときにコンパクトに閉まっておくことができるのはいいところです。
松澤:一つ一つ手描きで手掛けられていると思うんですけど、遠くから見るとプリントと間違われるようなクオリティですよね。手描きなので、オリジナルにも対応できると先ほどお伺いしたのですが、その点もう一度お伺いしてもいいですか。
村田さん:そうですね。全て(手で)描いてますので、例えば、この部分を家紋にしたりとか会社のロゴにしたりとかということもできます。ですのでオリジナル商品ができるかなという感じです。
川田さん:「名入れ」についてですが、分かりやすいのはこれです。例えば、こっちの(紋様の)デザインはそのままにしてこっち(文字)の方を名入れにするということができます。
松澤:ところで、この提灯は、主にどういう人に使ってもらっていますか。
村田さん:現状は、デザイン的に男性の方から多くご購入いただいています。(私たちの中でも)男性の中でも二十代、三十代とか四十代といった比較的若い人たちに使っていただけるものにしたいという思いがありました。
川田さん:実は、制作の段階で、販路をどうしたいかということをよく相談していました。我々は最初からロフトとかハンズなどで出せるようなものを作りたいという話はしていました。難しいよ、という声もありました。それでも村田さんの頑張りもあって、今、期間限定ですけどロフトさんで扱っていただいています。
松澤:東京手仕事に参加したことに対して何か感想があればお聞かせください。
村田さん:商品開発が初めてだったのでいろいろ大変なこともありました。それでもすごくいい勉強になったと思っています。
松澤:あちこちでも販売やワークショップなど(制作だけでなく)売る側のこともやられていますね?
村田さん:今は、いろいろなところに立って商品説明することもあります。今まで(提灯のことを)知らなかった方にも少しはお伝えできているのかなと感じています。
松澤:進化しつつあるという感じですね。最後に、今後の展望などありましたらお伺いしたいです。
村田さん:皆さん、提灯っていうもの自体は知ってると思うんですけども、手書きで描かれていることを知っている人は少ないんですよ。
松澤:恥ずかしながら私も先日知りました。
村田さん:しかし、提灯業界中でも文字の部分を印刷で製作しているものが増えてしまっています。そういった状況にも負けずに「江戸手描提灯」を広めていきたいと思っています。
また、若い世代を中心とする現代人は提灯を家に飾るのも難しかったりすると思います。ですので、現代の暮らしにもあう形を模索していきたいです。
松澤:我々も、今後、色々な取り組みにご一緒できたらと思っています。
改めてお時間いただきましてありがとうございました。
村田さん:こちらこそありがとうございました。
(当社アレンジにて中国にライブコマース配信を実施した際の1シーン)
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今後も隔週で全国の作り手とのコラボトークを予定しています。詳しくは、日本工芸堂のメルマガ登録で工芸に関する各種情報をあわせてお届けいたします。
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松澤:長澤さんとの出会いは、2・3年前でした。
長澤さん:当時、展示していた商品に興味を持って頂きましたね。
松澤:色合いがとても素敵で、目に留まったんです。当社でもぜひ取り扱わさせて頂きたいと思いお声がけしました。
今回のコラボトークでは、商品の紹介はもちろん、長澤さん自身の来歴や思いなども一緒にお聞きできたらと思っています。
会社の設立は確か2017年でしたね。実は当社と創業年が近いんです。
長澤さん:2017年8月です。今年で丸5年になります。
松澤:前職は何をされていたんですか?
長澤さん:会社を立ち上げる前は、23、4年間ほど地元新潟の燕市で、金属洋食器の製造に関わる会社の営業部長を務めておりました。体力・気力があるうちに一つ何かを成し遂げたいと一念発起して、長年お世話になった会社を退職し、今の会社を立ち上げました。
松澤:「ここでやらないと後悔するな、、」という感覚は私にもよくわかります。お互いの年齢も同じくらいですもんね。一念発起をされたということでしたが、起業するまでに覚悟や着想など色々あったことと思います。
この事業をやろうと思った背景を教えていただけますか?
長澤さん:地元で23、4年ほど働いていましたので、ものづくりへの知識や人脈はすでにありました。また、燕市の産業の特徴も後押しとなりました。ここの地域では、一つのものを作る際、何十社、何百社とあるパーツごと専門の工場がピラミッド式に連携します。ですので、大きな工場がなかったとしても、ある特定の技術やアイデアがあれば、周りの工場に依頼をかけて作ることができるため、私が独立してもなんとかやっていけるだろうという確信がありました。
松澤:ショーケースに置いてあるタンブラーや急須の色味は独特ですね。この色味を出す技術はもともと知っていたのですか?
長澤さん:既に、以前の会社でもこのような加工の技術があるのは知っていました。制作への興味はありましたが他のプロダクトが先行していたのでなかなか実行できませんでした。
全国的でも有名な「燕」の金属食器に何かをプラスすることで新しい価値を作ることが会社の目標です。この色使いは、お隣、富山県の高岡という地域と手を組んで作っていきました。富山県は、銅像や仏具の産地で銅を主体とした製造加工が盛んな地域です。
このタンブラーの最終の色付けにも昔から存在している伝統的な技術が使われています。ただその技術は銅や真鍮を加工する技術で、ステンレスに応用するのは大変でした。私はそのことを知らなかったので、会社を設立した当初、車で2時間ほどかけて高岡の会社に飛び込みで制作の依頼を持ちかけました。もちろん相手側は初め、半信半疑で私の誘いに乗り気ではないようでしたが、一緒にやってみたいと何度もお願いしたところ引き受けてくださいました。制作まではそこから一年半から2年弱かかりました。
松澤:開発は相当苦労されたんですね。
長澤さん:この茶筒も元々はステンレスで、特殊な技法で銅を着色した後に、高岡に持っていきます。要は科学反応です。普段、銅が錆びると緑色になることがあると思うんですが、制作過程で人工的に緑青が出るようにしています技術は実用新案登録も取っています。
松澤:「燕」はどういった特徴を持った産地なんですか?
長澤さん:歴史的な背景からお話しますと、江戸時代に幕府の要請により「和釘」の制作が始まりました。弥彦や間瀬地域の山から銅が採れたため、金属製品を作りやすい環境でした。時代に合わせて、銅の加工技術を活かし、「和釘」や「キセル」、スプーンやフォークなどの「カトラリー」、「自動車部品」まで作ってきました。町の歴史のベースに金属加工がありますね。
松澤:確かに「燕」の地域はメーカーの数が多い印象があります。基礎となる金属加工の技術がどんどん様々なジャンルに応用されていってこのように多品種の金属製品が生産されてきたのですね。
長澤さん:「燕」の町を少し歩いてみると、家族で研磨やプレスをしている情景をここかしこで見かけると思います。一家で工場を経営しているところが多いので、町全体が金属加工の会社だという見方もできます。
松澤:町ぐるみで制作に携わってきた歴史があるのですね。
そういえば、私が「燕」を訪れた際に美味しいラーメン屋さんにご一緒したことがあったのを思い出しました。
長澤さん:食べましたね(笑)「燕」のラーメンは、太麺で背脂たっぷりのこってり醤油が特徴です。カトラリー製品の貿易が盛んだったころ、残業のお供としての夜食で大人気でした。運んでもらう間に冷めないように背脂がたっぷり入ってるんですよ。
松澤:食文化にも産業の影響があったんですね、面白い!
ところで、「燕」の地域だけに言えることではありませんが、近年、大量生産が可能になって安価な商品が市場に出回るようになったと思うのですが、やはり経営が厳しくなるところもあったりしますか?
長澤さん:ありました。しかし、あったからこそ新しいことに挑戦する価値があるのだと思います。これまで様々な金属製品を生産してきた技術は、「燕」の頑丈な母体となるでしょう。これからも町に散らばる工場が切磋琢磨して技術を磨いていきます。
長澤さん:モメンタムファクトリーの折井さんですね。私よりも7、8歳下ですかね。元々は仏像や銅像製作の最終工程である着色を専門でやっていた会社だったそうです。彼は2代目で、初めは東京のIT企業に勤めていましたが、依頼を受けて会社の立て直しに尽力されました。「ORII BLUE」と呼ばれる着色技術を開発し、彼自身、真鍮や銅を用いた様々な商品を作っています。
当社は、そのうちの一つとしてステンレスの金属製品を高岡に持っていって着色してもらっている形です。燕で加工したものを高岡で着色するという流れで、素敵な色合いの食器を提案していければと思っています。
松澤:高岡に行く機会があったのですが、折井さんの時計が印象的でした。タペストリーのような時計で美しい青に心惹かれました。それで、御社のパンフレットを見たときに折井さんの名前が入っていてなるほどなと思ったんですよ。
長澤さん:このタンブラーは二重構造になっています。氷を入れてオンザロックで飲むと非常に美味しいです。魔法瓶のようになっていて、外側と内側を天面で溶接しています。二重になっていることで保温効果があり、本体には結露もつかず、持っても冷たくありません。
お酒関連でもう一つ。こちらは1.5合の徳利です。これも二重構造になっています。見えづらいかもしれませんが、変色箇所が溶接の跡です。口のところも溶接しています。熱燗でも冷めないし、持っても熱くありません。冷酒ももちろん冷たいままです。また、ステンレスですので、落としても大丈夫です。取り扱いも安心なのもいいところですね。
視聴者:「徳利のお手入れは大変ですか?」というご質問をいただきました。
長澤さん:専門のブラシで洗っていただくのをお勧めしています。食洗機は避けていただきたいですが、中性洗剤や水洗いはしていただけるので、そこまで難しくないと思います。キッチン・テーブルウェアはステンレスの素材だと水との相性が良くて使いやすいですよね。
松澤:外側から見ると二重構造だというのが全く分かりませんね。頭の細くなっている部分まで二重になっているとは、すごいです!
長澤さん:これも元はステンレスの徳利です。「燕」では、成形工場→溶接工場→研磨工場の3つの工場に依頼しています。その後に、高岡で色付けをするという流れになっています。
松澤:まさに産地コラボですね。
長澤さん:(色付けは)機械と違って一つ一つ手作業で行っているので、外側の柄は一つとして同じものはありません。シルバーの上に出てくる黒の模様もそれぞれ少しずつ異なります。
松澤:独特の柄はこの商品の魅力ですよね。
松澤:御社の商品は独特の色味が特徴かと思うのですが、新規の商流を作るときに工夫したところや苦労したところがあればお伺いしたいです。
長澤さん:会社を設立してから4年半ほど経ちましたが、先ほども言った通り、商品ができるまでに1年半から2年ほどかかりましたので、まだこの商品を見たことがないという人が多いですね。外側の模様が唯一無二であることや「燕」と「高岡」の産地コラボの商品であること、そして開発秘話などを伝えると皆さん興味を持ってくださいますね。
松澤:御社の青いタンブラーは東京の雑貨屋でも見かけることがあります。ショーウィンドウから見えると小売業をやっている身としては、つい、自分も早く商流を起こさないと、と思ってしまいます(笑)
長澤さん:こういう商品ですから、実店舗にて実際に商品に触れてもらって購入していただくという流れを作りたいというのが本音です。コロナの影響でなかなか叶わず、その点では少し歯痒い思いがあります。
松澤:お互い頑張るしかないですね。
今後の商品開発の方向性についてはどのように考えていますか?
長澤さん:このシリーズは会社のベースなのでこれからも継続的に守っていきたいですし、他の商品についても間口を広げていきたいと考えています。現在は東京や大阪に市場を伸ばしている感じですが、その他でもまだまだ潜在的なニーズを掘り起こす努力はしたいです。また、燕にはまだまだ多くの金属製品がありますから製品とのコラボも面白そうですね。
松澤:海外への活動についてお伺いしてもいいですか?
長澤さん:最初から国内外問わず全世界を対象に展開していきたいと考えていましたので、パンフレットの方も日本語と英語を併記してあります。ちょうどコロナが流行ったばかりの一昨年の2月にはドイツのフランクフルトアンビエンテの展示会に出品しました。また、香港でもポップアップで販売したりしています。
松澤:それは素敵ですね!
お時間が近づいてきてしまいました。最後に視聴者の方に何か伝えたいことがあればお願いします。
長澤さん:当社では「燕」の優れた金属製品をベースに今までにないものを作りたいという思いで活動を続けています。一つ一つ職人さんが丁寧に色をつけたものですから、唯一無二の斑紋模様をお楽しみいただけるかと思います。これまでとは少し違う食器を使って和やかな雰囲気で食卓を囲み、笑顔になっていただけたら幸いでございます。
松澤:我々もいろんな取り組みをご一緒できたらと思っています。本日もたくさんの方に聞いていただいてありがとうございました。
長澤さん:こちらこそありがとうございました。
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田村さん:Three riversの田村と申します。主に、有田焼のセラミックフィルターを開発しています。
松澤:御社のセラフィルターは、すでに10万点以上の売り上げだそうですね。オフィスでも愛用しています。
田村さん:ありがたいことに、海外を中心にブームが起きました。海外では、水道水をそのまま飲めないことがあり、フィルターを通してお水を飲むという使い方をしてくださっている方が多いようです。
松澤:昨年末にはテレビでも紹介されたとか!
田村さん:11月6日放送の「世界一受けたい授業」の中の環境にやさしい商品の特集にてうちのセラフィルターを紹介していただきました。
田村さん:セラフィルター誕生の経緯は、東京都の浄水場でセラミックが使用されているのを社長(三河氏)が聞きつけたところからでした。セラミックには、水の不純物を取り除く作用があるそうです。
松澤:元々、都が利用していた技術なんですね。
田村さん:実はそうなんです。
松澤:有名なバリスタの方も愛用されているんですよね。
田村さん:粕谷哲さんですね!日本人で初めてバリスタの大会で世界チャンピオンになった方です。最大の特徴は油分が効果的に抽出されるので珈琲のうま味成分でもあるアロマが逃げていきにくいことです。ぜひブラックで飲んでいただきたいです。
松澤:「飲めば違いがわかる」ってやつですね。特徴どんなところですか?
三河さん:穴の大きさは、珈琲の油分が最も効果的に抽出されるサイズを研究しました。日本とアメリカにて、穴の大きさの特許も取得しています。
松澤:いくつかあるセラフィルターのブランドの中でも特許を取られているのは御社だけだそうですね。「珈琲好きですが、このフィルターで淹れると美味しい」(視聴者から)というコメントもいただきました。
三河さん:嬉しいですね。
松澤:お客様からよく「本当に水が濾せるんですか?」というご質問をいただきます。(肉眼では)光を通さないことから不思議に思う人も多いみたいですね。
田村さん:確かに肉眼ではそう見えるかもしれませんが、実は透過性はあります。セラフィルターの表面に数十ミクロンの細かい穴があるのですが、ここを通すと水の分子が細かくなり、硬水が軟水に変化します。
松澤:そうなんですね!
また、陶器でできているため、強度についてもよく質問をいただきます。
田村さん:焼き物ですが、硬いところに叩きつけたりしなければ通常使用なら大丈夫です。例えば、使用後に洗っていてシンクにごろんと転がる程度でしたら割れたりはしません。
松澤:このフィルターを使うと、珈琲以外にお酒やワイン、お水の場合でも良いそうですね。
田村さん:そうなんです!その他にお茶で使われる方もいます。
松澤:ワインやお茶、コーヒーなど使う素材によって複数使い分けた方がいいんですか?
田村さん:そんなこともないです。使用後に、水洗いをして余ったお湯で湯煎をしていただければ、一つのフィルターで利用いただけます。洗い終わったあとのフィルターに水を通したときに、出た水が透明であれば洗浄ができている証拠です。一方で、珈琲用、ワイン用、などそれぞれ分けて使う方も多いです。
松澤:生産現場をご紹介いただけるとのことで、お願いいたします。
工場長:ではこれから実際にセラフィルターが作られる過程をご覧いただきたいと思います。
まず、土を袋から出して練る工程からはじめます。私の足元にあるのが、原料になります。こちらは、複数の原料と最小限の水を入れて一昼夜寝かしたものです。それでは、練っていきます。
松澤:水が混ぜてあるから粘度があるんですね。
工場長:そうですね。均一にするために手作業でこねています。ある程度原料がうまく混ざったら、手にとって均一になるよう重量を量ります。
その次は成形です。
松澤:型に押し付けて、粘土を広げていく感じなんですね。
工場長:次に、蓋を被せて軽くプレスします。この時の微妙な力加減で穴の大きさが決まってきます。根詰まりを起こさないように調節しながら、粒の目の大きさを決めています。
松澤:濃淡を均一にするイメージですね。
三河さん:圧力の強さによって目の粗さが変わってきます。ちょうどいいくらいに、圧力を弱め、水を少なくすると理想的な大きさの穴になります。圧力の度合いはその人の感覚で見定めます。
松澤:具体的に数字が決まっているのではなく、それぞれの職人の技術によって、均一性が保たれているんですね。
工場長:ここまでで脱型が終わりました。次は乾燥させていきます。
松澤:(工場長が持っているものと同じ状態のものが)いっぱい並んでいますね〜!
工場長:ろくろに、合わせ目の部分を入れて、ヤスリをかけ、ふちどりをしていきます。すると、つるっと綺麗になります。この後は釜に入れて焼くだけです。1225度で30時間焼いていきます。
松澤:歩留りはいいですか?
三河さん:1割も落ちることはないですね。釜に入れるまでの工程で検品をしていますし、ゆっくり焼いているからだと思います。通常の焼きものは4.5時間程で焼いていきますが、先ほど工場長が言っていたように30時間じっくり焼くことによって、焼きものの強度が上がっていきます。
工場長:焼き上がりはこんな感じですね。
松澤:こちらのマグカップも社長の力作だと伺っています。
田村さん:ダブルウォールカップですね。
ガラスタイプのものから着想を経て、有田焼でも作れないか挑戦してみました。香りを楽しんでもらえるようなデザインにしました。
松澤:口元が締まっていて、この部分が少し大きい形状ですね。このカップは、容量が多い割には軽くて持ちやすいですよね。
田村さん:二重構造になっているので、見た目より軽いですね。容量は500mlで珈琲にしては多いと感じる人もいるかもしれませんが、「たくさん飲めます」ということで(笑)
カラーバリエーションもいくつかあって、黒天目や鉄赤などがございます。有田焼の美術品でも使用する釉薬を塗っていますので、味わい深い色味になっています。
また、中が二重構造になっているため、熱いお茶もすぐに持つことができますし、夏には冷たいものを入れてもカップの周りが結露しません。
工場長:こちらもちょうど今作成中のものがあります。まず、型に土を入れて4分程置き、ある程度固まったら、土を流します。脱型したらほとんど完成形に近いです。蓋の部分を持ってきて上と下で接合します。
そしたら完成です。
松澤:鋳型がダブルウォールカップの形状になっているんですね。
松澤:他の商品も紹介させてください。陶筒ですね。
工場長:社長の力作です!成形方法はローラーマシンという機械を主に使用していますが、蓋を作る工程は手作業です。蓋合いをよくするためにペーパーなどで削りを入れていきます。
こちらは歩留まりがものすごく悪いんです(笑)社長が一つひとつ手作りで作っているので、大量生産はできませんが、その分クオリティには自信があります。
松澤:そうですよね。私が言うのもなんですが、焼きものって釜に入れたときに膨張するため、本体と蓋の大きさをすっきり合わせるのはすごく難しいのがわかります。
田村さん:蓋をはめたときの感覚はやみつきになりますよね(笑)横のところに刻印が真鍮で入っています。
調湿性に優れているのでコーヒー豆や茶葉、お香など湿気に弱いものの保管用としてお使いいただけます。また、塩や砂糖も入れていただけますね。
松澤:今コメントで、「直に入れても湿気ないですか?」と質問をいただきました。
田村さん:大丈夫です。特に袋とかは要らないです。また、使用後は、洗剤は使わずに水洗いをしてください。焼きものなので、食器洗浄器ではなく自然乾燥で置いておいてください。扱いとしては食器ですね。
箱も高級な桐箱でご用意がございまして、ギフトにもおすすめです。
工場長:工芸品に馴染みがない人でも、自分へのご褒美や大切な人へのプレゼントなどをきっかけに手に取ってくださったら嬉しいです。
田村さん:これまでは結構セラフィルター、一本でやってきたところがあったのですが、これからは、セラフィルターだけでなく、今回ご紹介した2商品も含めて、さまざまな商品開発を進めていきたいと考えています。
松澤:期待しています!
そろそろお時間となりました。今回は、製品について詳しくお伺いすることができ、製造工程も見せていただき、本当にありがとうございました!
三河さん、田村さん、工場長:こちらこそありがとうございました。
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小野さん:私は、以前、株式会社サザビーリーグという会社に20年ほどおりました。この会社は衣食住の全てのライフスタイルを提案するたくさんのブランドを運営している会社です。いくつかブランドを点々としましたが、最終的にはAfternoon teaというブランドで、家具に関する事業に携わりはじめました。また、Afternoon teaは家具だけではなく雑貨も扱っていまして、主にオリジナル商品の開発をやっていました。
その後、松澤さんと会うきっかけになるんですけれども、2010年にAmazonJapanに入社をしました。「今後大型商品もECで売れ始めるだろう」と予見していたAmazon側が、初の家具専任バイヤーとして私を採用しました。Amazonのバイヤーは営業の要素も強く、北海道から沖縄まで直接行脚してAmazonで商売をしてみませんかと声をかけることが多かったです。自分の経験として、ものづくりの現場に直接訪れて生の声をヒアリングすることができたのは貴重な財産です。
そして、2020年にロックウッド株式会社を立ち上げました。ECでの販売や運営を行なっています。また、これまでの知見を活かして、Eコマースのコンサルティングもやらせていただいております。さらに、メーカー様同士のマッチングをお手伝いするということもやっています。
松澤:Afternoon teaは「感度の良い売り場づくり」として定評があると思いますが、小野さんの雑感として、特徴的なメーカーや素材などはありましたか。
小野さん:私がアフタヌーンティの商材を扱っていたのは10年以上前のことなので、今ほど地球環境への配慮が重視されていませんでした。ただ、その中では手作りのものや木工のものは人気でした。そういう意味では、丁寧にものづくりをするというのを、いかにお客さんに紹介していくかというのはコンセプトとしてあったと思います。
取り扱いの商品選定は「商品決定会議」内で、企画した商品のコンセプトや商品の特徴がAfternoon teaブランドに合っているのかを話し合う必要がありました。
松澤:Afternoon tea的なカルチャーフィットができているメーカーや商品が選ばれるという感じですね。
小野さん:やはり、ブランドのイメージカラーやコンセプトがある程度決まっているので、それらをこなしていったみんなの共感を得られたものが最終的に店舗に入っていきます。ある意味、商品的には決まったラインに乗せていく必要はありました。
松澤:店舗に出すという点では、ブランドとして統一感を出すことは重要だと思います。メーカー様も店舗に出すというところまで意識してものづくりをしないとなかなか万人に受けていくのは難しいのでは?と思います。
小野さんもたくさんの商品を見てきたと思いますが、その中で伸びがよかったと感じるメーカーや商品はありますか。
小野さん:記憶を辿ると例えば、観葉植物です。観葉植物はその当時まだ店頭であまり販売していないものだったんですけど、Afternoon teaのロゴが入ったマグカップに多肉植物を入れて販売するという企画をやりました。今ではそんなに珍しくはないですが、当時としては面白い取り組みでした。ものを作っていくプロセスはメーカーさんの知恵をいただきながら一緒にやっていきました。
松澤:直接、店舗に置くという点では、注意するべきところもありますね。
小野さん:リアル店舗では、商品を作る上で棚の幅や奥行きにも考慮する必要があります。サイズ感に合わせて、カラーバリエーションを3色にするのか10色にするのかが変わってきます。また、季節ごとに商品を入れ替える棚には何を置くかも考えていきました。ショップのマーチャナイザーの方と相談しながら僕たちバイヤーは、そこに合わせた商品をはめ込んでいくイメージです。
松澤:リアルなショップとECの場合で、商品の並び方や選ばれ方は全く異なりますね。これまで売れにくかった家具が徐々にECで売れ行きが向上していった点について小野さんはどのように感じますか?
小野さん:私がAmazonでバイヤーになったのは10年以上前の2010年です。当時はAmazonに商品を出店をしてもらうメーカーさんを増やす営業の仕事をしていました。まだECでの販売が浸透しておらず、塩を撒かれる勢いで断られたことも多い時代でした。
ただ、徐々に世の中も変化していると思います。また、家具業界ではリアルショップの売り上げが芳しくないことから必然的にECに興味を持つ方が増えてきたのではないでしょうか。
昨今のデータによれば、この業界のEC化率は、2020年で25%を占めています。家具市場自体が1.5兆円ぐらいあると言われているんですけれども、そのうちの四分の一はECの売り上げであると言われています。10年前は十数%だったので数値から見てもECで商品を販売する人が増えていることが分かります。また、コロナがECの普及率を追い上げているという見方もできます。それでも、飲食関連やドラッグストア関連に比べたら少ない方なのですが。
松澤:ECで商品を扱うにあたり家具に限らず、物流効率について考えるのは肝だと思いますが、その辺の話を背景を含めて伺ってもよろしいですか。
小野さん:はい。家具は、商品の規模が大きいので、運賃や倉庫保管料など、物流費用について考えることはとても重要になってきます。少し細かい話にはなるんですが、運送屋さんが規定する荷物の大きさについて意識してものづくりをすると効率化が図れます。あくまで一例ですが、ある規定の大きさが160cmまでで区切られているとして、完成した家具が162cmだと「惜しい」と思ってもどうしようもありません。商品を作る前に寸法に気を配っておくことは物流効率を上げる上で重要な要素なんじゃないかなと思います。
松澤:Amazonの同じカテゴリーで仕事していた際に「モダン仏壇」という商品を手かげていらっしゃいましたね。当時は仏壇といえば、大きいものが主流でしたが、そういったものが路面店で売れなくなってきました。そこでオンラインに置き換えられてきたときに「モダン仏壇」が発表されたんですよね。この商品の出現も物流効率の話と共通点が見られますね。
小野さん:物流費ももちろんそうなんですけど、暮らし方も変わってきているように思います。今でも地方は家が大きいですから従来の仏壇のかたちでもいいかもしれませんが、都会暮らしの人々は、床置きのものですと置く場所がありませんので、他のかたちを求める気持ちも生まれるはずです。
例えば、仏壇だったら棚の上に置くタイプや壁に取り付けるタイプが流行っています。物流の効率化も大事ですし、こうした暮らしの変化に伴うニーズの変化にも敏感になることは重要だと思います。
松澤:仏壇だけではなく様々なメーカーさんが都心部の暮らしを中心にものづくりの形を変化させています。技術や文化的背景は残しつつ、形や大きさ、色など形状を変えることでよりファンが広がることは良いことです。当社が扱っている商品の中でもできる限りそういった商品を選ばせていただいています。
小野さん:日本の伝統的なものはこれからも受け継がれていくべきだと考えています。一方で暮らし方がどんどんと変化しているのも事実だと思います。「伝統」と「トレンド」を両立させる柔軟性がものづくりをするメーカーさんにとって、すごく重要になってくると感じます。
松澤:ものづくりメーカーと最終消費者・お客様との間にかなり距離があると感じることがあります。直接話を伺うとすごく良いものを作っているのに、お客様にうまく情報が届いていない現状も見られます。こうした状況に対してどのようなことが必要だと思いますか。
小野さん:現代の良い点としては、もちろん大型百貨店などの大手もありますが、それぞれの工房が直接SNSで情報を発信できることが必須だと思います。
メーカーさんの立地も関係ありません。自社にSNSを上手にやれる人がいるのは強みになりますし、いないのであれば外部のパートナーから知見を得ることもできます。そしてゆくゆく自社の力でSNSの活動をするのも「ちょっとした知識」と「やる気」があればできる時代になってきていると思います。
松澤:南部鉄器のメーカーさんがTwitterでとてもわかりやすい発信の仕方をされています。商品のアイデアや売れ筋商品を飾らない自然な形で発信されています。生活や仕事のワンシーンに商品をうまく溶け込ませている様子は参考になります。
個人的なことですがつい先日もその方のSNSを見ていて、”いいな”と感じ母親に南部鉄器をプレゼントしました。工芸品を渡すことでつながりも新たにできますし、背景を知ってからものを届けられると渡す側と貰った側の両方の暮らしが豊かになりますね。
小野さん:南部鉄器、素敵ですよね。カラフルなものもあったりして、今のトレンドにあった映える写真をよく見かけます。特に感じるんですが、インテリア系は趣向性が高いので洋服とかに近い感覚なんですよ。
そういう意味ではインスタグラムとの親和性が強いのかもしれません。コンバージョンにどこまで繋がるのかっていうのは一言では言えませんが、やはり画像で使用シーンを実際に目にするとかっこいいなと思います。
松澤:工房が直接工法や使い方を発信するのは、その工房の商品をお客様がより身近に感じるという点ですごく重要な役割だと思います。
松澤:情報を届ける、新しい形の商社というかメディアというか、横断的にそういった場所やコーディネイトする役割を担う存在が必要なのではないかと考えています。デザイナーさんやプロデューサーさん、動画の見せ方が上手い人と現地の工房をマッチングさせていくような立ち位置、、小野さんはどう思われますか?
小野さん:おっしゃる通りだと思います。メーカーさん、工房を見にいくとどこのメーカーさんに行っても、ものづくりをされている方はみなさんこだわりを持たれていて、実際、とてもよいものを作られています。ただ、これをどのように発信してエンドユーザーであるお客様に届けるのかというのは重要な課題です。
こうやっていうと怒られてしまうかもしれませんが、実は家具業界のデジタルリテラシーはそんなに高い方ではなく、いまだに受発注をFAXで行っているところもあります。だから情報がうまく届かないっていうことがあります。そこは、僕だったり松澤さんが寄り添って手を引っ張れたらいいなと思います。
松澤:こだわっている部分を上手に汲み取ることも重要ですね。元々、私は商材にそんなに詳しくなかったのですが、小野さんとAmazonで一緒に全国巡るなかでものづくりの視点を横で聞いていきました。そうする中で、気づいたことはたくさんありました。
小野さん:旭川の木工家具の工房を訪れた際には、木を触ったときの手触りにこだわっていらっしゃいました。また、形状に関しても、デザインの視点からももちろんなんですけど、実際に使用する際に小さなお子様への配慮から角の丸みの角度を決められたりしていました。
松澤:その場に確か私もいた気がします(笑)職人さんのこだわりもそうなんですけど、経営者の考え方や商品に対しての愛情というのは商品に投影されているような気がします。
そのことから、商品のこだわりを理解するのには、モノ自体をどう見るかっていうのも重要ですが、同時に経営者の理念というのは注目に値するように思います。そして、魅力的な理念を持っている人と付き合っていくと、結果的にいいものができ上がるという経験があります。
小野さん:椅子の職人さんから話を伺ったときには、座椅子の角度のこだわりについてお聞きしました。実際にこだわっている点を聞いてみると、自分が使ったときにも「これだ!」と納得する瞬間があります(笑)そういう点を消費者にも伝えてきたいと思っています。
松澤:やはりそういうポイントを知っているのと知らないのとでは、商品の印象が大きく変わるように思います。だからこそ、僕たちからすると、できるだけ多くそうしたこだわりのある商材を探し出し、ものづくりの背景がより伝わる形を模索して届けていく場所を作っていきたいと考えています。
小野さん:BtoCはいかにエンドユーザーさんとものづくりの現場が近い距離感で結ばれるかということが重要になります。作り手さんのこだわりポイントを、余計な中間要素を入れずに、なるべくダイレクトに届けるためには何が必要かということを考えることが大事だと思います。
松澤:お酒や和食と工芸品など他の産品同士でのコラボも考えています。家具や雑貨もシーンに合わせるというのはすごく重要なことだと思います。
小野さん:飲料や食事も同じ線上で考えるべきですね。実際の生活ってそうだと思うんですよ。かっこいい家具だけあって生活感が何もないのかっていうと実際そんなわけはなくて、実際はそこで食事をしたりお酒を飲んだりとかしているわけですね。
例えば、一枚板のテーブルにお気に入りの酒器を使ってお気に入りのお酒を飲んで、さらに食べるものも〇〇県産のこだわりのものとを置く。これはダイニングのトータルコーディネイトになると思います。自分の時間を豊かに過ごすために必要な1セットです。そういう意味では、どれかひとつではなくて全てが合わさってリアルな暮らしを実感できるのではないかという風に思います。
松澤:場所や空間を共有したり学びの場を作ったりというのは、すぐにやってみたいと思っています。そういうのを小野さんとやっていきたいですね。
小野さん:ぜひぜひ。最近だと、木を原料の一部にした日本酒とかもあるみたいなんですよ。木のどこかの成分を使っていて、香りは木によってそれぞれ少しずつ異なるそうです。
そういう意味では、いろんな組み合わせがまだまだありそうですね。家具だから食器だからといって限界を決めるのではなくて、異業種間で融合させていくと意外なものがスパイスになって面白いことができるかもしれません。
松澤:以前議論したときに、ある余っている素材を、ユーザーさんや新しい商品を提案したい人と、メーカーさんとで商品コンセプト会議を開いて討議するっていう話をしていたじゃないですか。新しい売り方や見せ方としては面白いなと思っています。
小野さん:家具のメーカーさんでは、少なくない端材を廃棄しているところがほとんどです。こういったものの新しい用途をメーカーさんに提案するのは僕たちに求められていることかもしれません。SDGsという概念もありますし、そういう取り組みは世の中に求められていることだと思っているので、そういったことをディスカッションできたらすごくいいなと思っています。
松澤:よし、それはやりましょう!
話は尽きないのですが、そろそろお時間となりました。本日もたくさんの方に聞いていただいてありがとうございました。
小野さん:こちらこそありがとうございました。
——
今後も隔週で全国の作り手とのコラボトークを予定しています。詳しくは、日本工芸堂のメルマガ登録で工芸に関する各種情報をあわせてお届けいたします。
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インスタライブで開催される「日本工芸コラボトーク」。第2回目は、甲冑工房 朝比奈の職人・朝比奈龍さんをゲストにお迎えしました。甲冑・兜の歴史や製造工程、コロナ禍での状況や新しいチャレンジについて、日本工芸・代表の松澤と語った内容の一部をお届けします。
日本工芸・松澤(以下、松澤):
朝比奈さんの工房は埼玉県越谷にあって、甲冑づくりの伝統を守りながら、常に少しずつ進化させているという印象を受けます。日本工芸では、クラウドファンディングの商品化で朝比奈さんと一緒に仕事をするご縁をいただきました。今日は主に、甲冑と工房の歴史や背景、これからの新しいチャレンジを教えていただければと思います。
甲冑工房・朝比奈氏(以下、朝比奈氏):
こんばんは。埼玉県越谷市で甲冑の製造をしております、甲冑工房の朝比奈と申します。祖父の代から始まりまして、私で3代目になります。今、少子化が取りざたされる世の中ですが、端午の節句の鎧兜の製造をメインで行っております。松澤さんと出会ったのは3年前ですかね。この業界の組合の講演会に松澤さんに来ていただいて、その当時はコロナもまだなかった時代なので、打ち上げの席でデザイナーと侍ホルダー(※現在は「SAMURAI holder」)の話になり、その後、2年ほど試行錯誤しながら作り上げていったという経緯がございます。
松澤:
商品については後ほどご紹介していこうと思うのですが、その前に、甲冑の歴史やどういう時代背景で商品が生まれたのかを教えていただけますか?
朝比奈氏:
戦国時代や室町時代の甲冑はまた別物になってしまうんですが、端午の節句については、始まりは江戸時代と言われています。戦がなくなって武士が職を失うようになった時代に、子どもの出世や立身を願って飾ったのが始まりです。甲冑そのものがどんどんなくなっていく中で、家の中で飾れるものとして、今のような兜飾りや鎧飾りが生まれました。昭和初期には、子どもが生まれたら必ず鎧を買う、飾る、お祝いをする風習になっていきました。今では、親から子どもへ「あなたが生まれてきてくれてよかった。今後あなたに幸福な人生が訪れるように」という思いを込めて、お祝いをするものですね。
松澤:
僕も埼玉の所沢生まれです。やはり人形が盛んで、大きな兜もあったと記憶しています。時代の流れとともに人形のスタイルやニーズにも変化があると思いますが、いかがですか?
朝比奈氏:
私たちが子どもの頃は、家の大きさがどうであろうと、とにかく大きい鎧が喜ばれました。家の中では三段飾りの兜や鎧、外ではこいのぼり、というのが一般的でした。昭和から平成、令和になっていくにつれて「核家族化」を肝にニーズが変化してきたと思います。
松澤:
参加者の方からも、「小さいころ親が飾ってくれたのを覚えています」というコメントをいただいています。
朝比奈氏:
そうやって覚えて頂いていることはすごく嬉しいですね。そうやって次につながっていくというか…。私たちの時代は、おじいちゃんおばあちゃんが用意してくれたものをみんなでお祝いする、という文化でした。それが、核家族化になって、この業界への影響は大きいです。飾りやすさとか、コンパクトさが、今は主力になりつつあります。私の会社はいま3代目になりますが、祖父や父の時代に、これから先は小さいものが出るぞ、と話していたといいいます。私たちの工房が最初に小さい兜を作り始めたように思います。小さいから悪いというわけではなくて、小さいからこそ精密に作る必要があるんですね。
松澤:
めちゃくちゃ精巧にできてますもんね。小さい作品の方が部品も小さくなるので、より難しくなったんじゃないかな…と思います。
朝比奈氏:
そうですね、小さいからどこかを省いているんじゃないかと思われがちですが、小さくすることで、より精度や細かさが求められます。小さいからこそいいもの、そして手間もかかるということですね。
松澤:
今コメントをいただきまして、「12歳から日本で住み始めたのですが、こういう文化を知らないです。子どもができたら買いたいです」とのことです。
朝比奈氏:
ありがたいですね。この業界では5節句といって、端午の節句以外にも節句があるんですけど、それを世界遺産にしようとか、無形遺産にしようという動きもあります。世界に誇れる日本の文化だと思いますね。
松澤:
そんな動きもあるんですね。兜は身を守る、それが小さくなって家の中に入ると、子どもを守る、そういう2つの意味があるとも聞きます。
朝比奈氏:
そうですね。そういった意味合いと、今後発信していきたいのは、デザインの良さです。兜は平安時代からある形がそのまま縮尺されているんですが、その時代にすでにこういうスタイルが出来上がっていることのすごさがあります。美術や工芸という視点はもちろん大切ですが、デザイン的に優れているということをもっと伝えていきたいですね。
松澤:
時代背景とともに、甲冑の形状や色味に、流行りやトレンドがあると聞いた記憶があります。
朝比奈氏:
トレンドはありますね。洋服では、その年ごとに流行りの色などがありますが、同じようなことが甲冑の業界でもありまして、昔の定番といえば例えば「赤」です。
松澤:
色味がはっきりしていたイメージがありますよね。
朝比奈氏:
そうですね。今でも定番として人気はありますが、時代にあった色というのはあります。また、甲冑のイメージが、かっこいい、いかつい、怖さがある、という流れのなかで、怖いからもうちょっと優しいのないですか、というトレンドもあります。
松澤:
思いっきりファッションですね。次は朝比奈さんがこの色来るよ!って言ってみたらどうですか?怒られますかね(笑)
朝比奈氏:
発信元になりたいんですよね(笑)
松澤:
浅黄色とか淡い色が今のトレンドで人気があると聞いたのはすごく印象的ですね。購入する決定者が変わってきたというのがあるのかな、とふと思ったんですが。
朝比奈氏:
おっしゃる通り、販売店さんからも意思決定が変わってきているという話は聞きますね。昔はおじいちゃんおばあちゃんと一緒に買いに行って、おじいちゃんおばあちゃんが決めて、まあ子どもたちの意見は聞くけれども、やっぱりこれでいいんじゃないかという買い方でしたよね。そうなると、定番のものを選ぶことが多い。今はご夫婦で買いに来ても、ご主人より奥さんの女性目線になっているみたいですね。
松澤:
兜の色を見たときに、これはやっぱり女性ウケする色なんだろうな、という印象を受けました。かっこ良さは男性が求めているけれど、買うのは別に男性じゃないし、多分意思決定権者が変わってきたんだろうなと。工芸に限らず買う人がちょっとずつ若くなって、男性から女性になったりすると、そういうトレンドはあるのかもしれないですよね。ちょっと話を戻してもいいですか?大きい兜がこれから小さくなると判断された理由と、そうなったときの周りの反応をもう少し具体的にお聞きしたいです。
朝比奈氏:
私も聞いた話ですが、住居形態が変わりつつあっても、飾りやすさやコンパクトさを意識した製品はなかったそうです。父が言うには当時、「小さいもの=安いもの」というイメージがあったようです。小さくすると値崩れするんじゃないかと、業界ではそういった冷ややかな反応が少なからずあったということですね。しかし蓋を開けてみると、これが売れるということがわかってきた。いま甲冑メーカーはたくさんありますが、小さいものは必ず各社持ってますね。大きいものも小さいものも両方揃えるようになってきて、その当時我慢して作り続けた意味があるんじゃないかと思っています。
松澤:
自慢だってとらえられるかもしれないですけど、ある種の読みというか、それが当たったということになりますよね。モノづくりのお話も後で伺おうと思うんですが、一般的な商流はどうですか?
朝比奈氏:
問屋さんの希望通りに商品を作って、問屋さんに商品を卸して、そこから各小売店さんと専門店さん、今で言うと量販店さんもあると思うんですが、そこからエンドユーザーに届くといった流れですね。
松澤:
各地に人形店があって、さらに特約店みたいなのがあるというイメージでしたが…?
朝比奈氏:
たしかに、大雑把に言うとそういう感じですね。特約店さんはあったんですけれど、あるときから量販店さんが流行りだして、そこでの商品が動きだしたりして、流れが大きく変わってきましたね。あとはネットの時代になってきたので、通販サイトで商材も変わってきているようなイメージですね。
松澤:
作る側のお話をお聞きしたいのですが、コメントの質問からいただいたところだと、「1個作るのにどれくらい時間がかかるんですか?」と。朝比奈さんの横に見えている甲冑だとどれくらいですか?
朝比奈氏:
甲冑づくりは分業制で、こちらでは各職人さんが作ったパーツを形にしてまとめていくという作業です。パーツが揃っている状態から形にするのに1週間くらいはかかりますね。
松澤:
それくらいかかるんですね!歴史背景的に、浅草のような地域からそれぞれ職人が北上していっていますね?パーツごとに職人さんがいらっしゃって、そういう意味では地域的な繋がりもあると思いますが、その辺りはいかがですか?
朝比奈氏:
分業制になったのも昭和くらいからだとは思います。もともとは1から10までひとりで全部作って、1年に1両できるかどうかというような状態でした。それで価格で言うとスーパーカーが買えるくらいの金額になって…。
松澤:
飲み会の時に聞いたら、1個売るのに2,000万円って。それ売れるんですか?って冗談で聞いたら、「何年かに1個は売れる」って仰ってましたね(笑)
朝比奈氏:
そうです。売れたらそれだけで上がりはすごいですけどね。私の祖父はもともと浅草近辺で勤めていて、時代背景的には、甲冑業界は景気がよくなる時代で、とにかく場所が足りなかったんですね。都内ではなかなか土地が見つからないので北上し、それぞれのパーツを作っている職人さんたちもどんどん北上していった。今でも墨田区などには多いんですが、場所が必要な工場を建てないといけないとなると埼玉や千葉になるんですね。もともとは東京に密集していたものがどんどん北上していっているイメージですね。
松澤:
越谷のメーカーさんも何社かいらっしゃいますよね。
朝比奈氏:
越谷は意外に雛や甲冑の工房があるんです。日光街道を使えば東京・浅草というのは一本で行けますし、あと埼玉で有名なところでいくと、岩槻。こちらも一本で行けるという立地がいいんですよね。
松澤:
なるほど。よくわかりました。改めて色々伺えて面白かったです。あと、そんな中でコロナの影響も大なり小なりあったと思いますが、この1年半くらい、どんな影響を受けられていましたか?
朝比奈氏:
本当に厳しかったですね。百貨店も閉めないといけない状態になって、一時は丸々在庫が余ってしまう状態でした。ただ、一昨年前にやりたかったけどコロナで出来なかったので今年やります!と動きが戻ってきてくれたのが昨年。小売屋さんや卸売屋さんは仕入れを抑えていたんですが、反動が結構あって、逆に足りないので発注が来るようになりましたね。結果的には、思ったよりは良かったけど、コロナ初年度が本当に注文が入らなかったので厳しかったです。
松澤:
いやでも、それはよかったですよね。やっぱり一定数の需要があるということですね。
朝比奈氏:
改めてこの業界を見渡すと、投げやりになりそうなところもあったと思うんですが、そうでもないぞ!と(笑)。1年越しで戻ってきてくれるお客さんも4割ほどいたという話も聞くので、これはやはり、しっかり続けていかないといけない、とコロナで改めて気づかされましたね。
松澤:
コメントでも、「日本の文化としてのニーズは強いですね」というのが来てます。確かに、根強い人気があるのは間違いないですよね。コロナになってから、本当に大切なものを改めて振り返る動きもあり、一番大切にしたいのはやっぱり家族じゃないですか。子どもだけは元気でいてほしいとか。親だったら誰もがそう思うと思うので。それを形にしているのが何かと思い返せば、誰もが知っている節句などの行事ごとにつながるので、そこに背景があるというのは強いですよね。
朝比奈氏:
コロナで改めて家族や日常の大切さに気づき、コロナの中で生まれてきた子どもの尊さを改めて思い知らされたというか。私たちも改めて勉強していたところもあります。商売に目を向けると厳しいのは変わらずで、コロナ前から厳しく、コロナでさらに厳しくなるという状況ではありますが、でもやっぱりここで踏ん張らないといけないと思っています。
松澤:
やっぱり、チャレンジする精神を持っている方なので、とてもアグレッシブにされてますし、いろいろ試行錯誤されながらプロダクトも作られてますよね。全部が当たるかどうかは別としても、チャレンジしているうちに何かヒットするかもしれないですからね。
朝比奈氏:
やっぱり動かなきゃ何も始まらないので、仲間と少しずつ進めてはいます。ただ、私と会社のキャパもあるので、今ご予約いただいている方を最優先にしながら、ご迷惑をかけない程度で他に目を向けて動ければとは思っています。
松澤:
最後に、我々のチャレンジもちょっとご紹介したいなと思うんですが、朝比奈さんに組み立てて頂いたこれ(SAMURAI holder)。まぁ本当に試行錯誤ですよね。これ作るのどれくらいかかりましたっけね?ルノアール何回集合しましたっけ?(笑)
朝比奈氏:
月1で合計二十何回は行ってますよね(笑)
松澤:
結論から言うと、クラウドファンディングで資金は調達できて、商品もできてよかったねって話だったんですけど、オリンピックに備えてというのがあったのと、コロナで皆さんがあまり名刺を交換しなくなったというのがかなり想定外でしたよね(笑)
朝比奈氏:
3年近い期間を経て昨年出来上がって、デザイナーの川田さん、松澤さん、私の思いとしては、「戦いのイメージ」ですよね。いろいろな業種の方がいるなかで、「仕事=戦」だったり、「挑む」というキーワードがあった。使う人たちを勇気づける名刺入れになったと思います。川田さんのこだわりである「甲冑の要素」は、フラップの部分が甲冑と同じような仕組みで、本革を使ってしっかり成形されていて、内部でしっかり名刺を支える仕組みになってます。手にしていただくと、重厚感が伝わります。名刺交換の機会が以前よりも減ってはいますが、会話のひとつとしても、個性を表すツールとしても使えるものになると思います。これも分業制で、それぞれに職人さんたちの技術が入っているんですよね。組紐屋さんもあるし、アルミの板を作ってくれた業者さんもいますし、革を作ってくれた業者さんもいますし、それをデザイナーの川田さんがまとめあげて、僕が形として完成させる流れで進めていきましたね。
> 名刺入れ | SAMURAI holder | MUSHA 武者
松澤:
本当に朝比奈さんがいなかったらできなかったんですけど、兜の肩の部分を作る技術を名刺ケースに使って、いつも身に着けるものなので、自分を守るという意味も込めています。今年の2月くらいにこのワークショップもやりましたよね。
朝比奈氏:
女性の方が来ていただいて。
松澤:
各メーカーさんが、さまざまなことにトライされていると思いますが、こういうトライする際の心意気というか、心情の背景はどういったものがあるんですか?
朝比奈氏:
最初の目的は、甲冑を作ってます、というPRもあるんですが、「節句に対する啓蒙」というのが大前提としてあります。兜は季節ものですので、こういった年中販売できる商品が必要というのも実際のところありますし、技術を発信したいというのもあります。あとは、世界に向けて発信するひとつのきっかけとして使っていけたらなと。今後もいろいろな甲冑の技術を使いながら商品を作っていきたいと思っています。節句がもちろん一番大切ですが、それ以外でも我々の技術をもっと広めていきたいなと思いますね。
松澤:
時間はかかってしまったんですけど、形にはなって販売にこぎつけられたので良かったなと思いますね。これからもいろいろトライしながらやっていけたらなと思います。引き続きよろしくお願いします。今日はお時間をいただき、ありがとうございます。
朝比奈氏:
こちらこそありがとうございました。
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日本工芸・松澤(以下、松澤):
今日は、築地から配信しています。山下さんとの関係は、僕の前職(Amazon)時代から関わりがあり、当時から九州の様々な工芸品を紹介していただきました。竹細工をはじめとするものづくりの現場から、SDGsについても積極的な取り組みを行っているのが山下さんです。
山下工芸・山下氏(以下、山下氏):
山下工芸の山下です。大分県別府市に拠点を持ち、九州の工芸品や大分県の竹細工を中心に扱っております。松澤さんとは、ヨーロッパで開催された、ウルトラトレイスレースも一緒に参加した仲です(笑)。
松澤:
九州は、工芸が盛んな地域です。竹細工に関して現状どういった課題がありますか?
山下氏:
コロナ禍でも作家さんたちは頑張っていますよ。環境という視点でみると、竹はすごくフォーカスされています。竹って3年間で成長するんです。多くの木が60年かかるところ、3年間です。特に、外食産業では、環境面から竹製品が注目されていますね。
松澤:
脱プラで天然素材という動きが出てますよね。
山下氏:
プラスチックは特に反対というわけではないです。プラスチックの便利さはある。でも、環境のことを考えると、江戸時代の生活ってSDGsですよね。昔の生活文化を見てみると、竹製品はすごく多いんです。それを今のライフスタイルに合わせて展開していけば、かなり需要があるし、若い方にとっては逆に新鮮な気持ちで受け入れられるのではと考えてます。
松澤:
竹製品が注目される点として、成長が早いことと、長く使えるというところでしょうか。
山下氏:
そうですね。別府の商品とはカテゴリーは違うんですが、例えば同じ竹というところで、今はデスクの天板まで竹で作られているんです。竹が3年で素材として使えるため、持続可能素材として考えられているということです。それとは別に、カーボンニュートラルの動きも出ているなかで、竹は3年で成長してどのくらい二酸化炭素を吸収するのか、ということを研究しています。
松澤:
山下さんは大学でも講義をされることがありますが、どのような話をされるんですか?
山下氏:
環境関係のテーマが多いです。竹というものを環境的に見たときに、放置竹林という問題が非常に大きく、重要と供給がアンバランスになっている現状を伝えています。また、私たちが取り組んでいるSDGsの話をすることもあります。
松澤:
初めてお会いした時から、放置竹林についてはかなり問題視されていて、九州全体の問題であるとおっしゃられていたのが印象的です。
山下氏:
課題解決=社会課題の解決です。ビジネス的な観点とはまた違うので非常に難しい。ビジネス的に考えれば、売れるか売れないか。竹の成長は3年程度で、3年以上の竹は加工しにくいとみなすので、じゃあ、成長しすぎた竹は誰がカットするのか?という問題になってきますね。我々1社だけではどうにもならないので、さまざまな企業や個人の方と協力しながら進めていければと思っています。
松澤:
放置竹林の解決として、どのような取り組みがあるのでしょうか?
山下氏:
炭化にするのがいいと思います。特殊な方法で炭のパウダーを作れるので、それを工芸品に吹きかけたり、食べ物(ロールケーキやカレー)に混ぜて利用しています。いま、立命館アジア太平洋大学の学長とコラボして炭のストローを作っています。
松澤:
最後に今日ご参加の方からのご質問です。「竹細工を最初に買うなら何がおすすめですか?」
山下氏:
それは、お箸ですね!
松澤:
一番気軽に使えますね。何年か1回に買い替えるもので、それが社会課題の一端を担っていると感じてもらえたらいいですね。
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松澤:九谷焼がどんな焼き物か、教えていただけますか?
市田さん:九谷焼は色絵の技術が発達してる産地です。元々のルーツは「九谷五彩」というものです。今、松澤さんのところに並べていただいているうちの主力商品もそうですけども、色味が多いので同じデザインでも色々な展開が可能になります。見栄えもして食卓を明るくするようなテイストが魅力です。
松澤:多様な色味があって豊かな気持ちにさせてくれるところは、九谷焼の特徴な感じがしますね。
市田さん:このデザインだとブルーの部分に注目していただきたいです。盛り絵の具をしっかり塗り込んで焼いたところは、ガラス質の綺麗な、透明感のあるツヤができます。これが九谷焼の特徴だと僕は思っていますね。
→九谷焼 | マグカップ | トルコ花うらら のページはこちら
松澤:他の産地でこれだけカラフルな色味を出せるところもそんなに多くはないのでは?それぞれ技術は異なりますが、この色味の多様さは九谷焼の特徴なのかな、と思います。
歴史や文化的な影響もあるんですかね?
市田さん:九谷には360 年歴史があると言われていますが、九谷焼の発祥は京都から職人を招聘したことから始まっています。「加賀100万石」と呼ばれてるように、伝統工芸の推進したいという意向があったとは思うんですね。
松澤:京都の影響も受けながらきらびやかな文化をそのまま受け継いでいるっていうところに非常に特色があるのではないか、と思います。
市田さん:実は九谷焼は1回無くなってしまいます。そこから復活して「再興九谷」といった形で色々な流派が出てきます。時代ごとで形を変えながら、現在の九谷焼を形成していったのでその辺の歴史はすごく深いと思います。
→特集/伝統工芸の魅力「九谷焼とは?九谷焼の歴史と特徴を知る」はこちら
松澤:御社の特徴や創業についてお聞かせください。
市田さん:虚空蔵窯として窯を持ったのが今から約28年ぐらい前になります。もともと父は、ずっと九谷焼の商社で営業マンとして働いていました。当時から「手作り」と「手描き」にこだわった楽しい九谷焼きがあってもいいんじゃないかっていう思いを持っていたようです。窯を開いたときからそういったテーマを意識していました。
今でも、スローガンである「見て美しく 使って楽しく」「持ってるだけでも心が豊かになる器を作り続けていきたい」っていう想いは、根底にあります。
松澤:その部分は最初見た時からとても伝わってきていました。そして今でもそれを大切されてることを感じています。
現在はお父様から引き継がれて、ご兄弟で営まれているんでしたよね。
市田さん:僕の弟がろくろ成形の方と工場長として切り盛りしてくれて、僕は企画だったり営業だったり経営的なところを担っております。他にも職人が5名在籍しています。それぞれ得意な技法があるので、そこをデザインに活かすような形で取り組んでいます。
松澤:30年近く経営されていている中で、どういう変化がありましたか?コロナの影響もあると思うのですがいかがでしょうか?
市田さん:以前はよく展示会にも出店してましたし、百貨店や専門店さんでもイベントをよく開催させてもらっていました。コロナ禍ではなかなかそういった機会が恵まれなくなりました。ですので、2年ぐらい前からはネットショッピングだったり、クラウドファンディングにも挑戦しています。少しでも多くの個人のお客様にうちの商品を見ていただきたいという思いで取り組んでいます。
松澤:以前は小売店、百貨とか、雑貨店などに卸すのがメインだったんですか。
市田さん:もともと個人を対象に販売もしていたんですが、割合的には少なくて1割 ぐらいだと思うんですけども、それが今だと3割4割近くまで増えてきています。
松澤:クラウドファンディングは、どんな感じでやられているんですか?
市田さん:今ちょうど作ってるのが、後ろに写っているんですが、このトルコブルーの器です。
虚空蔵窯様クラウドファウンディング「トルコブルーのうつわ」
松澤:その色味、めっちゃ好きです!
市田さん:九谷焼とはちょっと違ってくるんですけども、本窯一発で釉薬だけで表現している作品になります。この色を安定させて出すには、2年以上かかりました。通常の焼き方とは、温度も違うので最初はなかなか色がムラで出てきたりとか、釉薬自体が流れてしまって間にくっついたりとか、いろんなトラブルがありました。ようやくそれらを乗り越えてこういう形で販売させてもらっています。
松澤:こうした新しい挑戦は、社内でどういう風に立てているんでしょうか。議論して決めるのか、市田さんが「こうしよう!」と声をかけるのか…
市田さん:色々なパターンがあります。「こういうデザインを作ってもらえないか」というお客様からの声をきっかけにシリーズ化したものもありますし、テーマを設定してそれに沿って雑談をするところから始めたものもあります。春だったら「桜」の柄をモチーフに新しいデザインで展開してみようか….など。
松澤:我々も商品のカタログを最初に拝見したときに色の種類とデザインがたくさんあって驚きました(笑)
お客様の要望に合わせて少しずつ増やしていく感じなんですか?
市田さん:松澤さんに並べてもらってるような「花うらら」シリーズは、定番のロングセラーの商品になりますが、このデザインから派生した物もあります。
あとは客層的に女性が大半なので、花柄などの可愛らしい色合いやデザインが多いです。
松澤:工芸は、全般的に少し落ち着いた感じの物が人気があるのかなとは思っていました。
松澤:いっぷく碗について、制作の背景や用途などについてお聞きしたいです。
普通のマグカップと比べると少し大ぶりですか?
市田さん:そうですね。僕らが持っても両手で包み込んでしまえるようなフォルムになっています。抹茶碗でもなくお湯飲みでもない中間のサイズを狙いました。コロンとした丸いフォルムが可愛らしいですよね。
また、縁の部分の、緩やかなカーブもこだわった点です。忙しい毎日の中でホッと一息、お茶とかコーヒーを飲んで、自分の時間を取り戻してもらうというのを意識してデザインしました。
松澤:実は、私も母親に御社の商品をプレゼントしたのですが、「高いものを買ってくれたからなかなか使えない」と言われてしまいました(笑)実家に帰ると毎度、「あんた来たから使う」と言って、「いやいや毎日、使ってください。割れたらまた買うから。」というやりとりをしています。
市田さん:やっぱり普段使いしてほしいですね(笑)毎日、使っているとだんだん馴染んでくるんです。土物なので吸水性もあるし、そのうちしっとりしていきます。
僕は毎日コーヒーを飲むのでスタンダードなフォルムのマグカップは日常的に使っています。
松澤:この器で飲むコーヒーから朝が1日が始まるっていうのがいいですね。
虚空蔵窯さんのファンになられるのはどのような方々でしょうか?
市田さん:もともとは50代 50代40代から60代の方に人気がありました。
ここ最近はcreemaのクラウドファンディングに挑戦したり、1年ぐらい前にモデルの梨花さんがインスタグラムで「愛用してますよ」と投稿を上げてくださったりしたことをきっかけに20代とか30代のお客さんも増えています。さらに当時、梨花さんがプロデュースされていた代官山のセレクトショップがありましたが、ポップアップ的な感じで販売させてもらいました。
松澤:ちなみに梨花さんはどのお椀を使用されていたんですか?
市田さん:重厚感のあるいっぷく碗の色絵無双椿(いろえむそうつばき)です。
市田さん:当時、僕もInstagramなどやっていなかったんですけども、そこから火がつきました。すごく刺激的な体験でしたね。
松澤:いっぷく碗の作り方を詳しく教えていただいてもよろしいでしょうか。
市田さん:僕らは窯元として生産から販売まで一貫してやっています。粘土を仕入れてきたらまず中の空気を抜く作業をします。管に通して筒状の粘土がドーンとできます。そこからろくろ引きをして成形します。ろくろ引きをした後にちょっとだけ乾燥させて、底の高台の部分を削ります。
松澤:どれぐらい乾燥させますか?
市田さん:季節によって変わるんですけども、大体、1日とか冬場だったら2日です。削ってから本乾燥させます。そうしてしっかり乾燥させたら素焼きをします。素焼きの前の段階で釉薬をかけます。さらに本焼きする前にもう一回釉薬をかけます。素焼き・本焼きを終わらせたら上絵付けして最後にまた焼く作業をします。全部で、最低でも3回焼きます。
松澤:窯の温度は高いんですか?
市田さん:本焼きで1200度ちょっとです。素焼きの場合もだいたい800度前後なので、本焼きが最も温度も高いですし、時間もかかります。
松澤:どれぐらいかかるんですか?
市田さん:12時間、半日前後です。
松澤:結構な頻度で火入れしてるんですかね?
市田さん:本焼きは10日に1回ぐらいですかね。窯に物を詰めるのに時間がかかります。また、最近こういった細かいものが多いので、窯がいっぱいになるまでそれなりの時間が必要なんです。
松澤:ちなみに歩留まりはどうですか?
市田さん:そんなに悪くないですよ。一般のものであれば、全くゼロではありませんがそのままいける感じです。ただ、トルコブルーの器だとどうしても歩留まりが悪くなります。釉薬が流れやすいのと、ピンホールというスポットみたいなものが出てしまいます。そこがちょっと課題です。
松澤:今後の野望はありますか?
市田さん:もっと多くの人に虚空蔵窯という窯元を知っていただきたいです。「こういう焼き物があるんだ」「こういうデザイン面白いな」という風により多くの人に感じていただきたいです。
松澤:新しい売り方で、今気になっているのは、ライブコマースです。今はこのやりとりは動画で撮っていますけど、リアルタイム配信形式で、お客様の意見もその場で共有できるインタラクティブな空間は面白いかなと思っています。そうすることで、私たちもお客様側もお互いに工芸に対する認識を高めることができると考えているのですが、どうでしょうか。
市田さん:僕の中ではまだ詳しくはわからないんですけども、ちょっとずつ近づきつつある感覚はあります。先日も東京でイベントを出展させてもらった時に、横のお店がライブコマースで中国に配信していてそこからたくさん注文が入っているっていうのを目の当たりにしました。ポテンシャルはすごく高いと思います。
松澤:ちなみにですが、九谷焼の他社さん状況はどんな感じなんですか。
市田さん:話を聞くと2極化しているみたいです。オンラインにしっかりと力を入れて 販売されてる方もいれば、未だに卸をメインでやってらっしゃっる方もいます。また二刀流で卸をやりながらもネットショップのチャンネルもしっかりと築いているところをあります。
僕は自分からネットショッピングとかたくさん何でも買い物したりする方でもないので、まだまだ仕上がってないところはあると感じています。また「卸」はしっかりと残していかなきゃいけないと思っている部分もあります。
松澤:できれば、新しいチャレンジもしつつこれまでのやり方も残していきたいという感じですね。
市田さん:はい、でもやっぱりこの2年間ぐらいでシフトはしてますね。
松澤:そういうお話は全国各所でいっぱい聞きます。コロナで経営が難しくなった、というところもあればネットショップを一生懸命やってるうちに気がついたらバズっちゃってめちゃめちゃ売れた窯元さんも知っています。
市田さん:あやかりたいですね(笑)
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日本工芸・松澤(以下、松澤):
第四回の日本工芸のコラボトークは、新しい工芸の発信拠点として「monova」を運営される杉原さんにお時間いただいています。テーマとしては、新しい工芸を伝える役割とはどのようなものか、いま取り組まれていることを中心にお聞きしたいと思います。
monova・杉原氏(以下、杉原氏):
日本工芸のファンの皆様、初めまして。新宿でmonovaという日本のものづくりのショールームをやっております、杉原と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
松澤:
monovaさんは、日本各地の特徴のある工芸品を扱うショールーム、という形でバイヤーさんとのマッチングや情報発信の場と認識しておりますが、そんな捉え方でよろしいでしょうか?
杉原氏:
そうですね、特殊な立ち位置になりますが、西新宿のパークタワーにあるシェアショールームで、約30社各地域のものづくりの事業者の商品を紹介しております。各社のショールームとして、運営を代行しているという感じですね。
松澤:
30社ほど扱っているとのことですが、どういう地域の産品、どういう素材が多いですか?
杉原氏:
もう10年目になるんですが、伝統工芸品をはじめ、地域を代表する雑貨や日用品などを扱っております。伝統工芸品からはかけ離れた、湯たんぽなども販売しております。一社一ブースの形で、器や革製品なども取扱しております。こだわっている地域などはなく、首都圏の方に見てもらいたいと思っている事業者さんが中心ですね。
松澤:
意欲的なメーカーさんということですかね。
杉原氏:
そうですね、値段も張るものになると、実際に触って見て確かめたいとう方に来てもらうことが多いですね。
「ネットで知ったけどやっぱり実物見てみたい」とか、お財布も3万円ぐらいする高価なものなので、色など見比べたい方などで、確認の場として使われることが多いですかね。
松澤:
バイヤーさんや業者さんもこられて、商談の代行なんかもされるんですか?どこまでされるんですか?
杉原氏:
正直、コロナ以降、バイヤーさんがくることも減ったんですが、以前はバイヤーさんが情報収集などで来られると、取引したいメーカーさんをお聞きして担当の方を紹介するということも多かったですね。
仲介する機能は持っていないので、希望されるお店とメーカーさんとで直接お話ししていただいています。
松澤:
ショールームという形なので、メーカーさんから費用をいただいて、場所をお貸しするということですよね?
杉原氏:
はい、monovaのサイトでも表示していますが、年間36万円の出展費用をいただいてやっています。
松澤:
東京でショールームを作ればコストがかかりますから、良いご提案ですよね。
杉原氏:
そうですね。人件費や地代家賃、集客のための広告宣伝費など諸々考えると、格安でのご提案になっているかと思います。
松澤:
10年以上前にこの事業を始められた背景や、どうやって杉原さんが関わられるようになったか、教えていただけますか?
杉原氏:
元々サラリーマンを10年ほどやっていて、実はこのショールームがあるリビングデザインセンターOZONEという施設で社員として働いていたんです。その頃に各地の工芸品を首都圏の方に紹介するというイベントをやっていて、さらに首都圏で受け入れられる新しい商品のプロデュースや、ものづくりをする方とデザイナーさんとの間に入ってコーディネートもしていました。どちらかというとその頃は作る側に足を踏み入れていたということですね。
ただ、今年も作りましょう、来年も作りましょう、と、作ることに集中しながらも、作ったものがどうなっていくのかに興味がありました。お客様に知ってもらう努力をあまりせず、また次のものを作る流れを繰り返していることに疑問が湧いてもいました。もっと「作ったものを大事にしてもらう活動」に、時間をかけないといけないんじゃないかと思っていましたね。
短い期間で売れた・売れなかったと判断されて、そのまま商品を放置して、次の商品の開発に移るということがあります。物を作ると充実感もあるし、仕事した気になるんですけど、実際には売上が立たないと仕事にならないですよね。そこにもうちょっと踏み込みたいと思いました。
退社後、もっと地域のものづくりに自分の時間をかけたいと思って、シェアショールームという発想にたどり着いたんです。オープンしたのが、2011年。ちょうど、震災の年だったので、大変でしたね。
松澤:
大変な時期でしたよね。
杉原氏:
そうですね、ここを借りる契約をしてからの3.11だったので結構辛かったですね、借りていただかないと続かないので…。
松澤:
視聴者からコメントをいただきました。「良い物は高いので、すぐには売れないですよね?」と。
杉原氏:
そうですね、一理あります。良いものは、良さを知ってもらう時間をかける必要があります。中小企業は広告宣伝費をかけられない分、時間がかかってしまうんじゃないかとも思います。僕は、広告宣伝はお金で時間を買うという感覚です。お金をかければ人に知ってもらう確率は増えるけど、なかなかお金をかけられない現実がある。そのため、知ってもらうのに数年かかるんじゃないかと思います。
松澤:
メーカーさんとの関わりは、中期的に関わられているのか、単発なのか。杉原さんはどこまで踏み込んでやりとりされるんですか?ショールーム的にお付き合いをするだけなのか、実際に来場される雰囲気とか要望とかもある種フィードバックされるのか、その辺を教えてもらってもいいですか?
杉原氏:
各社のスタッフという位置付けでいるんですね。我々は、新宿スタッフとして色々と要望いただければ動きますっていうスタンスです。東京の現場でどんなことが起きているかメーカーさんに伝えることが大事だと思っているので、毎月報告書を出しています。
松澤:
そうなんですか、大変じゃないですか?
杉原氏:
大変は大変ですけど、それを楽しみにしているメーカーさんも多いのでやりがいがあります。どういう人が買ったかとか、厳しめな意見や買わない理由も含めて。オンラインでも売っているので売上の報告もありますが、首都圏でお客様がどういう反応示してどんな感想をしたかという売上以外の情報を、次の商品開発や営業に生かしてほしくて報告しています。それがうちの自慢のサービスですね。手間がかかるので他ではできないんじゃないかなって思っています。
松澤:
それをうまく使うと製品開発とかマーケティングとか売る方法とかに活用できるんですね。
杉原氏:
そうですね。それを社長だけが知るんじゃなくて、現場で作っている人がそのコメントを見ると気持ちが変わっていくんじゃないかなと思っています。作っている人たちは実際、使ってくれる人たちとの接点はないんですよね。自分が作ったものを誰が使っているかをあまり知る機会がないので、喜んでいただけるかなと。それが励みになれば商品向上につながるんじゃないかなと期待しています。
松澤:
多品種で多地域の産品を扱われていて、10年の中で特徴的な変化はありますか?こういうトレンドがあったとか。
杉原氏:
やはり10年前とは圧倒的に物の「買い方」が変わっています。先にサイトやYouTubeで情報を仕入れてから来る方が多いですね。ある程度目的を持って来られる方は以前から多かったのですが、ここ数年、特にコロナ以降はインターネットで調べてから最終確認でここに来られる方が多いですね。最終的に各社のECサイトで買われることも多いです。
松澤:
世代的にはどうですか?
杉原氏:
最初は40代ぐらいの方が多かったですが、今は30〜60代ぐらいの方まで来られますね。割と均等に。置いている商品も20代向けの物はないので、置いている物とのバランスもあると思います。決して安くはないので。
松澤:
そういった状況をメーカーさんにお伝えすると喜ばれますか?大きい流れって直接なかなか聞けないですよね。
杉原氏:
そうですね、メーカーさんが発信した情報をお客さんがキャッチして、ここに確認に来られて、メーカーさんのECサイトで買ってもらうという。そういう理想的な循環ができると、こっちも嬉しいですね。
松澤:
それって、本来のショールームの目的ですもんね。
杉原氏:
そう意味で言うと、今の出品者の傾向として、最初の頃より売場がない商品が増えていると思います。例えば、世の中に湯たんぽの売場ってないですよね。バイヤーさんがこの湯たんぽ良いなと思っても、過去に置いたことがないと、ハードルも上がりますし、そもそも売場がないんですよね。
結局そういうものが出店者には多いですね。うちのショールームにある湯たんぽは60万個ぐらい売れてます。実績はとてもありますし、売れているところでは売れているんですけど、インテリアショップやセレクトショップとか百貨店に並ぶかというと、湯たんぽみたいな物を扱う売場はない。おりんなんかもそうですよね。
松澤:
確かに…音響きますよね。コロナの影響は各工芸のメーカーさん大なり小なりあると思うのですが、今関わりのあるメーカーさんの中でこんな影響を受けられているなど雑観はありますか?
杉原氏:
もともと駅近や駅中で扱われていた商品は人の流れがストップしたので、リアルショップでの売上が見込めなくなったり、売り先からの注文が止まってしまったので、自分たちで売っていくという動きが加速化しているというのはありますね。
松澤:
オンラインでの販売ですか?
杉原氏:
オンラインをやらざるを得ないですよね。リアルショップは特に首都圏では大きく影響を受けているので。弊社も春先は2ヶ月、2年連続で閉じました。
松澤:
新しい商品やメーカーさんを見つけたり、新しい工芸を伝えていくという役割でいらっしゃると思いますが、その点はどうお考えですか?
杉原氏:
代々続いてきた物を次の世代に繋げていくには、10年から30年先を見ることになります。そういう意味では瞬間瞬間の成功とか売上は大事だけど、次の代までつないでいくという長いスパンで考えたときに、今どうあるべきかを僕も考えた方がいいと思っていますね。
そのために、自分たちで売れる力を身につけるお手伝いを、僕らができれば良いなって思います。30社あるなかで、僕らの会社の方が小さいので、全部を支えるなんてことは言えないし、できないですけど、でもお客様一人一人の声をうまくキャッチしてフィードバックすることで、喜んでくれたり次の商品に生かせたり。こんな評価を得たんですよって言う会話から取引が始まったり。そういうふうに広がっていけば良いなと思っています。
松澤:
そういう意味では、伝え手ですね。メーカーのエヴァンジェリストというか…。
杉原氏:
まだまだ、大きな声は発信できないんですけど…控えめなので…(笑)。
松澤:
たまに伺うと出展者さんが商談されているように見受けられるのですが、出展者さんは東京に来られたときに自分のショールームとして立ち寄られていきますか?
杉原氏:
そうですね。東京で商談をしにカバンに商品を詰め込んで来るという形とはちがって、こちらではすでに商品が沢山置いてあって、落ち着いた空間で商談もできますし、我々スタッフがお茶菓子などもご提供できるので、ご自分のスペースとして活用いただいていますね。
松澤:
メーカーさんが東京に来て、どこかのバイヤーさんと商談をするっていうときに商談スペースがあるってことですか?
杉原氏:
そうですね、ショールームとしてここで商談をされます。
松澤:
便利ですよね、綺麗に並んでいますしね。
杉原氏:
便利だと思います。我が物顔で使っていただいて構わないので。
また、来ていただけるとスタッフとの情報共有もできます。我々もメーカーさんの最新の情報が得られると、紹介にリアリティも増していきますよね。
一般の方やバイヤーの方にもそういった情報を伝えられることは、この施設のメリットかなと思っています。
松澤:
なかなか難しい質問だと思うのですが、monovaの未来はどんな構想ですか?エリア展開するのか、床面を増やすのか?
杉原氏:
流行らない商売をしていると思ってます。場所が必要で、報告書を作るのにも思いがないと書けないのでそういったコストもかかります。
こうやって松澤さんといつもフランクに話ができて、情報共有して、松澤さんにこのメーカーさんいいんだよって紹介して、またそちらでも広めてもらうという循環が嬉しいです。monovaのショールームを全国に作りたいとは思っていないんですが、monovaと同じような活動をしている方々と情報共有して、つながっていきたいです。
松澤:
お客様とメーカーさんの間に立てる存在、杉原さんのキャラクターなのか、monovaの個性なのか、そういう役割ですね。
僕も色々と紹介いただいて、実際に商売につながった方もいますし、そういう意味では、杉原さんの枝から広がって、成り立っているものもあります。
最初は、僕が創業したときにご紹介いただいて、新宿の西口でお会いして、有名な方なので、緊張してお会いした記憶があります。でも、お互い会ったら同い年で、やっていることも似ていて、立場としてはメーカーさんの良い物をどうゆう風に伝えるかっていう発想で事業に取り組んでいるので。この間もライブコマース一緒にしましたもんね。ああいうことは今後もやらせていただけると、伝えるという面では一緒にできることもたくさんあるんじゃないかって勝手に思っていますが。
杉原氏:
そうですね。30代ぐらいから地域に行くことが多くなって、広い工場の一部しか使っていないところも見ることがあったので、ここまで発展したものが、僕の目の前でどんどんなくなっていくのは、もったいないなって思いましたし、そこで役に立ちたいというのが最初のきっかけです。でも、一人では全部できないので、松澤さんのような同じ思いを持っている方とみんなで一緒に盛り上げられたら良いなって思っています。
松澤:
僕もベースの発想は現場をたくさん見て、メーカーさんとお話する機会があって、知るだけでファンになったり、実際に見て、触ったりすると素敵なものがたくさんあるんだなって改めて気づいたことが始まりです。お互いに協業して盛り上げていく役割なのかなって思っています。
杉原氏:
ぜひ仲間を増やしていきたいですね。
松澤:
ライブコマースも頻度を上げて行って、もっと慣れていけたら面白いですよね。もうちょっと落ち着いてきたら、地域へ行って、そこからライブ配信や中継して、実際に物を売りながらやれたら面白いなと思っています。
杉原氏:
そういうネットワークがあるのに、コロナで生かせないのは残念ですね。
松澤:
できることからやっていくのが良いんじゃないんですかね。
インスタでアンケートをとっている中で、一番聞きたかったことですが、「伝えたいものづくりの、どういう商品、メーカーを広く伝えていきたいかという基準はありますか」?
杉原氏:
明確な基準はないですね。ただ、地域で頑張っている人を応援したいというのは誰もが思うことだと思います。地域の素材、昔から使っている技術、地域ならではのものづくり。そういったものは共感しやすく、応援したくなります。
あとは、外側にマインドが向いている人じゃないとうまくいかないので、そういう人と今のところは繋がれているかなと思います。
松澤:
僕もその点には共感するところがあって、一つの定義としては売る気があるというか。僕も前職のAmazonで仕事やっている時もネットでなんて売れないよって散々言われましたし、現実的にやらざるを得ない感じでやっていますが、どんどん新しいものに挑戦していくマインドが、工芸に限らず必要だと思うんです。
杉原氏:
そうですね、いろんな人たちに知ってもらいたいとは僕も思っています。
松澤:
メーカーさん側に意思と意欲がないと、なかなか難しいですもんね。
杉原氏:
そうですね、原点はそこがないと。メーカーさんの走っている姿に少しでも勢いをつけられれば良いというスタンスではあります。あと、僕は紹介業だと思っていて、一般の人にもバイヤーの人にも松澤さんにも。やっぱり紹介業だと思うと、頑張っている人じゃないと紹介しにくいし、紹介する責任もあるじゃないですか。松澤さんに下手な人紹介できないですし。
松澤:
気持ちはわかりますね。責任は大なり小なりありますもんね。
杉原氏:
やっぱりお互いに紹介したら喜んでもらいたいじゃないですか。なので、紹介しやすい事業者さんを募集します!(笑)
松澤さんに紹介する時は、商品もだけど、ここの社長いいよっていう方を紹介することが多いと思います。
松澤:
Amazonの時も今もそうですけど、社長の意欲は重要だと思いますし、商売のグロスの仕方も意欲と意思がないとなかなか難しいと思っています。
杉原氏:
そうですよね、最終的に商品に反映されるものだとも思います。物での基準は、僕はあまりないですね。10年やっていると、ある程度自分でこことは合わないなってみなさん判断されていると思います。ものに関しては、遠い所の商品をmonovaで出店したいとこちらから行くことはないですね。
松澤:
メーカーさんから問い合わせがあるんですか?
杉原氏:
そうですね、あまりこちらからノックして行くことはなくて、お節介するのも違うと思っていて、そこがまた私の良くないところですけど…控えめなので。まだまだ、こちらからって言うところまでは行ってないですね。
松澤:
monovaは違うエリアにも展開するって聞いたのですが。
杉原氏:
そうですね。10年この新宿のビルの中でやっていて、地域の変化もあって、自分たちで売っていかなきゃという時代になって行っているんだと思うんですね。地域の小さな路面店をやってみてどういう人が来るのかとか、地域密着ならではの商売を今やってみたいなと思ったんです。住宅街の中の路面店を借りて、土日だけお店をやっています。私が店主ということで。
松澤:
見ている方からの質問ですが、「一番心を打たれた工芸品や職人さんとのエピソードはなんですか?」
杉原氏:
まああんまりガッツリ言っちゃうと私も泣いちゃうので…
松澤:
絶対泣かないでしょ!(笑)
杉原氏:
やっぱりmonovaの報告書を送って、やる気とか元気が出ましたとか言われると嬉しいですね。
松澤:
例えば、フィードバックして、次の商品に生かされた事例とかありますよね?そういう瞬間って感動ですか?
杉原氏:
それは嬉しいです。役に立ちたいという思いでやっているので、役に立った時は嬉しいですよね。自分が目指したところにたどり着くというモチベーションがないんですが、人の役に立ったことがわかるのは嬉しいです。
松澤:
そろそろ時間に近づいていますが、最後に言い残したあと何かあればお願いします。
杉原氏:
本当に、松澤さんにこういう時間をいただいてよかったです。私も切り替えられたので。2011年にオープンして、本当は10年の節目の年で何かしたいんですけど、コロナでなかなか何もできないなか、この間ライブコマースをご一緒させてもらったり、今日はこういうお話をさせていただいたり。
インタビューをすることはあっても、されることはあんまりないんですよね。同じ業界にはいろんな人がたくさんいますけど、自分はこういう風に考えているって発表する場もないですし、ホームページで語ることもしてないので、貴重な機会でした。
松澤:
また違う機会でお話しできれば良いなと思っています。今日はありがとうございました。またよろしくお願いします。
杉原氏:
はい!よろしくお願いいたします。
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